第18話 他の男のために費やす労力はない

 くだらないバカ騒ぎの後、引き続き自宅の応接室にて。


 俺たちは改めて座り直し、何だかんだとぶつくさ言いながらもミルが入れてくれたお茶を啜りながら、リナリアの話を聞いていた。


「最近、魔王を倒すための勇者が王国によって選定されたんだけどね。今はその勇者と共に旅し戦う、少数精鋭の仲間を募集しているところなの」


「うん? 待て。魔王とか勇者とかもいるのかこの世界」


 出鼻を挫くような俺の疑問に答えたのは、ミルだった。


「みたいですねえ、私も今知りましたけど……とは言え割とよくある事例でもあるんですよ? 天使が派遣された先に実は魔王がいましたって話」


「よくあるのか……」


「はい。あ、そう言えば魔王の正体って、ブラックな職場から出奔して一念発起した社畜悪魔の成れの果てなんですよ?」


「あ、悪魔も大変なんだな……」


「ええ。だからこそ、自分の障害となるような強敵のいない世界に逃げ込み、上司に抑圧されていた時の鬱憤を晴らすべく、魔王を名乗って威張り散らし悪逆の限りを尽くしたりするわけですが……ぶっちゃけ迷惑なので勘弁してほしいです」


「へえ、そりゃご苦労さん」


「なに他人事みたいに言ってるんですかユッキー! これはチャンスですよ!」


 不意に身を乗り出してきたミル。

 適当に合わせていただけだった俺は湯呑みを置いて、耳を傾ける。


「……チャンス?」


「せっかくこの世界に魔王が沸いてくれたんです、ちゃちゃっと倒して徳を積んでおきましょう」


「いやだよめんどくさい。勇者がいるって話だから、そっちに任せとけばいいだろ」


「それじゃ私が出世できないじゃないですか!」


「ま、諦めろ」


 そう言って、俺は手をへらへらと振ってあしらう。

 と、ミルは不満げに仏頂面を作るが、直後、一転して含み笑いを浮かべた。


「ははん、さてはユッキー……私が出世して残業が増え、帰りが遅くなるのが嫌なんですね?」


「お前はどこのサラリーマンだよ……」


「まったく健気な主夫っぷりですねえ……ってなに夫面してるんですか身の程を知ってくださいユッキー!」


「そっちが勝手に言い出して……って机叩くな! お茶が零れるだろ!」


 意味不明な発言を繰り返した挙句、興奮気味にばしばしと両手を机に打ち付けるミル。

 その衝撃で湯呑みが倒れそうになるのを、慌てて持ち上げながら俺は叱り付ける。

 それでもまだ喚き散らしているミルをよそに、自分とついでに隣に座るミルの分の湯呑みまで持ち上げていたリナリアの方を見やった。

 事情を聞かれていた筈なのにいつの間にか蚊帳の外に追いやられ、困惑していた様子のリナリアに申し訳なさを感じつつ、俺は話を戻す。


「ええとそれで……勇者の仲間を募集中なんだったか?」


「うん。二週間後に選定試験が行われることになっててね。悪の象徴である魔王を倒すパーティの一員に加われるとなれば、それだけで何物にも代えがたい栄誉だから……会場になる王都には今、腕に覚えのある猛者たちが大陸中から続々と集結しつつあるんだって」


「もしかして、二週間後までに可能な限りレベルを上げたいってのは……」


 ずずっとお茶を口に含み、飲み込んでから放たれた俺の言葉に対し、リナリアは確たる意志を、細く縦に割れるような猫っぽい瞳孔に灯しながら、一つ頷いた。


「私も、そこに加わりたいなって」


「志が高いのは結構だが……現状はどんなもんなんだ? 良かったらステータス見せてくれ」


「見せてくれ、って……?」


 この世界では通常、他人のステータスを覗き見ることは叶わない。

 それ故のリナリアの疑問に、俺は当たり前のように答えた。


「話せば長いようで短いんだが……俺には他人のステータスが見れるんだよ」


「そうなの?」


「ああ、物は試しだ。ほら」


 百聞は一見に如かずとばかりに俺が促すと、リナリアは両手に持っていた二つの湯呑みを机に戻してから、半信半疑ながらにステータスウィンドウを開いた。


 空中に浮かぶ半透明で無機質、妙に現実味のない癖して確かにそこに存在する異質な窓を、俺は向かい側から首を伸ばして確認する。


「レベルは……17か。意外と高いのかねこの世界基準だと。スキルは火属性魔法の熟練度が77/100か、これも中々のもんだな」


 国家に属する職業軍人のレベルが20程度とされる中で、年端もいかない少女ながらにこの数値とは、流石勇者の仲間を志願するだけのことはある、が。


「うーん……大陸中から集う猛者たちと試験で競うとなると、ちょっと物足りないですねえ。少なくとも、精鋭とは言い難いです。それでも勇者一行に加わりたいって……ただの憧れとか自己顕示欲以上に、何か特別な理由でもあったりします?」


 いつの間にやら平静さを取り戻していたミルが、俺の胸中を代弁した。

 するとリナリアは逡巡した後、何故か頬を仄かに紅く染め、はにかんだ。


「実はその……選定された勇者っていうのが、私の幼馴染なの。昔から何かと私のことを気にかけてくれて、優しくて……」


「ふむふむ」


「私のレベルだって、小さい頃からすっごく強かったあの子が遊び半分で近隣のモンスターを倒してた時、たまに付き合ってた結果勝手に上がってたようなもので」


「ほうほう」


 胸の前で手を組み合わせ、どこか誇らしげであるとともに嬉しそうに語るリナリアと、隣で興味深そうに相槌を打つミル。

 対面に座る俺は、無言で二人のやり取りを眺める。


「とにかくあの子にはどれだけお礼しても返しきれないくらいの恩があるから、一緒に旅をして、力になってあげたいって言うか……それとあの子、勇者に選ばれちゃうくらい完璧超人に見えて、たまに抜けてるところがあるから放っておけないって言うか……えへへ」


 やたら楽しそうにしながらも照れくさそうに笑うリナリアの可愛らしい姿は、まさに恋する女の子、そのものだった。


 が、その恋愛対象が別に自分ではないとなると、別に微笑ましくも何ともない。

 むしろ嫉妬が募るばかりだ。


「悪いがリナリア。俺にはな……いくら美少女が相手とは言え、他の男のために費やす労力はない!」


「うわあ、なんですかその嫉妬丸出しの一方的な通達は。それ以前にリナリアちゃんは、ユッキーに協力して欲しいとかひと言も頼んでないですよ?」


 立ち上がり、握り拳を固めた俺の堂々たる宣言に、冷ややかな反応を示すミル。

 が、肝心のリナリアは、不思議そうに目を丸くしていた。


「えっと……他の男って……?」


「いやだからその勇者とかいう……」


「勇者は……あの子は、女の子だよ? 確かに、男勝りな強さではあるけど」


「へっ」


 何食わぬ顔で告げられた真実に、つい間抜けな声をあげてしまう俺。

 

 だって、仕方がないだろう。


 リナリアは、勇者のことが好きだ。

 その勇者とやらの面を拝んだことすらないが、リナリアの雰囲気から察するにそれは間違いない。 

 だが勇者はリナリアと同じ、女の子。

 と言うことはつまり……百合だ。


 驚愕の答えを脳内で導き出し、立ったまま打ち震える俺を、小動物的なかわいさを纏ったリナリアの無邪気な眼差しが上目遣いに見つめる。 


 ……あ、これもしかして自覚とかないのか。


 恐らく好意を抱いているとはうっすらと気付いていても、それが恋慕ではなく友愛だと勘違いしているタイプだ。


 そんな具合に俺が妄想を膨らませていると、ミルが疑わしげに目を細めた。


「むむ……もしやユッキー、そっち方面の性癖もお有りでしたか。やっぱりあれですか。男としては、きゃっきゃうふふしてる美少女二人の間に割り込んでどっちも頂きたい感じです?」


「お、分かるか。まあ百合好きの中にはその手のシチュを邪道と宣う輩もいるが、俺としては……」


「いや熱く語り始めないでください。ユッキーが普段どんなネタで気持ち良くなってるかとか聞きたくもありません」


「やめろリナリアの前で」


「つい二秒前までノリノリだったじゃないですかユッキー。今更冷静になっても手遅れ……でもないみたいですね」


 ミルに釣られて俺もリナリアの方を見てみると、彼女は話を理解出来ていない様子だ。

 どうやらこの子もアニス同様、純粋培養らしい。


 とりあえずは胸を撫で下ろしつつ、リナリアの想い人も女の子ならまあ協力するのもやぶさかではないか……という結論に至る。

 お願いされたわけでもないので、押し売りだけど。

 と言うかレベリングさせてください。


 ソファに腰を下ろした俺が、さっそく頭を下げてお願いしようとしたその時。

 開きっぱなしになっていたリナリアのステータスウィンドウを目に留めたミルが、おや、と声を漏らした。


「リナリアちゃんのレベル、最大値が272ですね。これは確か……ケットシーの数値では?」


「あ、えと……!?」


 ミルの指摘を受けるや否や、リナリアは遅まきながらにウィンドウを閉じ、あからさまに動揺の色を露わにする。


 ……いったい何の話だろうか。


 俺がよく分からずにいる中、ミルはじろじろとリナリアを観察し始めた。


「耳は……頭の上じゃなくて横にありますよね? 尻尾もないですし。体毛も生えてないどころか、羨ましいくらいの白くてきめ細やかな肌。はて……」


「その……実はこれ、魔法で変装してるの」


 不躾な視線を注ぐミルに根を上げたらしい。

 リナリアがそんなことを白状しながら立ち上がったと思ったら、次の瞬間。


 頭髪と同じ淡い桜色の毛が生え揃った猫耳と尻尾が、それぞれリナリアの頭とスカートの中から飛び出してきた。




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