第41話 特別な感情と、決着

 ミルとサキュバス様は、引き続き争い合っていた。

 俺はその場に仰向けで寝転がったまま、状況を見守る。


「死ね糞天使!」


「嫌に決まってるじゃないですか。まったくこれだから悪魔は、下品極まりないですね」


 叫びながら振るわれるサキュバス様の大剣を、ミルは軽口を飛ばしながら躱す。

 俺の目では殆ど追いきれない速さの剣筋だが、レベル9999の天使には余裕らしい。


「避けてばかりで……天使ってのは、腰抜けしかいないわけ!?」


「そう言われても、正直攻撃するまでもない感じですからね。私を腰抜け呼ばわりする前に、そっちこそもうちょっと頑張ってくださいよ」

 

 縄跳びか何かのようにひょいひょいと大剣を避けながら、ミルはいきり立つサキュバス様を鼻で笑う。


「さっきから、隙だらけすぎますし」


 ミルは流れるような動きで回り込んでサキュバス様の後ろを取ると、その背中を指で小突いた。


「くっ……!」


 完全に翻弄される形となったサキュバス様は、煩わしそうに振り返りながら斬りかかる。

 ミルはその攻撃を、一歩後ろに跳ねるだけで避けてみせた。 


「このままじゃ、埒が明かないわね……!」


 苦々しげにミルを睨みながら、サキュバス様は呟く。


「ふふん。ではその煩悩まみれの頭で、拙い作戦でも考えてみますか?」


「作戦……ああ、そうね」


 ひたすらにからかおうとするミルに対し、サキュバス様は少し考えるような素振りを見せた後、不敵に笑ってみせた。


「……一つ、思いついたわ」


「ふむ。悪魔ごときが何をしたところで私に敵う道理はありませんが、やるだけやってみたらいいんじゃないですか?」


 ミルは余裕を崩すことはなく、両手を広げて試すようにサキュバス様を挑発する。

 対するサキュバス様は、すぐさま攻撃を仕掛けるような真似はしなかった。


「そうやって偉そうにしているけれど……お前って、本当に男を見る目がないわね」


「……? なんですか急に」


 ミルが訝しむ中、サキュバス様はどういうわけか俺の方を指さして、薄く笑った。


「あのユッキーとかいう男、変態にもほどがあるだろう。踏まれたり靴を舐めたりしてあそこまで喜んでいる奴、見たことないぞ?」


「むむ……」


「あんな変態を好んで手元に置きたがるお前も、もしかして同類なのかしら」


  ……なんで罵倒されてるんだ俺。

 もしかして、俺を散々にこき下ろすことによってミルを逆上させる作戦……とかだったりするんだろうか。

 サキュバス様は俺のことをミルのお気に入りか何かだと思っているようだし、その可能性はあるが……上手くいくようには思えない。

 そもそもの前提が間違っているのだから、ミルが怒ったり動じたりすることはないはず。

 なのでこの作戦はせいぜい、俺の心がちょっと傷つくだけに終わるだろう……と思ったのだが。


「むむむ……!」


 何か、ミルの様子がおかしいような。


「顔も態度も気色悪いし、なんか根性も捻じ曲がってるようだし……ウチからすれば、お前を煽るためじゃなければあれに魅了をかけたいとは思わないわ。サキュバスであるウチと言えど、男なら誰でもいいってわけじゃないし」


「……」


 ミルは黙り込んだまま、何も言わない。

 小刻みに肩を震わせているように見えるが、まさか笑いをこらえているのでは……と思ったのもつかの間。


「さっきから好き勝手言ってくれてますが……ユッキーを罵っていいのは私だけです!」


 俺の予想に反して、ミルは怒りを露わにしていた。  


「調子に乗るのも、大概にしてもらいましょうか!」


 ミルは鬼神のごときスピードでサキュバス様に詰め寄ると、渾身の拳を腹部に打ち込んだ。

 それが何に対する怒りなのかはわからないが……とにかく怒りの込められた一撃により、サキュバス様は弾丸のように吹っ飛ばされて広間の壁に激突する。

 そのまま、その場に崩れ落ちるようにして、倒れた。


「ぐ、はっ……」


 サキュバス様はすぐに立ち上がろうとするが、今の一撃で見た目以上のダメージを負ったらしく、剣を支えにして片膝を突いている。

 これまで消耗した分の蓄積もあってか、すっかり満身創痍といった様子だ。


「所詮は薄汚い悪魔、私がちょっとその気になったら瞬殺ってわけです」


 一方のミルは、そんなサキュバス様の姿を見て、ドヤ顔を浮かべて勝ち誇っている。

 そして、何やら興が乗った様子で、右手を上に掲げた。


「では、トドメといきましょうか」


 やけに生き生きとした声でミルが宣言すると、右手から魔力の塊と思しき光の球が湧き出てきた。

 初めは手の平サイズだった光球は、どんどんと肥大化していく。

 サイズが一定まで達したところで、膨張は停止した。


「さあ、この魔法を受ければ、あなたは髪の毛一本残さず……」


 そしてミルは、煌々と輝くその大魔法を放つため、サキュバス様に向けて右手を振り下ろそうと――。

 したところで、光の球は弾けるように消失した。


「って……あれ?」


 何が起きたか理解できない、といった呆け顔を浮かべるミルは、全身の力が一気に抜け落ちたように、その場に片膝を突いた。


「これは、魔力切れ……? まさか……」


 ミルはすぐに何か気づいた様子を見せると、不穏な気配を漂わせながら自らのステータスを開いた。

 瞬間、ミルの顔から血の気が引いた。


「やっぱり、レベル1になってます……ステータスも全部最低値に……」


 顔面蒼白といった様子のミルは、自分のステータスを見つめながら、うわ言のように呟く。

 ……まさか、これは。

 俺が一つの可能性に思い当たる中、動揺していたミルはその表情に苛立ちの色を露わにしていた。


「これがペナルティ……いやしかし、悪魔が相手でも下界で戦闘したらこの仕打ちとか、どれだけ融通が利かないんですか私の上司は……!」


 どうやら、ミルとしては悪魔が相手ならセーフだと思っていたらしい。

 まあ、気持ちは分かる。

 悪魔は元々この世界の外から来た存在らしいし、天界の者が下界に干渉し過ぎると不味い、と言っていた前提は、当てはまらないはずだ。

 その点、ミルの言う通り、神様ってやつは融通が利かないらしい。


「……なんて、悠長に構えてる場合じゃないか」


 寝転んでいた俺は身体を起こし、立ち上がりながらサキュバス様の様子をうかがう。


「くっ……ははは! ざまあないな糞天使! 逆上させてわざと攻撃を食らえば、こうなると思ったけど……まさかあの変態男を煽るだけで上手くいくとはね!」


「むぅ……」


 足元がおぼつかないながらも高らかに笑うサキュバス様に対し、ミルは膝を突いたまま悔しそうな表情を浮かべる。

 ミルがレベル1になってしまった以上、レベル800超えと称するサキュバス様に勝てる道理はない。

 形勢は一気に逆転した。


「さて……今まで散々舐めた真似をしてくれた分、たっぷりお返ししてあげないとね」


「ええい、悪魔のくせに偉そうにして……」


 サキュバス様は嗜虐的な笑みを浮かべながら、大剣を片手にゆっくりと歩き始めた。

 徐々に間合いを詰められる中愚痴をこぼすミルだが、その場から動き出す気配がない。

 もしかしたらレベルが極端に下がった影響で、さっき撃とうとしていた大魔法だけで全ての魔力を消耗しきってしまったせいかもしれない。

 膝を突いた時に、それらしいことを言っていたし。


「まずい……!」


 俺はミルを庇うため、走り寄ろうと――。

 したところで、その意志とは関係なく、身体の動きが硬い石のように止まった。


「これは……!?」


「ふふ……ウチの下僕の分際で、主人に逆らえると思ったのかしら?」


 そんな俺の動きを目に止めたサキュバス様は、こちらを見て笑う。


「そうか、魅了のせいで……!」


「ああ。だというのに、さっきから少し反抗的な態度を取って……もう一度支配し直す必要がありそうだな?」


 そんな言葉とともに、サキュバス様の目が赤く光った。


「しまっ……!」


 やられた、と思った時にはもう遅い。

 俺は魅了の力を持つサキュバス様の瞳を、もろに視界に捉えてしまった。

 駄目だ、ここで我を失ってはミルが殺されてしまう――。

 湧き上がるその焦燥感は、別の感情……サキュバス様への愛おしさと、忠誠心に塗り替えられていき。

 次の瞬間には、他のことなど心から消え去っていた。  


「サキュバス様……いつ見てもお美しい……」


「そうだろうな。ははは……!」


 その場で跪いて忠誠心を示す俺を、サキュバス様は心地よさそうに眺める。


「ぐぬぬ、またしても寝取られ気分を味わうとは……!」


 その光景を見て、ミルもといモブ女はその顔に屈辱の色を滲ませているようだが、もはやどうでもいい。

 俺はサキュバス様だけを見つめて、命令を待つ。


「サキュバス様、なんなりとお申し付けください……」


「よし、なら……お前はそこで、あの天使がミンチになるのを見ていろ」


「……はい」


 俺はサキュバス様の命令通り、身動きが取れずにいる天使の方を見る。

 少女の見た目をしたその人物に対し、さっきまで特別な感情を抱いていたような気がするが……その正体を思い出そうとすると、名状しがたい不快感に襲われる。

 そんな感覚を味合うくらいなら、今はサキュバス様に忠節を尽くす喜びだけに埋め尽くされていたい。


 いや、でも。本当にそれでいいんだろうか。

 ……分からない。

 考えようとする度に、不快感が邪魔をして遮ってくる。


 ――そうこうしている間に、サキュバス様は白装束の少女の眼前に迫っていた。  

 大剣を構え、振り下ろそうとした、その時。

 サキュバス様の背後……誰もいなかったはずのその場所に、突如として猫耳の少女が出現した。


「あなたのスキル、もらった!」


「リナリアちゃん!?」


「な、いつの間に……!」


 完全に不意を突いた猫耳少女は、サキュバス様の背中に手を伸ばして触れた。


「まさか、擬態……!? そうか、スキルドレインを……」 


 面食らっていただったが、背中に触れられてすぐ、がいきなり現れた理由と、自分がされたことの正体を察知する。

 そう。

 リナリアは擬態のスキルを使ってサキュバス様に忍び寄り、スキルドレインによって、サキュバスのスキルを奪ったのだ。

 魅了術のスキルを、俺と交わした打ち合わせ通りに。


「よし、これで……」


 おかげでサキュバスの魅了術に掛けられていた俺は、その支配から解放された。

 さっきまで不自然な快感と煩わしさに苛まれていた心が、一気に晴れやかになる。

 こうなれば、やることは一つだ。


「やってくれたな小娘!」 


「わわっ!」


 サキュバスは標的を変更し、殺意のこもった眼差しをリナリアに向けた。

 そうして、注意が一点にのみ集中した、その隙に。

 俺は全速力で突撃し、サキュバスの真後ろへと迫った。


「うおおお!」


「しまった、お前魅了が解けて……!」


 首だけ振り向きながら驚愕に目を見開くサキュバスの背中に、俺は拳による渾身の一撃を放った。

「がっ……」

 骨が折れるような鈍い感触とともに、サキュバスは勢いよく転がっていき。

 数メートル先で止まると、そのまま倒れて動かなくなった。

 どうやら、意識を失ったらしい。

 これで、長かったダンジョン攻略は完了した。

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