第32話 酒と嫉妬と本音と

 リナリアを起こさないように移動し、焚火の前に座る俺とミル。

 ミルが持ってきたハチミツ酒を飲みながら、リナリアが突発的に猫化してしまったこと、症状を抑えるためにはしばらく人肌に触れている必要があること、だからこそ俺が一緒に寝ていたこと、などを順を追って語り聞かせた。


「そんなことがあったとは……しかし、なぜリナリアちゃんはユッキーの寝袋に潜り込んだのでしょうか。もし私の方に来てくれれば、思う存分もふもふを堪能できたというのに……!」


 ごくり、とカップに入った酒を飲み干しながら、心底悔しがるミル。

 きっと猫化したリナリアは、本能的に回避したんだろう。だってこいつ必死過ぎるし、あからさまに危険だ。

 そんな調子で呆れ返る俺に、ミルは空になったカップを差し出してきた。

 当たり前のように俺がお酌をさせられているのは、この際置いておくとして。


「お前、さっきから飲み過ぎじゃないか?」 


「うるさいですね、いくら飲もうが私の勝手でしょう。ユッキーは大人しくおかわりを注げばいいんです!」


 軽く睨んでくるミルだが、その瞳はとろんとしていて覇気がない。

 頬も上気させていて、すっかり出来上がっているといった感じだ。

 ……なんかこいつ、いつもと様子が違う気がする。


 実は、俺とミルがこうして晩酌をするのは、これが初めてというわけではない。

 ロンドラルに家を買い、一つ屋根の下で暮らすようになってからというもの、気が向いたら夜中に二人で酒を飲む、なんてことをしていたのだ。

 その時のミルは、酔うにしてももっと笑い上戸的な感じで、通常より三割増しくらいでテンションが上がってちょっと面倒くさくなる程度だったのだが。

 今夜はなんというか、荒んでいる気がすると思いながら、俺はハチミツ酒の入ったボトルを手に取り、ミルのカップに酒を注ぐ。


「そもそも、どうしてその時起こしてくれなかったんですか!」


「そりゃあ、俺だってわざわざ自分から厄介ごとの種を背負いたくないからな」


 顔を近づけながら文句を言ってくるミルに対し、俺は少し身を引きながら答える。

 こいつが俺に食って掛かってくるのは日常茶飯事だが……今夜はやけに距離が近い。


「とか言って、本当はここぞとばかりにリナリアちゃんに手を出そうとしてたんじゃないですか?」


「また性犯罪者扱いか……お前はいったい俺をなんだと思ってるんだ」


 毎度のごとく嫌疑をかけてくるミルに、いつもの調子で適当にあしらう俺。

 どうせ否定したところで、またしつこく絡んでくるんだろうと思ったら。


「何って、それはですね……」 


 意外にも、ミルからの追撃はなかった。

 何かを言いかけたきり、黙り込んでしまうミル。

 そして、どういうわけか、そのままじっとこっちを見つめてくる。


 酒で頬が紅潮しているせいだろうか。

 焚火に照らされるその表情からは、艶めかしげな気配が漂っているような……。

 と、柄にもなく、俺が見惚れそうになっていると。


「別に……嫌いとか、そういうわけじゃないんですよ?」


 ミルは俯きがちに目を逸らしながら、呟くようにそう言った。そのまま、気を紛らわすように一口、カップの酒を呷る。


 ……なんだこれは。

 普段と違って、ミルがやけにしおらしい。

 その異変に俺が戸惑っていると、ミルは耳元の髪をかき上げながら、再びその顔を上げて。


「そもそも、疎ましく思っていたら同じ家で暮らしたりしませんし、一緒に行動したりもしませんから」


 真っすぐに、こちらに向けられる視線。俺は、その視線にたじろぎながら。


「いや、でも……それだと、職務放棄になるんじゃないか? お前って、異世界転生した俺をサポートするのが仕事なんだろ?」


 今度はこっちが目を逸らす羽目になりながら、間抜けな質問をする俺。

 一方のミルはその問いに、柔和な表情を浮かべながら答えた。


「その通りですが……サポートの仕事を全うするだけなら、離れた場所で遊びつつ、たまに魔法で連絡寄越す程度で事足りますからね」 


「天使の仕事って、そんな雑でも大丈夫なのかよ……」


 けど、逆に言えば。

 わざわざ俺と一緒にいるミルは、よほどの物好き……ってことになるんだろうか。

 とか考えていたのを、どうやら察したらしい。

 ミルは、はっと何かに気づいたような顔をして。


「最悪の場合はそれでも大丈夫、というだけですからね? 天使は基本的に誠実なので、こうして行動を共にしているのが特別、ってわけじゃありませんから」


「まあ……そうだよな」


 勘違いを正すようなミルの物言いに、俺は釣られるように相槌を打つが。

 やはりどうも、日頃の覇気というか、鋭さが感じられない。 

 疑問に思う俺に対し、ミルは何故か慌てた様子で声を張り上げた。


「と、とは言え私の場合、ユッキーは自分の下僕みたいな存在だと思っているので、目の届く範囲に置いておきたいという意図があったりするのですが!」


「お、おう……?」


 上ずった声に加え、恥じらうような表情を浮かべるミルに、俺はますます困惑する。

 ……今のはもしかして、デレ発言ってやつなのか?

 いや待て。下僕扱い=デレって、冷静に考えたらおかしいような気がする。

 でも、ミルにとってはその限りではないんだろうか。

 俺が自分の考えに確信を持てずにいる中、ミルは勢い任せに酒を一気飲みすると。


「つ、つまりユッキーは私の所有物ってことです!」


 カップをこっちに突き出してお酌を要求しながら、そう宣言した。

 その姿は照れている……と取れなくもないが、ただ酔っ払っているだけにも見える。

 さっきから、いったいどういう風の吹き回しなんだ、こいつは。

 よく分からないが、とりあえずこれ以上飲ませるのは得策ではない。


「もうこの辺にしとけ。酒臭い天使とか、流石にまずいだろ」


 俺がそう諫めると、ミルは不服そうに眉をひそめて。


「ええい、注いでくれないと言うなら、自分で注ぐまでです!」


「あ、おい」


 ミルは俺の手からボトルをひったくると、自分でカップに酒を注ぎ、それを飲み始めた。 


「ったく……二日酔いしても知らないぞ」


「安心してください、天使は二日酔いなんてしません……状態異常は、すべて無効なんです……」


 そんなことを言うミルだが、段々と語気が弱まっているし、重心が定まらないのか上半身がふらふらと揺れている。


「うー……」


 ついにはカップを地面に置き、うなだれるような姿勢で唸り声のようなものを発するのみとなってしまった。

 酔い潰れるまで飲むとか、常に余裕ぶっているミルらしくない。

 ともあれ、今夜はこれでお開きかと思い、俺が片づけを始めようとした、その時。 


「ユッキーは、私の所有物なのに……最近はリナリアちゃんと仲良さそうにして……さっきなんて、一緒に寝てましたし……」


 うなだれたミルが、独り言なのか俺に話しかけているのか分からない呟きを漏らした。

 不満げに、愚痴るようなその口ぶり。

 これはまさか、妬いている……のか?

 だからこそ、今夜は自棄になって大量の酒を飲んでいた、とか。


 ……いやいや、ミルに限ってそんな。

 よりにもよって、死ぬほどレベリングが好きで、実際に死ぬまで引きこもってレベリングして、転生してからもレベリングばかりしている俺を相手にって。

 それほど飲んでいないつもりだったが、俺も酔っているのかもしれない……と思いながら、煌々と燃える焚火を眺めていると。


 不意に、右肩に重みを感じた。

 自発的に寄りかかってきたのか、酔って身体が傾いだだけなのか。


「ユッキーは……私のこと、どう思ってるんですか?」


 真意は不明だが、俺の肩に頭を乗せてきたミルから発せられた問い。 

 ……今度はなんだ。

 「どう思ってる」って、それは、どういう意味で聞いているんだ。

 やっぱり、恋愛的な意味で「異性としてどう思っているか」って話なんだろうか。

 だとしたら俺は、ミルのことを――。


「すぅ……すぅ……」


 隣から、寝息が聞こえてきた。

 どうやら、酔いが回って寝落ちしたらしい。

 人に質問しておきながら、答えを聞く前に寝るとか、相変わらずふざけた奴だ。


「ったく……だから飲み過ぎだって言っただろ」 


 俺の肩を枕代わりにしながら眠るミルを横目で見ながら、俺は呆れ笑いを浮かべるのだった。

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