第30話 猫は寝袋で丸くなる
夜。
結界が破れたり、悪魔(超小物)が現れたり、リナリアが消えたりした騒動の後。
騒動の元凶であったカメレオンは何故かリナリアに懐き、ペットと化した。
それについて「悪魔を身近なところに置いておくなんてとんでもない、今すぐ処分すべきです」と頑なに主張したミルをどうにかなだめた末。
ようやく落ち着いた俺たちは、ミルが魔法で用意したドラム缶的なものに湯を張った、簡易な風呂で順番に入浴した(ミルやリナリアが入浴していた間、俺は理不尽にも全身を縛られ目隠しされていた)。
ともあれそうしてダンジョン探索で掻いた汗を流した後は、それぞれ寝袋に包まり、就寝した……のだが。
――もぞもぞと、何かがすり寄ってくる気配を感じ、寝静まっていた俺の意識は半強制的に起こされた。
何故だろうか。
元々広くはない寝袋の中が、いつにもまして狭い気がする。
窮屈な密着感のせいで、どうにも再び寝付くことができない。
その密着感の正体が気になった俺は、億劫ながらも目を開けて確かめてみることにした。
重い瞼を持ち上げて、視界の先に広がってきたのは。
猫耳をひょこひょこさせて俺の顔をまじまじと見つめる、リナリアだった。
俺と同じ寝袋にすっぽりと収まって、顔だけを覗かせている。
「なっ……!?」
たまらず大声をあげそうになる俺だったが、ギリギリのところで抑えた。
今騒いで、起きてきたミルにこんな状況を見られでもしたら、いつものふざけた超解釈をされ、性犯罪者扱いされてしまう。
よってここは、冷静になることこそが先決。
俺はリナリアと同じ寝袋に収まったまま、一つ、深呼吸。
気を取り直して、小声で話しかけた。
「なあリナリア、これは……?」
「にゃー」
しかしリナリアから返ってきたのは、人間の言葉ではなかった。
「……は?」
「にゃっ」
理解が追い付いていない俺に、上機嫌そうな笑顔と鳴き声で応じるリナリア。
……駄目だ、なんだこれは。意味が分からない。
もしかして、リナリアはふざけているのか。ちょっとしたドッキリみたいなものだろうか。
ああ、多分そういうことだ。
とにかくペースに呑まれず、落ち着くべき。
などと、俺が頭の中で自問自答していると。
「にゃー?」
不意に、リナリアがぺろり、と頬をなめてきた。
「……!!??」
ぞくり、と得体の知れないこそばゆさが、頬から全身を駆け巡った。
俺は声をあげそうになるのを、どうにか我慢する。
……これは、ヤバい。
呑気に同じ寝袋に収まっている場合じゃなかった。
とりあえずここから脱出しないと不味いと判断した俺は、寝袋から這い出ようとするが。
「にゃにゃ!」
逃がすまじとばかりの素早い反応で、リナリアが俺の腰に手を回してしがみついてきた。
「お、おい!?」
こうなると、引きこもってゲームでレベル上げするだけの人生を過ごしてきた俺としては、どう対応していいか分からず挙動不審になるしかない。
俺が身体と脳みそをフリーズさせている間にも、リナリアはにゃーにゃーと鳴きながら更にくっついてくる。
大きくはないが確かに柔らかい二つの密着感。
更には、鼻先をくすぐってくる桜色の髪から仄かに漂う、甘いにおい。
レベリング中にチラチラっとスカートの中身が見えたりはしていたけど、こういうのは体験したことがなかった。
……ともあれ、このままリナリアに好き放題させていたら、間違いが起きかねない。
すり寄るリナリアに気圧されながらも、俺は後ずさる。
と、少し下がったところで、手に何かが当たり、倒れた。
「おっと……」
置いてあったリナリアの鞄にぶつかってしまったようだ。
中に入っていた荷物が、いくつかこぼれ出てくる。
「にゃにゃ!?」
すると散乱する荷物に対し、リナリアが興味深そうな反応を示した。
荷物に……より正確にはその中のあるものに、目を奪われている。
「これが欲しいのか……?」
俺はリナリアが興味を示していたもの……ねこじゃらしのような草を拾い上げ、リナリアの顔に近づけた。
「にゃー……」
リナリアはねこじゃらしをじっと見つめ、ゆっくりと鼻を近づけて……。
「にゃくし!」
盛大にくしゃみをした。
密着していたせいで、小さく身体を震わせた振動が、直に伝わってくる。
「おいおい、大丈夫か?」
「……」
心配して軽く尋ねてみるが、返事はない。
うんともにゃーとも言わないリナリアだったが、全くの無反応というわけでもなかった。
何やら、急に夢から覚めたような、はっとした表情を浮かべている。
そして、俺の顔に目を向けた後、リナリアは自身の状態を確認して。
「っ――!」
みるみる内に、顔から耳まで真っ赤にさせた。
が、未だ俺に密着したまま離れてくれない。
「それで……今のは結局なんだったんだ? それとできれば、離れてくれるとありがたいんだが」
とりあえず俺は、正気を取り戻したらしいリナリアに改めて問いかけた。
リナリアは依然として俺の腰に手を回したまま、こっちを見上げて答える。
「えっと、これはケットシーでも一部の人にだけ現れる症状でね? 衝動的に人肌恋しくなって、自制心が効かなくなって近くの人に甘えちゃうというか……」
「な、なるほど、それは難儀な体質だな。いや、病気みたいなものなのか?」
「どちらにせよ、ねこじゃらしで鼻をくすぐられてくしゃみをすれば、とりあえずは症状が治まるんだけど……」
「けど、なんだ?」
「あくまで一時的なもので、しばらく人肌に触れていないと完全には治まらないから、離れるのは難しいかも」
リナリアは恥ずかしそうに頬を赤らめたまま、説明を終えた。
「そ、そうか……」
俺は戸惑いながらも、納得する。
そのまま、お互い無言になってしまった。
微妙にむず痒くて、やりにくい空気が流れ始める。
が、程なくして、リナリアがその沈黙を破った。
「それで、ね? できればユッキーには、このまま一緒に寝てほしいんだけど、ダメかな」
「は?」
その言葉に、俺は一瞬だけ硬直してから。
「ど、どうしてそうなる」
動揺しながらも、やんわり否定的な言葉を返した。
対するリナリアは、何やら首を傾げて不可解そうな様子を見せてから、「ああ」と納得したような顔をして。
「心配しなくてもミルっちは理解してくれると思うよ? 症状を抑えるためにくっついて寝るだけなら、不倫にはカウントされないはずだし」
「いやだから、俺とあいつは夫婦とかじゃないからな」
斜め上の気遣いをしてくれるリナリアに対し、俺は即座にツッコミを入れる。
「と言うか……そうだ。それこそ一緒に寝るって話なら、俺じゃなくてミルでいいんじゃないか?」
「うーん……」
至極真っ当だと思った俺の提案に、リナリアは意外にも微妙な反応を示した。
「ミルっちはもふもふがどうこうとかで、滅茶苦茶されそうだから……」
少しだけ気まずそうに笑いながら、リナリアはそう言う。
どうやら、ミルにはリナリアをもみくちゃにした前科があるせいで警戒されているらしいが。
「けど……それを言うなら、俺は大丈夫なのか?」
自分で言うのもなんだが、俺はリナリアにとって異性なわけだし、不本意ながらミルからは性獣扱いされていたりするし。
「ユッキーはヘタレっぽいし、安心かなって」
無邪気に笑いながら、リナリアはそんなことを言ってきた。
……なるほど。
生前、まともに女性と目を合わせることすらできなかったり、幼馴染の女の子を俺いじめの主犯に寝取られた経験があったりする哀しみを背負った童貞だったりしたのを、見透かされていたらしい。
「じ、冗談冗談、信頼してるからだよ!」
一人でマイナス思考を働かせる俺を前にして、リナリアは取り繕うようなことを言いながらあははと笑う。
「信頼ねえ……」
ナメられているだけな気もするが、追及したところで俺に得はないからまあいいか。
諦めの境地に達した俺に対し、リナリアは至って真剣な様子で、手を合わせて頼み込んできた。
「とにかく私のためだと思って、お願い!」
「……まあ確かに、あれはなかなかの醜態だったからな」
言いながら、俺は猫化していたリナリアの醜態とも言っていい姿を思い出した。
……さっきは動揺してばかりで余裕がなかったが、今思うとあれはあれでアリかもしれない。
「ユッキー、変なこと考えてない?」
「……い、いや考えてないぞ」
恥ずかしそうにしながらジト目を向けてくるリナリアに対し、俺は一拍遅れて否定する。
「そう? ならいいけど……」
リナリアは微妙に腑に落ちていなさそうな様子だったが、それ以上は何も聞いてこなかった。
結局、半ばなし崩し的な形で一緒に寝ることになった。
俺とリナリアは、改めて二人で同じ寝袋に入る。
「うーん、やっぱりちょっとどきどきするかも」
二人で入るとやや窮屈な寝袋の中、もぞもぞと身体を動かすリナリア。
「止めとくなら今の内だぞ」
「それは……ユッキーも男の人だから、間違いがあるかもってこと?」
俺の忠告に、リナリアはきょとんと小首を傾げ、そのまま少し考えるような素振りを見せてから。
「まあ……それならそれでOKかもね?」
俺の答えを待たずしてそんなことを言いながら、思わせぶりにはにかむリナリアに対し。
どういうつもりなんだと俺が悶々としている間にも、夜は更けていくのであった。
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