06 お水を拝借
クロウの衝撃発言からしばらく。
ナインが色々と考え込んでいる間に、クロウは何故かすやすやと眠っていた。卵の欠片は端にどけてあったので、卵の欠片でケガをする事は無さそうだ。
卵の欠片は、ナインのもっている鞄に収納しておく。かなりレアな素材らしいので。
「いつか役に立ちそうだし、クロウの分の靴を作らなきゃね。材料はさっきと同じでいいかな?」
『いいえ。天使龍ノ履物(秋)であれば、古神木の根ではなく、古神木の枝が必要です。他、材料の個数にも変動があります。……材料が揃っています、作成しますか?』
こてん、と首をかしげて尋ねてくるロキ。ロキは手の平サイズの5頭身で、その姿はデフォルメされていない。しかし、無表情の割にかわいらしい仕草をするものだから、ナインは胸の辺りがキュン、となってしまった。
小さくて見え難いが、ロキはかわいらしいとも、格好いいともとれる中性的な顔立ちをしている。
声や体格は男性なので、性別を間違える事は無さそうなのは幸いか。
「お願い、ロキ」
『了解しました。靴:天使龍ノ履物(秋)の作成を開始……完了』
ナインが承諾すれば、ほぼ一瞬で靴がその場に現れる。
スキル:錬金は、異空間に収納した素材でも、所持していれば使えるらしい。
仕組みが気になるところだが、それより、ナインは完成した靴の方に目が行った。ナインの履いている靴と名称はほぼ同じなのに、見た目がかなり違ったためだった。
ナインの靴はサンダル風。サンダルとブーツを合わせたような、風通しの良い靴だ。
一方。秋バージョンらしいその靴は、サンダル風味のショートブーツ。サンダルほどではないが、風通しが良さそうなデザインの靴だった。
「夏と秋で、こんなに違うんだね」
ナインの呟きに答える者はいない。ロキは感想に対して何かを言う事は無く、クロウは寝ているからだ。だがそこはナインも理解しているところで、特に何かを感じる事も無く、別の物へと視線を向けた。
黄金色の瞳が捉えたのは、上方から絶え間無く流れ出ている水だった。太い枝木の洞のようになっているくぼみに、大量の水が溜まっている。
ほんの少しの曇りも無い、脅威の透明度。美しく煌く泉が、そこにあった。
水源がどこにあるのかと、ナインは再び飛んで、調べてみる。
すると、幹に綺麗な丸い洞ができていて、そこから水が溢れ出していた。
そっと覗いてみれば、大量の『蓋のしまった水瓶』が大量に置かれているではないか。青いガラスみたいな、透明な水瓶で、軽く20個以上はありそうである。
水瓶は、ざっと見渡した限り、2つほどの蓋が無かった。
勢いの弱い噴水のように、水が出ているのはその2つの水瓶からだった。試しにナインが1つ、水瓶の蓋を開けてみれば、ゴポン、と音がして、水瓶から水が溢れる。
下に流れる水の量が増大し、ナインは焦って蓋を閉めた。
下にはクロウがいる。水が増大して、眠っているクロウに何かがあっては危険だ。
ほっと一息ついてから、ナインは水瓶を3つほど取り出した。水はとても貴重なのだから、いくらあっても困らないはずだ。
森に川や湖が見当たらなかった点から、森が生きるために必要な水は全て、ここで賄われている。勇者の宝と違って全て持って行こうとは考えないし、持って行ったところで使いこなせないであろう事は分かりきっていた。
というわけで、3つである。
これで、旅の途中で水が無くなるなどという死活問題は消え去ったわけだ。
「じゃあ、戻ろっか、ロキ」
『はい、ナイン』
ナインはその場を後にする。
その表情は満足そうで、鼻歌交じりに降りていった。
ちなみに。
例の如く、その水瓶は普通じゃなかった。
水が延々と出てくる魔法の水瓶、という不思議な道具は、希少ではあるが見ないほどの物ではない。
しかし、その水瓶は特別製だったのだ。
【 アクエリアスの水瓶 】
水の女神の祝福を受けた水瓶。絶対に壊れない水瓶から、永遠に水が溢れる。その水は口当たりがまろやかな軟水。魔力の回復や傷の治癒などを促し、水瓶から汲んだばかりの水は、ハイエリクサーと呼ばれている。
専用の蓋が閉まらない限り、延々と水が溢れる。
ナインが意図せずとも、彼女の持ち物がどんどん人間離れしていた。これは彼女が望む事と間逆に位置する行動なのだが、それを止める者は誰もいない。
そしてやはり、それに気付くのは相当後になってからの事である。
とにもかくにも一作業終えて、ナインは眠っているクロウの元へと戻ろうとした。
しかしそこで、便利な物を見つけた興奮が冷め、ハッとなる。
「……ねえロキ。今の内に、エニシに聞きたい事があるのだけれど、今は大丈夫かな」
『エニシへ確認中。……応答しました。映像を出しますか?』
「出せるの? お願い」
フォン、という音と共に、A4サイズの紙くらいのウィンドウが現れる。そこには黒い髪に青い瞳の青年がいた。
その手には小さな紙袋に入った、真っ白なお菓子が握られていた。
大福を食べていたようで、口の周りに真っ白な粉が付いている。
『あ、今回は映像付きですか。どうしました? ナインさん』
「単刀直入に言うね。クロウ、えっと、エニシに任された子だけど、私の前世における弟だったの」
『……何ですって』
ウィンドウの向こうのエニシは、目を見開いて驚いた。ついでに、手にしていた大福をポロリ、と落としてしまう。
その表情は、只事ではないことが起こっていると物語っていた。
「何でクロウは死んだの? 私がいた世界のみんなは無事なの? クロウが死んだのは偶然?」
『……私が知っているのは、クロウ君が何故転生したのか。それ以外の事は、調査してみないと何とも言えません』
「じゃあ、クロウが死んだ理由だけでも、教えて!」
ばん、と近くにあった木の幹を叩くナイン。それだけで木全体が揺れたが、ナインがそれを気にする余裕は無かった。
その瞳は、真っ直ぐ、映像内のエニシを睨みつけている。
『……落ち着いて、聞いてくださいね。クロウ君の死因は――
―― 世界の、崩壊です』
「――……っ」
世界の崩壊。
その意味を尋ねるよりも前に、ナインは顔面蒼白になってしまった。
誰がどう聞いても、只事ではない。世界が崩壊するなど、異世界転生よりも遠い話に思えた。
やれ隕石に当たるだの、氷河期が訪れるだの、太陽に飲み込まれて消えるだのと。地球がいつか、星としての機能を失う可能性は何度も聞いていた。
しかし、それらの可能性のどれもが、ナインの生きている内に起こりえない事象だった。隕石はともかく氷河期やら太陽膨張やらは、人間が何代重ねてもほとんど変化の無いものなのだ。
それが、崩壊した。
世界とは、星という単語を示す物ではない。地球を含めた宇宙なども、丸ごと『世界』と呼ばれている。それが、まるごと壊れてしまったと言うのだ。
ナインは細い肩を震わせて、近くの枝に座り込んだ。
「世界の、崩壊って。何で……」
『
「エニシでも?」
『ええ。むしろ、戦闘に不向きな力を持つ僕では、到底太刀打ち出来ないでしょう。僕に出来るのは、魂と魂の間、心と心を繋げる「縁」を結ぶくらいですから』
それでも凄い能力だ、と思わなくもないナイン。しかし話には続きがありそうなので、押し黙っていた。
『もしやと思っていましたが、ナインさんの世界でしたか。ナインさんのご家族の行方は、こちらで捜しておきましょう』
「で、出来るの? 世界、壊れたんでしょ?」
『たしかに、世界の崩壊に巻き込まれた魂は一緒に壊れてしまいますし、世界喰に喰われれば修復は不可能です。しかし今回は対処が速く、世界喰によって失われた魂は全体の5%に満たない。それに、ナインさんのご家族という事であれば、間違い無く転生が行われていますから』
エニシはそう言って、優しく微笑む。
その顔には不安や迷いといったものが無い。神の言う転生とは、前世の記憶を保持したままの転生の事を言うため、ナインの家族が記憶を持ったまま転生した事は間違い無かった。
ナインは、ロキが補足した内容に安堵する。
「えっと、私の家族がこの世界に来ている可能性って、どのくらい?」
『そうですねぇ。まあ、9部9厘というところでしょうか』
意外と高かった。
「じゃあ、一応お父さん達の行方を調べておいて! お願い!」
『もちろんです。その世界には、別の世界へ渡る術も幾つかあるようですし。必要とあらば、会えるように手配しますから……げほっ!』
任せてくれ、と胸を叩くエニシだが、強く叩きすぎたためにむせた。
実に説得力が無い。
『で、では、何か分かり次第ご連絡いたしますね。ナビの……ロキ、ナインさんが人気の無い所へ移動した時に、一度連絡してください。都合がつけば、折り返しますから』
『はい、エニシ様』
これで通信は終了。ロキはエニシの映っていたウィンドウを消した。エニシとの会話が無くなったため、周囲が静寂に包まれる……。
するとナインは鞄に手を突っ込んで、水瓶から水を取り出した。
手でお椀を作り、水を掬い、一気に顔へかける。
夏の暑さの中でも、影になっているその場所は涼しい。風が吹くと濡れた部分が急速に冷たくなり、ナインから僅かばかりの体温を奪って行った。
キンキンに冷えた水が、ナインの髪や服を濡らす。
「ロキ、ドライヤーって錬金で作れるかな」
『作成自体は可能ですが、素材が無いため現時点での製作は不可能です。代替案を提示、ナビスキル:ドライヤーの使用』
「それでお願い」
ポン、という機械じみた軽い音と共に、光で作られたドライヤーが現れる。それは、ナインの使っていたドライヤーに酷似した形状をしており、スイッチを切り替えればすぐに温かい風が送り出される。
ナインは冷えてしまった身体を温めつつ、髪を乾かしていく。
そんなナインが、ドライヤーの騒音に隠すように、呟いた。
「私はお姉ちゃんだもん。弟を心配させちゃ、ダメだよね」
ついでに出してもらった鏡で、身なりを整える。
髪も服もすぐに乾いたが、衝撃の事実を知った後で、表情が強張っていた。
ナインは前世でもよくやっていた、営業スマイルを浮かべる。だが、会った事が無かったとはいえ、それが家族であるクロウにどう映るのか。
子煩悩な両親が写真を燃やしたり捨てたりしていなければ、家には大量に素のナインが写った写真があるはずだ。それを弟であるクロウが見ていないわけが無い。現に、先程もクロウはナインを姉だと認識していた。髪と目の色が変わっていても、姉であると認識してくれたのだ。
10年という歳月のほとんどを過ごした家屋や、あの両親の姿を二度と見られない。それは10歳のナインには、酷な話だった。
転生した人とは話せるかもしれない。だが、それは『親』と呼べるのか?
仮に会えたとして、そこに親子としての絆はあるのか……?
ナインはしばらく、過去の楽しい記憶を引っ張り出す事にした。
自然な笑顔を浮かべられるようになるまで……。
少なくとも、見た目が随分と豹変したはずの自分を、即座に姉だと気付けるクロウが、偽物の笑顔で心配しないように。
ナインは、笑う。
例えようの無い不安に駆られながら。
―― 『お姉ちゃん』だから。
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