10 もう1人のナビ
歩き続けて3日。
3日目でようやく、エリア4への扉を見つけて、くぐった所である。
元の世界の杉に似た木が多い森だが、エリア5と違ってちゃんとした果物や山菜っぽい見た目の野草も、それなりに多く自生している。ナイン達は獣道を作るように、ゆったり歩いていた。
龍の身体は便利なもので、眠気はあっても空腹にはならない。満腹感は食べなければ得られないが、空腹感はどれだけ激しく動いても訪れないのである。
体力もそんなに減らない。むしろ減るそばから回復するという、驚きの生命力を実感した。
ついでに言うなら、眠気はあるが、寝ようと思わなければ眠らずとも支障は無い。
「でも、食べようと思えばお腹が空くし、寝ようと思えば寝られる。これって凄いよね?」
『はい。本来龍は、空腹を知らずに生き、眠る事を知らずに死にます』
「僕達は凄いのですね~」
ちなみに、毒キノコだろうが食べても問題無い事は、ナインもクロウもこの3日で理解していた。見た目は地味でしいたけに似たキノコが、エリア5の中にあったので。
呼吸器官が使用不可能に陥るという、即効性の超猛毒が含まれていたのだが、味と香りは格別だ。だが、普通の人間なら手に触れるだけでもアウトなので、やはり彼等は特別なのである。
毒や麻痺など、バッドステータスと呼ばれる状態は、ナイン達には無縁だ。抗力EXとはそういう事で、この世界にナイン達を脅かす毒物は存在しないのである。もっとも、お酒による酩酊感もバステに含まれるため、今後美味しくお酒を飲もうとすれば、抗力を抑えるなどという芸当が必要だが。
……ナインであれば、お酒を美味しく飲むためだけに、おかしな方向へ努力をするのだろう。
とにもかくにも、ナイン達は概ね楽しみながら歩いていた。
『……緊急信号を受諾しました。ナイン、独立行動の許可を申請します』
突如として、何の脈略も無く、ロキは無表情のままに告げてきた。
唐突な事にナインは目を白黒させる。
「えっと、それは誰からの、どんな信号なの?」
『緊急信号の詳細を申請……成功。付近に転生対象のナビが存在します。情報共有のため、接近を要求しています』
「転生対象、ってもしかして、クロウと同じような人ってこと?!」
ロキは静かに「はい」と答えると、じっとナインの瞳を覗き込む。相変わらずの無表情だが、いつもよりかは感情的な行動だった。
ロキはナインのナビゲーションである。転生者サポートナビゲーション、というのが彼等の正式名称であり、よほどの事が無ければ対象の転生者から離れる事は無い。
もしかすると、他個体との情報共有が義務なのかもしれないが。
それでも、ナインからすれば、ロキは動く辞書でしかなかった。単独行動を要求してくるのは初めてで、困惑してしまったのである。
「えっと、うん。良いと思う。でも、私達も一緒に行って良いかな?」
「僕も、僕以外の人に会いたいのです! ナインお姉ちゃんは転生するタイミングが違っていたので、実感が無いのです」
クロウが目を輝かせるのを見て、たしかに、とナインは頷いた。ナインは、クロウが死んだ10年も前に死んだはずなのだ。本来はその時点で転生しているはずだった。
神様の都合で、クロウと同時期に生まれただけである。
会った事も無いお互いに、家族の絆が感じられたのは奇跡なのだ。
たとえ家族以外でも、見知った人がいた方が、クロウも安心しそうである。ナインはそう思い至った。
『……了承しました。ナイン、クロウ、案内いたします』
「「やった!」」
ナインとクロウは、飛び上がってハイタッチした。
場所はさほど遠くない。ナイン達の足であれば、僅か5分の位置である。ただ、彼等は軽く新幹線を越えるスピードを出す事が出来ることを考えれば、決して近くではないのだが。
何の目印も無く、ロキは獣道も無い道なき道を進んでいく。
妖精の小さな身体で、手入れのされていない自然のままの枝葉を避けていった。
そうして到着したのは、やはり特筆すべき事のない、ザ・森というような場所だった。互いの位置から、ちょうど中央に当たる位置なので、当然である。
『我が名はナビ:ロキ。識別番号:01334』
ロキが名乗りを上げる。ロキの視線はまっすぐ北を向いており、しかしそこには何も無い。
初め、クロウがロキを認識できなかったように、相手もナインやクロウには認識されないように設定しているのだ。
しかしロキが名乗ってから僅か5秒後。テレビに走るノイズのような物が、ナインの視界に入る。ロキのいる、ちょうどナインが立ったくらいの目線上である。
耳障りな音は無く、ただただ静かに、ノイズの中からそれは現れた。
『我が名はナビ:ティーチ。識別番号:55692』
編みこんだふわふわの髪をサイドで纏めたハニーブロンドは、毛先に向かって赤のグラデーションがかかっている。瞳が桃色で、ロキ同様整った容姿である。
肩やヘソ周りが露出する白い服にホットパンツを合わせ、赤いラインの入ったニーハイブーツをはいた、手乗りサイズの少女である。
ただ、ロキとは違い、羽は揚羽蝶のような模様は無い。半透明の白に同じく透明な赤のグラデーションがかかっており、桃色の光が僅かに溢れていた。
ナビ:ティーチは、ロキと同じような無表情でナインの瞳を覗き込む。
しかしすぐにロキへと視線を移し、感情のこもっていない声を発した。
『情報共有を申請します。ナビ:ロキ』
『申請を許可します、ナビ:ティーチ。情報交換を開始します』
ロキとティーチの間に、細い光の線が通る。
更に、線の中央に光の球体が現れ、輝いた。
「綺麗なのです」
「うん」
キラキラとした粒子が空気に解け、やがて球体は小さくなって消えてしまった。線もそれと同時に消え、情報交換が終わったことを示す。
『情報共有を終了しました。ナイン、ナビ:ティーチのマスターに会う事を推奨します』
「ほぇ?」
情報共有が終了した事を告げるロキは、相変わらず無表情のままだ。
しかし、珍しくロキの方からナインに提案してきたのが、ナインにはとても新鮮に感じられた。ナインが困っていて、それに対してロキが提案する事はあるが、今ナインは特段困っている事など無いので。
提案の意味を尋ねるように、ナインはこてりと首をかしげた。
『ナビ:ティーチのマスターが、ナインの関係者である可能性が高いのです』
「私の?」
『はい』
ナビは世界の核と繋がり、世界の情報を得ている。転生者をサポートする機能は元々あるが、それ以外の情報は世界の核から得ているのだ。それ故に生きる辞書と化している。
そんな彼等の持つ世界に関する情報は、所詮は基本に忠実な説明文だ。応用の利かない彼等の情報には、ナビ同士の情報が含まれない。ナビは世界の情報を持っていても、個人情報を覗く機能は無いので。
加えて、本来同じ世界にナビが2人以上いる事は非常に珍しい。
結論を言ってしまえば、ナビ同士がお互いに共有しようとする情報は、知識を蓄える事に通じる。自身とは違うマスターの言動を知り、自分のマスターの支援に活かす。それだけである。
その別のナビからの情報を元に、今回、ロキはティーチのマスターに会う事を推奨してきたのだ。
ロキが勧める時点で、ナインが不利益を被る事のない人格者である事は分かった。
「じゃあ、ティーチに付いていっても良い?」
『はい、ナイン』
「やった! どんな人かな」
「この森にいるなら、人ではない可能性が高いのです」
『はい。ユウトはカテゴリー:人間に含まれません。ナインと同じ、カテゴリー:神獣に含まれます』
「ほぇっ、龍って神獣なの?! それと、ユウトっていう名前なのね!」
ティーチの言葉に驚いたナインだが、ティーチ自身はやはり無表情のままふわふわと移動し始めた。
ナインの疑問に答えてくれたのは、ロキである。
『この世界における龍を含む幾つかの種族が、モンスターではなく神獣と呼ばれる生物にカテゴライズされています。ただし、人間種族の多くは龍以外を神獣と見做していません』
「言い換えると、龍だけは誰からも神獣に見られているって事だよね」
神獣という名から分かるように、少なくとも畏れ崇められる対象に、ナインもクロウも入っているという事だ。
ナインはかなり嫌そうな顔をした。
ナインの願いは、畏れられ、崇められるという言葉とはほぼ反対に位置する物である。だからその表情も当然と言えば当然だ。
ナビ達はそんな彼女の心境に無関心であるが、そこはいつもどおりである。
ナインを静かに慰めるのは、クロウだけだった。
ともあれ、ナイン達はティーチを先頭に森の中をずんずん進んでいく。エリア4の植物は最奥部やエリア5の物より柔らかく、色も少しは明るい。試しにナインが思い切り体当たりすると、みしみしと音を立てて根元から折れかけてしまったので、より慎重に進んでいった。
そういうわけで、またしばらく同じような景色の中を突き進んだ先に……彼はいた。
太陽光の入ってくる、他より明度も彩度も上がった広場。そこにはぽつんと、他とは違う木が植えられている。葉が丸く、柔らかく、赤い実の付いた木だ。
周囲にはふんわりと、嗅ぎ慣れた甘い香りが広がっている。
「……リンゴの香り!」
風にわさわさと揺れる度、真っ赤な果物も揺れた。
枝が揺れた瞬間、その内1つが落ちる。
「いたっ」
ごん、と落ちた音が聞こえると同時に、ナインの視線は木に実ったリンゴから、木の根元で座り込んでいた『青年』に移った。
リンゴに目が行っていたから気付いていなかったが、そこにはもぞもぞと動く物があったのだ。
ナイン達と同じようで違う、白に近い銀色の髪。
土汚れの目立つ白い服。
青色の瞳には、濃い藍色の線が縦に入っている。
彼が視界に入った瞬間、ナインは目を見開いて、ゆっくりと口を開いた。
「……ユウトがいる!」
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