09 もふもふ転生


 男は、強面だった。


 男は、天涯孤独だった。


 男は、子供好きだった。


 ただ公園で、はしゃぐ子供を眺めるだけで警察に通報されたほど。その顔は恐ろしいものだった。


 ひょっとすると、強面ではなかったかもしれない。

 だが全身が火傷で爛れ、切り傷だらけの顔を、不器用に巻かれた包帯で隠しても、それはそれで怖がられるのも無理はなかった。


 だから、男は諦めていた。

 見ているだけで「こう」なのだ。完全な善意だったとしても、ポケットの中にある飴を、はしゃぐ子供達に与える事は決してなかった。

 それこそ、死ぬほど怖がられるだろうから。


 だが、その一生は案外早く終わった。……世界が崩壊し、男は何も無い空間へと放り出されたのだ。


 男は例えようの無い浮遊感に包まれる。それは男だけではなく、崩壊した世界にいた者全てが感じたものだ。強いて言うなら、水中で浮いている時の感覚が近い。


 チカチカと視界が点滅した。

 見た事も無い空間の中、男は察したのだ。自分達のいた世界は崩壊した。自分達は死んでしまったのだ、と。男も、それ以外も、自我を持った者達はすべからく理解した。


 だからこそ、急に視界が輝きだし、重力に身を任せた時、混乱してしまったのだ。


「ごめんねぇ~。完全にこっちの都合だよぉ~。転生希望聞いていくから、答えてねぇ~」


 あまつさえ、のんきな声が聞こえてくると、もう何が何だか分からない。


 円柱型の部屋の中で、男は正座で座っていた。それ以外でも良かったのかもしれないし、そもそも床が石造りで正座には向いていないのだが、ともかく混乱を極めた男は正座していた。


 ランと名乗った彼は、胡坐をかいたままふわふわと浮いている。

 ふわふわ浮くランは銀色の瞳をしていて、薄紫を基調とした、着物のような服を着ていた。日本の着物というよりも、中国の民族衣装、漢服という物に近いかもしれない。


 初め彼を見た時、男は思わず息を呑んだ。

 何故って、彼は宙に浮いているし、髪に混じってふわふわした銀色の狼っぽい耳と、もふもふの尻尾を持っていたからだ。


 ランは、怪しくも見える妖艶な笑みを浮かべていた。


「なりたいものってあるぅ~? あ、イケメンとか、容姿方面でぇ~」

「容姿……? えっと、怖くない見た目になりたい、とか?」


 ランの手には、1枚の紙と、それを載せた木のボード、羽ペンが握られている。

 インク壷はランと同じくふわふわと宙を舞っている。不思議な事に、たとえ壷が逆さまになっても、中身が零れる事はない。インク壷の中身が、波打つ事無く水平を保っているのがまた不思議である。


「なりたいものってぇ~……あ、将来って意味で、なりたいものだよぉ~」

「しょ、将来。そうだな。少なくとも、子供に好かれる自分にはなりたいが」

「じゃあそれでいいねぇ~」


 サラサラと手の中の紙に書き込んでいくラン。次々と質問が飛び出しては、男は律儀に答えて行った。

 顔が怖いだけで、基本的に真面目な男なのだ。


 火傷だって、理科室の危険な薬品が、それを扱っていた教師が転んだ事により窓から放り投げられ、偶然窓の真下にいた男にかかっただけ。


 不運である。


 ナイフの傷は、同じく家庭科の授業でナイフやフォークや竹串などの載ったトレイを、教師が男の前でぶちまけただけ。


 とんでもなく不幸である。


 ……とんでもなく不運で不幸な事を除けば、彼はマトモな生活が出来たかもしれない。


 そう、あの、とんでもなくドジな教師さえいなければ。

 理科室の件も、家庭科室の件も、どちらも同じ教師だというのだから反応に困る。


 故意にやっていないのなら、どうしてこうも男だけが災難に遭うのか?


 とんでもなく不幸な体質だからである!


「あっ、そうだぁ~! 君、来世も人間が良ぃ~? それとも、人間以外が良いのかなぁ~?」

「……」

「望むなら、人間にもなれる人間以外、的な? のも出来るけどぉ~。実際、そんな感じになりたぃ~、っていう子がいたからねぇ~」


 それは言わずもがな、ナインの事だ。男がそれを知る事は無いが、ふと考える。

 人の姿は便利だ。明確な言語でもって会話が出来るのは人間くらいだし、自在に動く5本の指は動物では出来ないような器用な事をこなせる。

 とはいえ、人間の姿だと色々と嫌な事も思い出してしまうので、男には辛い。


「人間になれる人間以外、か。それが出来るなら、それで」

「じゃあさぁ~。欲しい能力って何かあるぅ~?」

「とりあえず、人並みの運が欲しい……」

「はいはぃ~、って、それでいいのぉ? もっとこう、世界一の強さが欲しいとかでも良いんだよぉ~?」

「それで、良い」

「……そ、そぉ? 分かったよぉ~」


 戸惑いながらも、ランは手元の紙に全ての項目を書ききった。書ききった満足感に口元を緩めるが、銀色の瞳を男に向けると、途端に表情を失う。


 ランには、男の表情が分からない。分からないほどに隠れていたからだ。


 ランは人の表情を見るのが好きだ。ランは一応神様で、だからこそ転生対象者に対処するこの仕事を専門にしているほどに。

 だが、その男は顔が見えない。


 転生対象は善人のみが選ばれるため、殺人犯などの悪人は、よっぽどの理由がなければ冥界に送られる。冥界は地獄とも呼ばれる場所で、そこは魂に科せられた罪をそそぐ場所だ。


 ただただ不運な彼が、ただ不幸なだけの『青年』である事は、この場に来ている時点で分かった。

 表情が分からないくせに、雰囲気で感情が読み取れてしまうのが現状である。


 ランにとっては、姿がミイラに近い事くらいしか怖いと思う要素は無い。神様には怖がりもいるが、あいにくランはむしろ、肝試しを純粋に楽しめる側の性格だった。

 そんなランに、青年はただただ構いたくて仕方なくなった。


 ここに来てからずっと、雨に濡れた子犬のように、しょんぼりしているのだ。


「ちょっといいかなぁ~?」

「……何だ」

「ふふっ、これだよぉ~!」


 ランは懐から、銀色に輝く不思議な水晶を取り出した。


「今ねぇ~。品薄だから、ビビッと来た子にあげようと思っていたんだぁ~」

「……はあ」

「転生したら、この子を頼ると良いよぉ~」


 ランは男に、水晶を自ら手渡す。床に降りて、裸足を露わにして。ぺたぺたと音を立てて歩み寄り、そっと男に握らせた。


 爪が伸びた柔らかな手で、ランは彼の手を包み込む。


 ひんやりと冷えた水晶。

 不恰好に巻かれたざらざらの包帯。


 ランはあいにく、幸運の神様ではない。だから、彼を不幸というものから救い出す手段は、あいにく持ち合わせてはいなかった。

 だがそれでも、笑顔で見送らねばならない。それが、転生者を転生させる者の義務なのだから。


 少しでも不安を拭い去り、少しでも不幸が無くなるように、自分よりも高位の神様が手を出してくれる事を切に願うしか出来ない。

 それだけが、ランの笑顔を曇らせる。


「……よい、人生を」


 出来うる限りの優しい言葉を、ランは男にかけた。

 その瞬間、ふんわりとした白い光が男を包み込む。


 刹那の後、ランの手の中から、男の手も、水晶も消えていた。


 ランは男が消えた事を確認すると、再び宙へ浮く。

 それから、どこからか取り出した書類の束に目を通していった。


 その顔には微笑がたたえられている。


「ふふっ。ふふふっ。何だろうなぁ~。凄く、物凄く。楽しみな気分だよぉ~」


 上機嫌なまま、ランは紙の束をパラパラとめくっていく。

 パラパラ、パラパラパラ。

 最後の一枚になろうとした次の瞬間、ランの瞳が強く光り、紙の束から1枚が引き抜かれた。

 そこには、顔写真や白紙のリストが書かれている。


 書類の束をどこかへとしまいこみ、ランは先程まで男のいた場所へ振り向いた。


 そして――


「―― ごめんねぇ~。完全にこっちの都合だよぉ~。転生希望聞いていくから、答えてねぇ~」



 気が付けば、男は深い緑色の中にいた。

 キョロキョロと見回しても、やはり深い緑色しかない。ついでに、視界はぼやけてしまっている。目をこすろうとして、ようやく別の色が目に入った。


 銀色だ。

 髪で言う、プラチナに近い色だ。ぼやけているせいで白にしか見えないような、銀色だ。


 驚いている内に、視界は少しずつ輪郭を持ち始める。何度か瞬きを繰り返せば、その光景が見覚えのあるものだと気が付いた。


 杉や柊などの、刺々しい葉の低木に囲まれているのだ。

 そこが森であるらしい事は、男にも分かった。男は1人になりたい時、よくこういうちょっとした隠れ家を見つけて、静かに眠るのが好きだったから。


 改めて周囲を確認する。林の外を見ようにも、身体が思うように動かない。なので、低木に囲まれている事しか分からない。


 次に自身の事を思い返す。

 転生した。それも、人間以外に。あの妙な少年の言葉を信じるなら、そうなる。

 それを否応無く一瞬で理解させるのが、自分の姿だった。


 男が目をこすろうとしていた手は、もふもふの毛に覆われている上に、人らしからぬ黒くて鋭い爪が生えていたから。

 それは狼や犬に見られるもので、足裏にはぷにぷにの肉球がある。


 男は、鏡も水面も無いが、何と無く「あ、イヌ科っぽい」くらいには察した。


『その通りです、マイマスター:ユウト』


 男は不意に聞こえてきた声に、ビクリと肩を跳ねさせる。何せ周囲を見渡した時には、自分以外に生き物が見当たらなかったのだから。

 男は再度、周囲を見渡した。しかしやはり、自分以外は見当たらない。


『マスターの行動理由を推測……完了。ナビの捜索と予測。解決法を検索……ナビの可視化による解決例が1件存在します。ナビの容姿設定を開始……完了』


 何が起こっているのか分からないが、とりあえず勝手に話が進んでいる事は男にも理解できた。

 やがて慌てふためく男の前に、1つの人影が姿を現す。


『提案、ナビスキル:ミラーオブジェクトの使用』


 自己紹介も無しに、見るからに妖精の姿をした小さな少女が、男の鼻先に現れる。


 何の兆候も無しに現れたそれは、大きさは15センチかそこらだが、かわいらしい整った容姿の美少女である。そこに蝶の羽が付いていた。

 もちろん、そんな物が急に眼前に現れて、驚かない者はいない。


 男の場合、魔法や超常現象の類が全く存在していない世界からやってきたのだ。ランとのやりとりで幾らか慣れたかもしれないが、この場でそれらの耐性は全くもって発揮されなかった。

 男は、その場で腹を見せて失神してしまったのである。



 彼の名前は―永宮 悠都ナガミヤ ユウト―。


 彼の生まれた場所は、自然迷宮:古神木の聖なる森である。


 はたして、そこに生まれたのが神様の意思だったのか……それは、誰にも分からない。


 ただ1つ補足するならば。



 ―― 彼が、元・ナインのクラスメイトであった事だろうか。



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