08 森を出よっか

「森を出よっか」


 朝一番、起き抜け一発目のナインの発言が、これだった。

 それはもう、素晴らしいドヤ顔だった。


 食料が無くても特にお腹は減らない身体だったので、朝食は無い。食料も無いのでそもそも朝食など準備できないのが現実だが。


 というわけで、2人は無言のまま石鹸無しの洗顔と、簡単な髪の手入れを済ませた。

 完全に水滴が無くなったところで、ナインとクロウは見詰め合うように正座する。


 そこでようやく発された一言目が、これだったのだ。

 何の脈絡も無い一言に、クロウはというと。


「ほぇ?」


 と、かわいらしく首を傾げるくらいしか、出来なかった。



 ナイン達が生まれてから、実に2日が経っていた。その間は、クロウに飛び方を指導したり、さりげなく食料を集めようとしたりしていたナイン。

 いつの間にか、調理スキルⅠを進呈されていたので、試したかったのである。


 しかし、食料になりそうなものは、聖白百合と水くらいしか見つけられなかった。果物1つ無かったのである。どうやって木が増えているのかと疑問を抱くが、無い物はしょうがない。


 最悪の場合は卵の殻を食べようとまで考えていたが、一向に空腹感が生まれなかった。

 とはいえ、人生、もとい龍生を満喫しようとするならば、美味しい食事は必須である。それならば、まずは食料がある場所へ移動しなければと思い至ったのだ。


 ちなみに森の出口であるが。彼等は飛ぶ練習中に、それらしきところを見つけていた。

 古神木から一定距離を離れると、透明なガラスのような壁に突き当たる。そこはナインの精一杯のパンチでも砕けることが無く、空からの脱出も進入も不可能なのだ。


 ただ唯一、壊れかけた遺跡の端であれば、潜り抜けられる事が分かった。石造りのアーチで、その先には黒い葉の生い茂る不気味な森に続いていたが。

 不気味すぎて近寄りたくなかったので、2日もの間放置していたと言うわけだ。


 ただ、このままここにいてもする事は無いし、今は大丈夫でもいつかはお腹が空くかもしれないので。


「というわけで、森を出よう!」

「おー、なのです!」


 2人は元気良く走り出した。


 飛ぶコツさえ分かってしまえば、実は翼を出さなくても飛べる事に気が付いたのだがそこは雰囲気だ。翼をはためかせて、大空へと飛び立つ。

 青空の中を悠然と飛び、風を切って遺跡の端まで移動する。本気を出せば一瞬で着けるので、ゆっくりと飛び回った。


 元の世界の記憶があるとはいえ、この世界での生まれ故郷は、まさしくこの場所である。いつでも帰ってこられるかもしれないが、下手をすると帰ってこられないかもしれない。今の内に景色を目に焼き付けようと、ゆっくりたっぷり飛び回った。


 そうしてようやく、彼等は遺跡の端に降り立つ。


「……行こう」

「はいなのです」


 アーチの外に出れば、おどろおどろしい森が広がっている。

 飛べるのだから、木を飛び越えて空へ出れば良いという事は……彼等も気付いていた。


 気付いていたが、黒い木は幹や枝、葉に至るまで棘がはえている。ナイン達の身体スペックであればまず傷付く事は無いのだろう。だが、気分的にわざわざ掻き分けてでも進みたいとは思えない程度には、視覚的にインパクトのある樹林なのだ。


 というわけで。

 夏なのか分からないし、時間的に夜でもないが。


「レッツ、肝試しぃー!」

「た、楽しそうなのですよぅ……」

「あれっ、クロウは怖いの、だめ? 出てくるのは多分、幽霊じゃなくてモンスターだと思うけど?」

「実際に被害が出る分、幽霊より怖いのですよ?!」


 ロキに確認してみれば、古神木に最も近いエリアは、森の中でも最も強いモンスターが出るという。だがそんな事はナインにとって、危険でも何でも無い。


 さすがに、ナインの守力を上回る攻撃力を持っているモンスターであれば危ない。のだが、やはりというかそんなに強いモンスターがいるわけでもないというのがロキの回答だった。

 ロキの出す答えは正確である。性格ゆえに応用が利かないのは愛嬌だ。ナインはそう思う事にした。


「まず、人がいるところを目指そう。こういうトゲトゲの木も、ある程度進めば無くなると思うし。そうしたら木に登って、人がいそうな場所を探そう」

「飛べば速いのです……」

「あっ、そうだね。じゃ、トゲトゲが無くなったら飛ぼう!」

「ですぅ……」


 ガタガタぶるぶると、ナインの後ろでナインの腕をしっかと握るクロウ。クロウのステータスは、ナインより幾らか低いが、それでもそこは龍なのだ。4~5メートルはある岩をも持ち上げられる力なので、ふつうだったら腕が使い物にならなくなるだろう。


 ここだけの話。愚者の腕輪は1つ……というわけではなく、5つセットで古びた箱に入っていたので、ナインはそれを1つだけ、クロウにプレゼントしようと考えていた。

 さすがにこの怪力を素で出してしまうと、人として旅行が出来なくなってしまう。


 それはつまり、美味しい料理と楽しい旅が台無しになるという事なのだ。


 とはいえ、今は危険な森の中だ。愚者の腕輪は、身に着けるというか持っているだけで効果を発揮する。その効能は、ナインでさえ身体を鍛えた冒険者よりもちょっと強いぐらいに抑えてしまう。

 それは、危険なダンジョンでは命取りだ。


 少なくとも、生きている普通の人が現れるまでは、鞄の中で眠っているだろう。


「ナインお姉ちゃん」

「ん、なぁに?」

「また、戻ってこられるなのです?」

「私には地図化のスキルがあるから、道を辿ればいつでも戻ってこられるよ。それがダメでも、ロキに聞けば大丈夫!」

「……ほぇ?」


 ナインは自信満々に話すが、クロウは怪訝な表情で首をかしげた。

 この2日間で、ナインはクロウに様々な事を教えた。飛び方の他にも、スキルが何なのか。その使い方などを教えてある。なので、彼が発した疑問の声は、地図化に対するものではないはずだ。


 地図化について、ナインはしっかりとクロウに教えてある。むしろ自慢して聞かせたので、記憶力の良いクロウならばちゃんと覚えているはずなのだ。

 では、何に対する疑問なのか?


「お姉ちゃん。その『ロキ』って何なのです?」

「え? ロキはロキだけど……」


 そこまで言って、ナインはハッとなる。一応喋るし、動くし、精巧な人形より綺麗な容姿だが、ロキは本来生命体ではないのだ。

 転生したナインを支える能力を持つ、自由意志の存在しない『動く辞書』である。


 そんなロキだからこそ、ナイン以外に見えていなくとも不思議ではなかった。

 そういうわけで。ナインは早速、ナイン達の斜め上を飛んでいるロキを一瞥した。


「ねえロキ。ロキって、もしかして私以外には見えない感じ?」

『解答します。今現在、ナビ:ロキの姿は、ナイン以外不可視の状態に設定中です』

「ええっ! それ本当?!」


 てくてく歩きながら独り言を叫ぶナイン。

 そう、傍から見れば大きすぎる独り言なのだ。小さい子供が、人形に対して何かしら喋るという事はまあありえるが、ナインは見た目も精神も10歳である。もうそんな小さい子供ではない。

 加えて、話しかけているのは虚空である。


 人形があればまだ分かった。

 だが、独り言の対象が何も無いので、クロウはますます眉間のしわを深めるだけだった。


『提案。ナビ:ロキの不可視設定の条件緩和』

「よく分からないけど、とりあえず、クロウには見えるようにしてあげて」

『はい』


 ……。

 …………。

 ………………。


 数秒、ナインは黙り込んだが、ロキが『はい』と言ってから変化が見られない。光る事もなければ、何かを操作するような動作も無い。

 あまりに何も無いので、ナインは目をこすったり、頭を掻いたりしてみる。


「えっと。見えるようになったの?」

『はい』


 ナインには最初から見えているのだから、変化するわけがない。そして変化は、いつも目に見えるわけではない。だからこそ、ナインも思わず聞いてしまったのだ。

 ロキは淡々と、変わらず無表情で答える。その肯定に反応したのは、ナインだけではなかった。


「誰か返事したのですよ?!」

『初めまして、クロウ。ナインのサポートナビゲーションを勤めております、ロキと申します。今後とも、どうぞよろしくお願いします』

「あ、えっ。ご、ご丁寧にどうも、なのです?」


 クロウは、かなり見当違いな方向へぺこりと頭を下げた。ナインの視線を確かめていなかったようだ。


 ロキは丁寧な台詞の割に、無表情で棒立ち(飛んではいるが)のままだ。言葉と態度がちぐはぐなのは、まあロキなのでしょうがない。


「クロウ。こっち」

「ほぇっ。あっ、妖精さんなのですぅう?!」


 いつまでも声だけで通すのも無理がありそうなので、ナインは早々にクロウの視線をロキに合わせてやった。ロキは妖精ではないが、その弁解はまた今度だ。

 急な紹介で混乱しているクロウに、これ以上混乱すると分かりきった情報を渡したくない。


 代わりに、ロキがナインの耳に囁いた。


『話は変わりますが。ナイン』

「何?」

『付近にモンスターが多数存在します。ランクはいずれもB+。お気を付けください』


 言われて、ナインはキョロキョロと辺りを見回した。しかしナインは、鬱蒼と茂る森の中に、未だ自分達以外の生き物を発見できずにいる。

 このランクというのは、モンスターの脅威度を分かりやすく分けた物だ。もちろん人間が作った指標であり、その脅威は、必ずしも攻撃力に比例する物ではない。


「B+って、具体的にはどのくらいの強さなの?」

『モンスターごとに特化能力が異なりますが、現在細くしているモンスターの特徴は怪力です。スピードは無いので、逃げ切る方が良いでしょう』

「それって、私の守力を超える感じ?」

『いいえ。しかし、数が多いので走って撒いた方が効率的です』


 某モンスター討伐系ゲームでは、モンスターの素材を持って帰って売る事で金銭を稼いでいた。また素材を使った武器やアイテムなどもあった。

 この世界で、モンスターの素材が売れるのか。そもそも素材が取れるのか。それをロキに尋ねてみる。


『売れますが、目立ちたくないのであれば持ち歩かない方が良いでしょう』

「目立つとは」

『この付近のモンスター素材は、この世界にまだ流通していません。そもそもエリア3以降に立ち入った者が、歴史上に存在しませんので』


 ふむふむ、とロキの説明に頷くナインだが、1点だけ引っかかる部分があった。


「エリアとかあるの? ハイ説明!」

『このダンジョンは、入り口付近から最奥部へ至るまでに、5つのエリアを抜ける必要があります。また、エリア間を抜ける扉が存在し、扉の内と外では様相が一変します。現在地はエリア5です』


 最奥部とエリア5を繋ぐ扉は、扉というよりもアーチだった。

 風化で開ける部分が朽ちたか、それとも元からアーチだったのか。そこはナイン達には分からない。


 だが、エリア3でさえ人が抜けられないのだから、エリア5だというこの場所の素材を持っていってしまえば……。


「目立つねぇ」

「目立つのです」


 ナインとクロウは、まるで双子のようにそっくりな顔で、同じような苦笑を浮かべる。

 クロウは、ナインと会った事はなくても、ナインの家族だった。だからこそ、彼女が何を思って転生したのかを察している。

 ナインの願いが、とりあえず『目立つ』という事と全く違う事は、察せてしまった。


 だからクロウも、ナインと同じ表情になってしまったのだ。


「避けていこっか」

「避けていくのです」

「じゃ、走ろっか!」

「走っていくのです!」


 魔族でも攻略不可能と言われたダンジョンを、2つの小さな人影が走り抜ける。

 尋常ではない速さで駆け抜ける彼等は、それでも草木を傷付けないよう、細心の注意を払っていた。余裕の表れに、彼等は常に会話していた。


 一方は、その会話を純粋に楽しんでいた。片割れは恐怖を紛らわすためだったようだが……それがどちらだったのかは、近くで見ていたモンスターには分からない。


 それはひとえに、彼等が速すぎたからである。

 たとえ知能が高くとも、あれでは目で追う事も出来なかっただろう。


 ただ。

 そう、ただ。


 彼等に比べてゆっくりとではあるが、追いかける影があった。

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