第二章 何か違う。という話
16 歴史に載る時
リミは、小鳥のさえずりに目を覚ました。
爽やかな、それでいてひんやりと冷たい空気が流れ、草花の香りが漂ってくる。目覚めはとても良い方であった。
と同時に、煩わしい筋肉痛の事や、兄妹達の件を思い出して、気分は憂鬱へと変わってしまう。
ケガは綺麗さっぱり治っていたものの、立ち上がる事すら出来ないほどの筋肉痛なのだ。動かない分にはマシなのだが。
その場の空気などから考えれば、時刻は朝。
リミは周囲を見回した。
すると、白いレンガで組まれた壁が目に入り、同時に、自身が立派なつくりのベッドに寝かされていた事を知る。
新しい木の香り。ベッドに使われている素材は麻、綿など。寝具にとって最も大事な寝心地だけを考慮して作られた、見た目が質素なベッドである。
ふとんや枕はふかふかで、色の付いていない自然なままの色味に、申し訳程度の刺繍が施されている。何よりマットレスは、ぐっと押し込むと反発してくる、いわゆる低反発性を持った物。
リミの価値観において、間違いなく最高級品であった。
しばらくベッドの触り心地にうっとりしていたリミだが、ようやく気付いた事がある。
足が、痛くない。
「筋肉痛が、無くなった?」
リミの足は、突発的な酷使と奇跡的な治癒でかなり負担がかかってしまっていた。
筋肉痛は回復魔法で治せるものが多いのだが、リミの筋肉痛は、疲労から来るものではない。体力を回復させる回復魔法、傷を癒す回復魔法のどちらともが、絶妙に「作用しない」ものだったのだ。
こればかりは時間経過でしか治らないと、リミもあの小屋に着くまでに教えてもらっている。だからこそ今、その筋肉痛が全く感じられない事に違和感を抱いた。
慌てて日付を確認しようとするが、そこにカレンダーのような物はなく、そもそも時計すらない。
朝である事は雰囲気で分かるが、その感覚さえ疑い始めていた。
リミはおそるおそる、ベッドから出てみる。すると、ツルツルとした感触の、いわゆるフローリングが目に入った。
この世界では、家に入ったら靴を脱ぐという習慣が主流である。とはいえ荒く削られた石の床を、厚手の靴下で歩くのが普通だ。フローリングという物の普及が進んでおらず、リミはそれを見るのも初めてだ。
塵1つ無い綺麗な床に、リミは思わず、どこの豪邸なのだろうと混乱した。
華美な装飾こそないが、その部屋にある設備は間違いなく高級住宅のそれである。感覚ではつい先程まで兄妹の死に立ち会う環境だったのが、まるで嘘のよう。
リミは困惑から立ち直れないまま、視界に入った木で出来た扉を開け放つ。
するとそこは、外……ではなく、廊下だった。
リミの部屋にもあったが、扉を開けたすぐ先には窓があり、光が差し込んでいる。木の窓枠で横にスライドさせて開くタイプの窓は開け放たれており、心地よい風がリミの頬を撫でた。
「……あ、ぅ」
窓から外を見れば、リミのいる建物と同じような白いレンガで汲まれた家が幾つも並んだ町が見えた。
見下ろせてしまった。
2階、いや、3階の高さに、リミはいたのだ。
リミのいた教会は2階建てで、リミのような孤児は地下に押し込められて過ごす。3階は神様に最も近い者が住む場所であり、それは教皇の事であった。
ひどく場違いな場所にいるのでは。
リミは目を瞬かせて、廊下を見回す。
階段を見つけなければならない。見つけて、下に行かなければ。行って、ここの主に謝罪しなければと、慌てて廊下の端に向かって走り出した。
が。
「きゃぅっ」
軽く蹴っただけで、10メートル以上はあった廊下を走りきってしまい、壁に激突してしまった。
「あ、あうぅ」
それほど強く当たったわけではなく、新たなケガを作る事は無かった。だがそこで、リミは再び困惑してしまった。先程からありえない事ばかりが続いているのだ。
いっそ夢だといってくれれば信じてしまいそうなほどの、ありえなさなのである。
しかし、夢にしてはハッキリとした痛みを感じる。
ありえない事が連続で起こっているが、痛みだけは現実を意識させてきた。
「あ、リミが起きた!」
更に、そこが現実であると確定付けるものが、そこにいた。
何を隠そうナインちゃんである。
ナインは今なお困惑しているリミに、横から突進を仕掛けた。もちろん手加減を使った人並みのタックルだが、困惑に彩られたリミには特攻ダメージが入ってしまう。
しかしそれでHPが削られるという事はない。
何せ今のリミは、ただの人間ではないのだから。
「あー、よかった。リミってば、一週間も眠りっぱなしだったから。このまま起きないんじゃないかって、噂になっちゃったよ?」
「……いっしゅうかん……?」
「うん! 一週間! 元々疲れていたところに、強制睡眠魔法を使ったからね。ある意味当然だったかな」
いっしゅうかん。その単語をぐるぐると頭の中で旋回させて、リミがその言葉を噛み砕いて飲み込んだのは、10分も呆然とした後だった。
「一週間って、えっ。あの。ここってまさか……」
「うん? あ、場所は全く変わっていないよ? 高さは変わっちゃったけど、景色の良い場所にしようって思ったら、建物の高さが3階になっちゃって」
場所は全く変わっていない。
その言葉も、理解するのに時間がかかるリミ。
一週間。ただそれだけで、あの焼け跡だらけの土地が活気ある町並みに変わったというのか。
先程目覚めたばかりだというのに、リミは再び意識を失った。今度は魔法なんかの手を借りていない。ただ単に、ありえないデタラメが、物事を理解できる容量限界を突破してしまっただけ。
そこから更に3日も寝込んでしまうリミだった。
しかしいつまでも寝込んでいるリミではない。リミは一応、物分かりの良い子なのだ。
これが、物分かりがほんの少し良い程度で受け入れられるかはさておき。
体調が戻った3日後、リミは改めてナイン達の話を聞いた。
そこで聞いた事を纏めると、こうだ。
時は10日前。要するに、リミ達が変化した少し後まで遡る。龍達はルミとロダンがモンスター化の危機から脱した事を素直に喜び、宴の準備に取り掛かっていた。
さすがにリミ達が起きるまでは宴を延期させようという案が出てからというもの、この10日間、ずっと準備を進めているのだ。宴の規模がどの程度になっているのかは、ナインでさえ把握していなかった。
さて、リミ達の事情は一旦横に置いておくとして。
リミ達が一応、変化を終えた後の事だ。
ナインはデコボコになった龍の里を見渡して、頷き、呟いた。
「うん、お城を建てよう」
「「「何でそうなった?!」」」
周囲で建物の修復作業を、今正に行おうとしていた龍も含めて。全員がナインの呟きにツッコミを入れていた。口調は違っても、クロウも同じように驚いていた。
「や、だって。見るからにこの里って不便そうだし」
「な、何が、でしょう?」
ナインにおそるおそる尋ねたのは、あのもさもさ長老だ。
龍は、食べ物も、睡眠も、本来必要としない種族。であれば、排泄行為は無く、トイレの設備、ベッドの質も悪くなる。必要ない技術というのは、どこの世界でも廃れがちなのだ。
排泄行為が魔法でどうとでもなる世界というのも、トイレの技術が発展しない理由だった。水洗トイレなどは無く、あってもただの穴が空いているだけという最悪の環境だった。
人間用に用意されていた物も、いわゆるボットントイレである。
ナインとしては、たしかにトイレに行きたい感じは全く無いものの、美味しい物を食べればトイレが必要になるのでは、と考えた。
そこから色々と。それはもう色々と考えた結果、城を造ろうなどという、ぶっ飛んだ思想が生まれたのである。
「事情は全く聞いていないけど、ここが簡素な造りの里だったというのは、ちょっと、今回の暴挙を許したきっかけになったと思うの」
「と、言いますと?」
「龍は全生物中最強の種族。それを信じない宗教団体。宗教団体はこの里を、龍の里だと分かっていて攻撃した。龍の里は元々簡素な造りの家が建てられているだけで、一目で龍だと分かる者はいなかった……。
龍の里が攻撃されたのは、エリア3を人間達が突破したいという思想と、龍という種族を根絶したい宗教団体の利害が一致した結果なの。ただ、龍の里と聞けば、本来なら誰もが怯む場所のはず。それがひっそりとした、田舎同然の町並みだったら……。
私だったら、だけど。人間側に何の利益も無さそうな場所に、上手い具合に大量のターゲットが密集しているっていう状況は、格好の餌場だと思うの」
ナインの言葉につばを飲み込む者は多かった。龍達にとってはただ暮らすためだけに作った里が、自分達の平穏に終止符を打ったという事実を噛み締めたのだ。
生活に便利さを求めているわけではない。
だが、自分達が『龍』という種族である自覚が足りない。
そうナインは説こうとしていたのだ。
彼女は一呼吸置いて、再び語り始める。
「だから、見た目だけでも良い。できれば中身も伴った、龍という種族にふさわしい場所を作るべきだよ。今私が言ったお城は、多分、最低限になると思う」
「城が最低限、か。たしかに、巨大で強固な建造物なら、一目で作り手の能力を窺える」
それがたとえ見掛け倒しだとしても、見た目というのは案外以上に重要なのだ。
ナインに続いたユウトの言葉に、納得の声を上げる者が数名いた。それ以外も頷いてみせる。
「まぁ、ぶっちゃけお城は見た目だけ豪華にしてくれればいいの。中身は、ただ崩れないように作るだけ。見た目だけのお城より、住人が住む城下町の方が気がかりかな」
「どういう事なのです?」
「うん。お城は多分、本当にハリボテになると思う。使う人が少なすぎて、運用にまで手が回らないから。つまり、本命は住人が住むための住宅街。頑丈かつ、いざという時、たとえば今回の襲撃みたいな事があった時、逃走手段を組み込みたい」
「ああ、隠し通路みたいな物なのです?」
「もしくは下水の通路かな」
トイレを作る際、下水道という名目で地下に通路を作る。
そこを非常時に使える通路にすれば、後は各家をつなげれば良いだけだ。
現状下水道のお世話になりそうなのは、ナイン達数名。湿り気やこもったカビのニオイはともかく、いわゆる排泄物や汚染水は別枠で下水道を作れば問題ない。
「水源には水瓶を使えば問題ないし、建物の基礎とかは魔法で楽々作れるし。うん、意外と簡単に建物とかは出来上がると思う!」
「建築関係の知識は皆無だが、さすがに質量保存の法則が働くだろうな……。必要な材料があれば運ぼう。龍よりは劣るかもしれないが、力仕事は得意だ」
「僕も手伝うのです! お城のデザインとか、考えるのです!」
「ふむ、新たな住処が頑丈になる分には構いますまい! 皆、ナイン殿の意見を尊重し、新たな里を築こうではないか!」
長老の一声で、里の隅々から雄叫びがあがった。
更に、既に話を見越して材料を集めに行った者もおり、また道中マグマガメ(仮)の死体を見つけて持って来た者も現れる。
こうしてみんなでがんばって……。
今に、至る。
リミが知恵熱で寝込んでしまった間にも建造物は増え、幾本もの木が伐採されて、里は元の里よりも随分広く、豪華になった。
ちなみに、伐採した木はテーブルやイスなどの家具となった。そうでないものはナインの鞄に大事にしまってある。いずれ使う予定だ。
ともあれ、超絶短期間で、龍の里は完全復活を果たしたのだ。
この再生力に驚愕し、一時的に魂が抜けてしまった者は多かった。
それはリミであり。
様子を見に来た、例の宗教団体に所属する司教であり。
偶然迷宮へ攻略に来ていた冒険者ギルドの長であり。
異変を察知して訪れた龍の一種であり……。
城を建て終わったその日。
この里は、里と呼べる規模ではない小国を築いていく。
歴史書にこの国の名前が記載されるまでに、そう時間はかからなかった。
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