05 九楼


 エニシからの依頼を受けてから、10分。


 ナインはまだ、木の根元にいた。


 すぐにでも向かいたいところではあるが、これと言って凹凸の無い、それも太すぎて壁と化している大樹の幹だ。登るのは至難の業だった。


 ナインの脚力などを活かせば、あるいは。そう考えて、一度助走を付けて垂直に登ってみようと考えるものの、途中で勢いが無くなって、木の3分の1にも満たない高さで落ちてしまう。

 まあ、垂直の壁を軽く50メートルは登ってみせた時点で、普通ではないのだが。

 どれだけ凄い事をしていても、得たいものとは違う結果になっているので意味は無い。


 そこで、龍の姿になろうと考えた。龍と言えば蛇みたいな姿とか、羽のはえたとかげとかを思いつく。その姿ならば、人の姿よりも楽に木を登れるのではないかと考えたのだ。


 早速人化の術を解いてみる。


 服が脱げることは無く、ぼぅん、という効果音と共に真っ白な煙に包まれるナイン。

 煙が晴れると、ナインの視界は人の姿の時よりも低く、人間の子供くらいになっていた。もしかすると、それよりも低くなっているかもしれない。


 二足歩行がしにくい足、鋭い爪のあるふわふわの手。

 そして、人の時には無かった、背中の違和感。


「うーん、鏡が見たい」


 鏡でなくとも水があれば、とは思ったが、今のところ水は見つけられていないのだ。湖、泉、海の類は、見渡す限り見つけられなかった。生き物は水が無ければ生きていけないので、出来る限り早めに見つけたいものだ。


 ちなみに、魔法で出せれば楽ではないかと思い至っても、魔法の使い方がさっぱり分からなかった。

 ロキに聞いてみたのだが。


『体内の魔力を放出し、精霊に命令式を提示する事で発動できます。体内の魔力を精霊に譲渡する事で任意の魔法へ変換され、使用分の魔力は減少します』


 である。


 もっと簡単に説明してほしいとは思うが、それがロキの限界だった。簡単に、初心者でも分かりやすく。そんな風に伝えるには『動く辞書』でしかないロキでは難しかったのだ。


 ナインはロキから魔法の使用方法を聞きだすのを早々に諦める。

 何が悪いのか全く分かっていないロキは、無表情に首をひねった。


 それから、5秒後。


『提案。ナビスキル:ミラーオブジェクトの発動』

「ハイ説明!」


 既に何度も、ナインの知らない単語を幾つも発しているロキだ。ナインは、知らない単語が出たらすぐにロキに訊ねるようにした。

 聞き返す事が段々楽しくなってきているのは内緒だ。


『転生者サポートナビゲーションには、あらゆる機能が搭載されています。現在ナインが必要としている鏡と同じ効果を発揮する、ミラーオブジェクトの発動を推奨します』

「じゃあそれで!」


 ロキが承諾すれば、ステータスウィンドウが開く時と同じような音がする。すると、表面がぴかぴかの、金属板みたいな物が出てきた。姿見くらいの大きさで、鏡には小さくなったナインの全身はすっぽりと収まっている。


 ふわふわの毛に包まれた身体。手足には真っ白で金属的な光沢を持つ鋭い爪。鳥とライオンなどを混ぜたような発達した足に、5本指だが人間の物とは明らかに異なる手。

 口は幅広な鷹の嘴のようになっている。目は白目が少なく、濃いオレンジ色の縦線が入った、薄い金色の瞳が輝く。よくイラストに描かれている羊のような巻角は真っ白だ。


 そして、白鳥よりも真っ白な翼。


「かわいいけど、かわいくない」


 強そうなドラゴンのイメージからすれば、かわいいのだろう。毛はふわふわで、触り心地は良い方。だが人間の姿で見慣れている身としては、素直にかわいいと言い切れなかった。


 かわいいが、かわいくない。

 それは、ナインの率直な感想だった。


 そこで思いついたのが、人化の術を発動させて、翼以外を人の姿にするという方法である。

 そうすれば、見た目はもう、天使! という感じであった。前世では耳にたこが出来るほど天使だ妖精だともてはやされたが、これで本当に、天使と呼ばれてもおかしくはない風貌になったわけだ。


 そしてそこで、初めて、ナインは自身の『今の』姿を目にする。

 サラサラな純白の髪に、猫のように縦線の入った金色の瞳。真っ白な肌もあいまって、顔立ち以外は外人と化していた。

 そのせいか、天使のような翼がよく似合っているのは幸いか。


 ちなみに、これは部分人化という術の応用だ。しかし人の容姿が半分以上を占める上体だと、スキル名は部分龍化なのでは? と、ナインは疑問を浮かべる。

 そうすると、ロキが派生スキル:部分龍化を作成してしまった。


 『動く辞書』は、変な所で臨機応変だった。


 そんなやり取りをロキとした後、ナインは早速翼を広げる。ナインが持つスキル:龍の本能のおかげか、飛び方は何と無く理解できた。

 翼は、軽くはためかす程度でナインを持ち上げる。そのままゆっくりと、それはもうゆっくりと地面から離れれば、ナインの表情は段々と明るくなっていく。


「楽しい!」


 と、満面の笑みを浮かべるナインがそこにいた。


 飛んでる!


 それは、まだ10歳でしかないナインの心を躍らせるには、充分すぎる感動だった。

 人は元来飛べる種族ではない。

 それが、飛行機もヘリコプターも使わず、生身で自由に空を飛べているのだ。ホバリングも、旋回も、その場での一回転も。元の世界では鳥でも出来なかった事を、異世界でナインが実現できている。


 まるで水の中で泳ぐ魚のように、ナインは空を翔けた。


「ひゃっほぉー」


 ナインは思わず叫ぶが、それで満足したのか、視線を上へと向ける。エニシとの約束があるのだ。ナインがいたちょうど真上部分は、すぐそこである。


 太い木々の隙間に身体を滑らせ、青く輝く葉の間をすり抜けて。

 辿り着いたのは、不自然に枝も葉も無い広場だ。平らな床は太い枝で、それより太い幹に隣接していた。幹付近に空いたくぼみに溜まるように、上から水が流れ込み、広場の近くは泉と化している。


 今まで見つけられなかった水だ。見た事も無いほどに透明で、近付くだけでひんやりとした湿り気のある空気が感じられる。水道水にある塩素の香りは全くせず、それが完全に無添加である事がおのずと理解させられた。


 そこから離れたところに、ナインは発見する。

 ナインと同じように聖白百合に包まれていた、真っ白な卵。それは既に割れ、欠片が周囲に散らばっていた。中から出たらしい少年は、そこに放心状態で座り込んでいた。


「ほぇ?」


 少年はナインに気付くと、小首をかしげる。


「貴方、お名前は?」

「……クロウ、なのです」

「クロウ?」


 ナインはあごに指を当てて考える。英語でカラスを表す単語だ。カラスは、アルビノと呼ばれる変異種を除いて黒いため、真っ白な見た目には合わない。

 もっとも、変異種であるアルビノは、色素が薄いために真っ白なのだが。


「数字の九に、花の桜。それで、九楼なのです。ナインお姉ちゃんの、弟なのですよ」

「ほぇ?」


 ナインはクロウに名乗っていない。

 しかし、クロウは何故か、ナインの名前を呼んだ。


 今度はナインの方が小首を傾げると、クロウは目をこすって立ち上がる。背丈はナインと同じくらいで、ナインと同じく真っ白な髪と金色の瞳をした美少年である。

 彼もまた、顔立ちだけは日本人だった。クロウの字が九楼という事は、日本人ではありそうだ。


「えっと、うん、龍としてはたしかにお姉ちゃんだけど」

「龍? 僕は龍なのです? そうじゃなくて、ナインお姉ちゃんの弟なのです。写真をよく見ていたので、すぐ分かったのですよ」


 ニコニコと朗らかな笑みを浮かべるクロウ。ふわふわした雰囲気を纏ったその少年の言葉は、かなり衝撃的で、その場がしんと静まってしまう。

 ナインはそれまでほんの少しも出なかった汗をだらだらと流し、クロウを上から下まで舐めるように観察する。そうして出した結論が「ああ、たしかに」だった。


 髪も目も日本人ではないが、髪質や、何より顔のパーツが、ナインの家族に瓜二つだったのだから。



 彼の名前はクロウ。

 ―詩兎九楼ウタウ クロウ―。


 正真正銘、ナインにとっての 『前世における』 弟である。

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