51 無垢か邪悪か
「ナイン、ナイン!」
顔を青ざめさせながら、ユウトは叫ぶ。
腕の中では、ナインが力無く横たわっていた。
大規模な歌魔法の行使は、幾らナインといえど、かなりの負担があったらしい。
これまで、冗談でもユウトの目の前で倒れた事など無かった。それこそ前世の頃から見せた事の無い弱気な姿に、狼狽せざるを得なかったのだ。
しかし、当のナインは、ユウトの腕の中でへらりと笑って見せる。
「そんな大きな声じゃなくても、聞こえるよ?」
「じゃあこれだけ言わせろ。紛らわしい倒れ方はするなよ!」
「この状況でそれ?!」
ナインは露骨にショックを受けたように目を潤ませる。
しかしこれでも、それほど精神的ダメージは負っていない。
こんな状況だからこそ、いつもどおりの反応を返してくれたのだ。ナインもそれが分かっているから、ツッコミも笑顔で出来た。
そんなやり取りをはらはらしながら、ふわふわ浮かぶ少女が見つめる。
「……だ、大丈夫みたいね。はぁ」
「うんうん、大丈夫。えへへ、心配してくれてありがとね?」
「なっ、ななな、心配なんかしていないわ! ちょっと胸の辺りがドキドキして、背中の辺りがそわそわしただけよ!」
それが心配しているという事なのだが。とは、誰も言わない。
ツンデレ気質なこの少女には、何を言ってもシャーッ、と猫のような威嚇をしながら、少女が憤慨されるだけだろうからだ。
ただ、その気質を早々に見破った周囲の眼差しは、中途半端に優しかった。
それこそ、彼女の琴線に触れる程度には。
「何見てんのよぅ! 私はこんな、誘拐犯まがいな奴等の事なんて、少しも心配していないんだからぁ!」
「いや、どの口がそれを言う」
「私のはちょとした悪戯だもん! ただ、あの手の魔法は初めて使うから、その。加減が出来なくて……」
声が段々尻すぼみに小さくなっていく。最後の方は聞き取れないほどに小さく、それがまた庇護欲を誘う真っ赤な顔と下から目線にウルウル涙目というフルコンボ。
これをわざとやっていたならともかく、希少で貴重な天然あざとかわいいポーズだった。
男性の大半は何も言えなくなっていた。
女性の一部も同様である。
「うわー、破壊力がえげつない」
「何よ、攻撃魔法なんて使っていないわよぅ」
「魔法の話じゃないからねー。うん、とりあえず言わせて。貴方はそのままでいてほしいな」
「???」
ナインの作り笑いと言葉に、少女は疑問符を浮かべる。
少女は腕を組んで、ナインの言葉の意味を理解しようと奮闘した。が、結局分からなかったらしい。雲に横たわって、頬をむくれさせる。
その姿がまた妙にあざといのだが、それは言わぬが花である。
つい今しがたナインが投げかけた言葉こそが、真理なのだ。
「ルルリエリル様が、何故ここに……」
「? るる、何と仰いました?」
「ルルリエリル様、です。闇の属性を持つ子ですので、ここから遠く離れた草木咲かぬ土地に隔離されているはずなのです。いつの間に、ここへ」
サゼンタが頬に手を当てて小首を傾げる。
シュンが聞き取れなかった部分を訪ねると、サゼンタは目を細めて返してくれた。
元々凛々しい顔つきなので、睨んでいるようにも見える。しかしそれは、明らかに困っている、混乱しているといった様子だ。
少女の耳が、ピクリと動いた。
「それ、もしかして私の名前?」
「え? あ、はい」
「初めて聞いたわ! そう、私ってルル……何とかっていうのね! 呼びづらいし覚え難いけれど、思っていたよりかわいい名前だったわ。後で何回か聞かせて、覚えるから!」
「は、はぁ」
少女、ルルリエリルは雲を、満面の笑みを浮かべながらぽふぽふと叩いた。黒い綿菓子のような雲の欠片が、宙にはじけては溶けていく。
興奮しきったルルリエリルは、ナインの方を向いた。
「というか、私って名前があったのね。ナイン、私、名前があったわよ!」
「うん、聞こえた。ルルリエリルかぁ。リリィみたいでかわいい名前だなー」
「そうでしょう、そうでしょう! 私、きちんと覚えて見せるわ。だって、私の名前だもの!」
きゃあきゃあと嬉しそうに笑うルルリエリルに、場がほっこりする。
つい先程までの緊迫感が嘘のように消え去っていた。
「それにしても、どうしましょう」
しかし、サゼンタが放ったその言葉に、空気は再び緊張を帯び始める。
全員の視線が、エルフの女性へと注がれた。
「すぐにでも降り注いだ闇の結晶をどうにかしなければ。今はまだ平気ですが、そのままにしておくと大地に闇が吸収されてしまうのです」
「そうなると、あれか。その土地では作物が育たなくなると」
「はい……」
まだ、闇の結晶の脅威は消えていない。
本来であれば、ルルリエリルが地下ダンジョンに落とした者達が対処し、被害が最小限に抑えられていたはず。それが、ルルリエリルの悪ふざけによってかなり大きな被害となってしまったのだ。
いつもなら住人が1人1つずつ集めればすぐ回収できるはずだった闇の結晶も、大量に、かつ超広範囲に散らばってしまっている。
モンスターが出る森にまで落ちているだろう。
少なくとも、即時回収は出来なさそうだった。
そもそも、桃の月の最高戦力、ルナ・ノア最高戦力のどちらも地下のダンジョンに閉じ込められている。これではすぐに問題を解決するなど、出来るはずも無かった。
「むぅ。分かったわよぅ。とりあえず、桃の月全体に散らばった闇の結晶? っていうのがあると、サゼンタもラルメアちゃんも困るのよね?」
「……まぁ、そうなります」
「要するに、ザザッてやってギューッてしてポイってやればいいのよね?」
「……そう、なります?」
擬音語ばかりの意味不明な説明に、サゼンタは眉間にシワを寄せる。
言っている意味が分からない。
彼女でなくとも、誰もその言葉の意味が――
「あー、なるほどね。集めてから、闇の属性の魔力だったか瘴気だったかを抜いて、結晶そのものは捨てれば良いのか。頭いい~」
はい、ここに分かる人がいました!
ナインはしきりに感心し、頷く。
「でも、ルルちゃんに出来るの?」
「ルルちゃん?! ……いいわね、その呼び方。ええ、出来るわよ!」
「そう? 手伝える事があったら言ってね、ルルちゃん!」
「ふ、ふふん。良いわ、手伝える事なんて、無いでしょうけどね! そこで見ているが良いわ!」
ふわわっ、と、ルルの乗った雲がゆっくり移動し始める。バンッ、と勢い良く開かれた窓から彼女は出て行き、そのまま上空へと浮かび上がった。
そのまま、ルルは両手を広げる。
「闇よ~来い~ここに来い~……」
詠唱も何も無い、ただ念じているだけのようにしか見えない様子に、一同はハラハラしながら見守る。
中でも、サゼンタは特に慌てていた。
余裕の無い切羽詰った表情を隠す事も無く、窓から身を乗り出している。
ユウトはナインをお姫様抱っこで運びながら、普通に扉から外へ出た。こちらの方がより近くで、ルルリエリルが今からする事を観察できる。
「数多の生きとし生けるものを避け、来い~、来い~闇よ来い~……!」
それっぽい言葉の羅列。
だが、それこそがこの世界の不思議な力を起こす鍵でもある。
魔法とは、とても小さな存在、精霊を使役し、起こす奇跡だ。発動のための明確なイメージ、あるいは具体的な命令文。そして必要量以上の魔力を精霊に与える事で、魔法は発動する。
ルルリエリルの場合、イメージ、言葉、そして魔力のどれもが必要量に達していた。
そのため、きちんと、魔法は発動する。
ナイン達の近くに落ちてきていた闇の結晶が、ふわり、と浮かぶ。
遠くの大地でも同じ事が起こっているらしい。耳を済ませれば、突如として浮き上がる闇の結晶に驚く、他の宮の者が騒いでいる音が聞こえてきた。
「闇よ、来い、来い、来い! 集まれ、固まれ、全部纏まっちゃえー!」
ふわふわと浮かび、ルルリエリルよりも上空へ舞い上がったそれらは、彼女の号令に従い、一気に彼女の目の前に集中し始める。
衝突する音と、甲高い鈴のような音が鳴り響く。
すると、集まった闇の結晶と、超スピードで飛んできたために発生した光の軌跡が何とも言えない美しい光景を生み出した。
闇と光……本来相反するはずの2つの属性が共演する、普通なら見られない光景だ。
やがてそれは、大きな黒い結晶へと変わる。
全長100メートルでも足りないような、大きすぎる結晶。どこからも見上げる大きさのそれを、ルルリエリルが作り出したのだ。
月の全土から集められ、くっ付けられたそれは、とても邪悪な黒色をしていた。
たとえこの月の植物でなくとも、見ているだけで生気が吸い取られそうな錯覚さえ覚える。
「う~……っ」
結晶が、揺れる。その度に空気も揺れ、ゴゴゴゴゴ……という音が響いた。
「お~も~いぃ~!」
ルルリエリルの腕が、プルプルと震える。魔力の量などは問題ないのだが、何を間違えたか、結晶の重さが一部、ルルリエリルにのしかかっているようだ。
だが、結晶は地上50メートルほども上空に浮かんでいる。ここで落とせば、ある意味被害は最悪のブルとなるだろう。
それが分かっているからこそ、ルルリエリルも何とか移動させようと深く意識を集中していた。
「よ、横に、うごけぇえ~……!」
ゴゴゴ、ゴゴ、ゴゴゴゴゴ……。かつて森の最奥にあった扉を開けたときよりも、音も規模も大きいな。そんな事を考えながら、ナインは見守る。
少しずつ降下させながら、もうすぐ世界会議の会場を通過しようとした、その時。
「あ」
ルルリエリルが操作を間違ったらしい。
「あ」
ナインの目の前で、巨大な闇の結晶が。
「あ」
世界会議用の建物に、突き刺さった。
ユウトの声を最後に、しばらく、その場に沈黙が下りた。
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