25 笑顔は嬉しい時にこそ


 時は龍祭り5日目の朝。

 城のテラスには、非常に穏やかな空気が流れていた。


 テラスは美しい水が流れ、魔力のみで育つ花が置かれている。土の匂いがせず、テラスには花の香りが漂っていた。


 しかしそこに流れているのは花の香りだけではない。

 バターの甘い香りと紅茶の香ばしさが混じった、何とも食欲をそそる上品な香りも溢れていた。


 ナインがふわふわとろとろなオムレツをご所望したからである。


 ぷっくり膨れた、綺麗な黄色のオムレツ。幾つもの鶏卵――鳥型モンスターの卵――を使い、大量の牛乳――牛っぽい動物のお乳――を使い、パセリ――によく似た植物――を散らした一品だ。


 ふわっふわの、とろっとろな舌触りと、彼女好みの甘く、濃厚な味に、ナインは唸る。


 幸せそうな笑顔で、ゆっくり、丁寧に、一口ずつ。

 しかし冷めてはもったいないので、存外速く食べ進める。

 はふはふと火傷しそうになりつつも、すぐに無くなってしまいそうなペースだ。



 あっつあつのそれを口にするごとに、ナインの頬が赤く染まる。

 美味しさに悶える彼女は、何口目かで唇をぺろりと舐め、また唸る。


 日除けの大きな傘の下、一口食べるごとに満面の笑みを浮かべる様子を見て、側近達は安堵した。





 2日目の夜、急いだおかげで何とか花火開始には間に合ったナインは、実にご機嫌だった。

 ひとまず満足できたのか、3日目からは屋台から買ってきた物を大人しく食べてくれたのだ。1日目の夜から既に外へ抜け出していたため、起床を確かめるメイドは気が休まらなかっただろう。

 しかし今朝、すやすやとベッドで眠る少女を見て、腰が抜けるほど安堵していた。


 一国の主が、国家創立の2日目から行方不明など。

 普通は。ありえないのだから。


 そう、普通は。


「ふふ、うふふ。ふふん」


 異世界特有の食材ばかりがある中、卵と牛乳があったのは幸いだった。

 鶏と牛は、ナイン達が元いた世界とまぁまぁ同じ姿をして飼われていたのだ。鶏はモンスターだったが。おかげで乳製品の一部は手に入り、こうしてふわとろオムレツが作れたわけだ。


 それを餌に、1日お城にいることを約束させなければ、今頃まだ行方不明のままだっただろう。


 もっとも、ケチャップはまだ再現不可能なのだが。

 とはいえ今この場に緩やかな空気が流れているのは、ユウトの交渉が功を奏したからなのだった。


 しかし、平穏は長く続かなかった。


「ナイン殿! ……おお、戻ったというのは誠であったか!」


 ドタバタと騒がしい音を立てて、オウレンディアスが入ってきたのである。

 優雅なひと時に余計な水を差す行為であるが、ナインは持ち前の営業スマイルを浮かべた。


 何せ、今のナインは超ご機嫌だから。

 何せ、お昼もユウトが作る美味しいご飯が約束されているから!


 ナインは口元をさっと拭って、入ってきたオウレンディアスへと身体を向ける。


 さすがに、食事中に立つのはマナー違反だと思い至って、立ち上がりはしなかった。互いに身分は王族であるため、出来うる限りマナーは守らなければならない。


 もっとも、ある程度の無作法なら許されるが。

 主に、オウレンディアスが甘いので。


「あら、オウレンディアス様。朝にお会いする予定はありませんでしたが、何かご用向きが?」

「食事中に申し訳ありません。しかし火急の件であり……昨日、お伺いいたしたのですが」

「それは申し訳ありません。お急ぎではありますでしょうが、こちらで食事をご一緒いたしませんか。城の料理人はとても良い腕を持っていますの」

「それは……! 光栄です」


 オウレンディアスの来訪は急だったため、食事の用意はされていない。材料はあるのですぐに取り掛かればすぐに作れるだろう。


 ナインは近くにいたシュンへ、視線を送らずに手を振って合図した。それだけでシュンは内容を理解し、厨房でまかないを作っているであろうユウトの元へと足早に向かった。

 客がいない場では効率最優先で走り抜けるが、別の国の王がいる前で走るわけにも行かない。

 ナインが予想しているよりもずっと、料理は遅く運ばれてくるだろう。


 それを見越して、オウレンディアスはシュンが完全に見えなくなった時点で話を切り出した。


「用件ですが、まず、ナイン様がどの程度、この世界に詳しいのかをお聞きしたい」

「と、言いますと?」

「ナイン様は、この世界。ルナ・ノアに浮かぶ月の全てに、代表者がいる事をご存知なのでしょうか?」

「……いいえ。初めてお聞きする事ですわ」


 空に浮かぶ月は、それ1つで世界そのものである。という事は、エニシからもロキからも聞いて知っていたナイン。

 しかしその月1つにつき1人ずつ代表者がいるなど、聞いた事は無かった。

 その答えを予想していたのだろう。オウレンディアスは小さく頷く。


「この世界は幾つもの世界が連なった、とても大きな世界。故に、一定期間ごとに、1つの月につき1人ずつ立てられた代表のみで集まる、世界間会議が開催されるのです」

「まあ。では、オウレンディアス様もその会議に?」

「ええ、私はこの月の隣。黒の月から夫も遠い『白の月』の代表者なのです」


 オウレンディアスの月は、他の世界から見ると誰も踏んでいない雪のように真っ白に見える。加えて黒の月から最も遠いため、誰からとも無く『白の月』と呼ばれていた。


 他の月も同様に、それぞれ色で呼ばれている。

 黒、白と来れば、色で呼び分けた方が分かりやすいからであった。


 幸い、どの月も色が被っていないのだ。


「では、この月は何色ですの?」

「銀です」

「銀、ですか?」


 ナインの問い返しに、オウレンディアスは「ええ」と簡潔に答える。

 うっそうと茂る青々とした森からは、およそ考え付かない色である。しかしふと思い返せば、ナイン達の生まれた大木は、その周囲に植えられた木々諸共、青白く輝いていた。

 見ようによっては銀と言える。


「以前から『銀の月』には人間が住んでおりましたが、危険なダンジョンでもありましたから。国という形は取っておらず、代表を立てる必要性は無かった」


 しかし今は違う。

 先日、アステラーザ龍王国が出来たことで、この世界から。ひいてはアステラーザ龍王国という場所から代表者を立てる必要があった。


 規模は随分と大きいが、元の世界でも世界全土の国の代表者が集まる場はあったのだ。

 国家間を世界間に変えただけのものだと、ナインはムリヤリ飲み込む。


「代表は、国王で無ければなりませんの?」

「そのような取り決めはございませんが、代表に王が来るのは暗黙の規則という事にはなっております。また、その側近が2名会議に参加し、護衛は4名。その他料理人などを含めれば何名でも構いません。会議そのものに参加するのは、代表を含めた7名ですね」

「料理人というのは」

「会議は10日間行われるのです。世界間の情報を集め、また交渉ごとをするための時間が殆どですがね。その間、自分の食事はもちろんの事、他国の賓客をもてなす場もありますので」


 ふむ、と、ナインは考える。

 政治に関する事はちんぷんかんぷんだが、他の世界の料理を食べられるかもしれない、と。


 また、今アステラーザに入ってきている外国産の珍しい食べ物の他に、別の月に関する面白そうな情報も手に入るかもしれない、と。


 ナインは笑みを深めて、オウレンディアスを見つめる。


「代表には、どのようにしてなるのです?」

「こちらから招待状をお送りいたします。既に用意しておりますので、そちらへサインを。次の会議は10日後となっておりますが、いかがでしょう?」

「人手不足ではありますが……大丈夫でしょう。量は無くとも質がありますから」


 ナインは、ちらりとリミを一瞥する。そうすれば、リミは緊張の欠片も感じさせずに丁寧なお辞儀を返した。一瞬の躊躇いもなく、流れるような所作を見せ付けるように、堂々と。

 それを見たオウレンディアスは一瞬驚き、次に笑みを浮かべる。


「これは。心配は杞憂に終わりそうですな。万が一間に合わなければ、こちらの私兵を、と考えていたのですが。必要無さそうです」

「ふふ、素晴らしいでしょう? 彼女は側近ですが、同時に護衛にもなりますのよ」


 完全なアドリブから、冷静な態度を崩さないリミの評価は確実に上がっていた。主に、オウレンディアスという一国の王の中で。


 リミがどのような人物なのかは、オウレンディアスもある程度調べ上げた。


 彼女が元ヒュミアの亜人だという事も。

 彼女が元ハルバンナ教に所属していた孤児だった事も。

 彼女の好物がユウトお手製のクッキーだというこ……ごほん。


 元ヒュミア、それも教会に捨てられた孤児。それが龍の力を得、たった1ヶ月でここまで洗練された身のこなしが出来るのか。

 オウレンディアスは改めて、龍の恐ろしさを噛み締める。


 畏敬の念を深め、心に刻む。

 リミ本人の才能と努力あっての美しい所作である。そして、その所作を身に付けさせる事の出来る『力』と『知識』を有するナイン本人に、オウレンディアスは神の威光を見出した。


 あながち間違ってはいない。


 ナインとリミを邂逅させたのは、他でもない、神であるエニシの力が作用しているので。

 オウレンディアスの視線が熱っぽさを帯び始めたところで、オムレツが到着した。


 彼がユウトのオムレツ中毒になるまで、残り3分ほどであった。


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