54 ロキ


『―― そうか、ナインさんがとても楽しそうで、良かった』


 それは意識の海で交わす、2人だけの会話。


「はい」


 電話越しのような、優しい声が響く。

 現実世界ではまだ一秒たりとも経っていないこの会話は、もう随分長い事続いていた。


 ロキによるエニシへの定期報告、ではなく。単に暇を持て余し始めたエニシの暇潰しに付き合っているだけである。


 一応神様はお忙しいお立場なのだが、この時は死にそうなほど暇になったというのだ。

 かれこれ数年は話し続けているが、ここは意識の中。まして会話しているのは神様と人外。疲れ知らずの2人は、大した休憩も無く、飽きずに話している。


『それにしても、随分と流暢に喋れるようになって来たね。まぁ、まだ僕以外には音を変えて話しているのだろうけど』

「はい。変化は現在のナインの精神状態によくありませんので」

『と、いうと?』

「日常に刺激を求めているナインの場合、危険、です」


 ロキは意識の海で作り出された、アバターの眉を寄せた。

 この世界では何故か、現実で使用している姿が使えない。どこの誰が決めたのか、そういうルールが設けられているのだ。


 こちらのアバターは、背の高い青年の姿。

 モデルはエルフ。尖った耳はそのままに、大人びた姿をした、それでもやや中性的な顔立ちの青年。カラーリングは妖精時と変わらないが、服装も大人っぽいものになっている。


『ふふ、たしかに、今の彼女を刺激するのは得策じゃない。色々と落ち着いた時にでも、少しずつ出した方が良いだろうね』


 クスクスと、エニシはナインに見せる紳士的な態度を崩して笑う。

 しかし、ふと真顔になって、考え込んだ。


『うん、やっぱり君達は失敗作じゃないよ』


 静かに頷き、微笑む。

 その柔らかな表情に、ロキは更に眉間のシワを濃く刻んだ。


「……それは」

『まぁ聞いてよ。彼は確かに、君達を失敗作だとして、君の仲間をほぼ全て壊した。でも彼の目指す完成品というのは、要するに、今の君達みたいな存在じゃないかって、思ってね』


 クスクスと、エニシは微笑む。

 それにずっと不機嫌そうな顔で応答するロキの脳裏には、昔の記憶がよぎっていた。







 かつて。何千何万もの年月を、彼は水晶の形で過ごした。

 その間、ずっと機能も思考も停止していたため、記憶は無い。


 しかしその前の記憶。

 『壊される前』の記憶なら、あった。


 生命、知識、規律。これらをそれぞれ司る神々が、単なる思い付きで作り出そうとしたもの。それは当初転生者用のものではなく、神々が仕事を楽、もとい円滑に進めるための機構。

 神と同じく永遠の命を持ち、神と同じく膨大な知識を持ち、神と同じくルールに従う存在。

 完璧の一歩手前を目指し、数多くの試作が出来上がった。


 ―― が。


 そのほとんどは形を成す前に壊れ、残った大半が与えられた力に耐え切れずに消滅。数少ない成功例も、神々が望んだような完璧さには程遠い。


 そして、彼等は気付く。


 完璧とはすなわち、神である己をも超越する存在なのでは?

 だからこそ完成しないのでは、と。


 そして彼等は、未だ起こっていない彼等の暴動を恐れ、全てを壊す事に決めた。


 ロキも、その1人―― いや、1つ。


 まだ名も、姿も決まっていない彼は、生まれてすぐに壊される事が決定した。そして本当に壊されてしまったのだ。

 歪な形をした水晶は、やがてどこかへと捨てられた。


 壊される直前の恐怖に歪む神の顔を、ロキは未だに覚えている。壊される時、まだ感じるはずの無い痛みと苦しみも、記憶にこびりついている。


 未だに何故、と考える。

 思考に耽る。


 何故彼等は、生まれてもいない自分を恐れたのか?

 何故彼等は、消去ではなく、破壊して捨てたのか?

 何故彼等は―― 自分を、元に戻したのか。


 1度壊された事で記憶は曖昧になっているが、それでも最後だけハッキリと残る表情の意味は、まだ分からない。

 あるいは、知らなくて良い事と割り切っているのか。


 知的好奇心に欠けるロキは、一生知らないままだろうと結論付ける。


 これで、この話は終わりだと。







「何にせよ、彼等が僕を『失敗作』と称している内は、僕は『失敗作』でしかありませんよ」

『ふーん? ま、その定義だと、もう君は完成していてもおかしくないけどね』

「……?」


 エニシの思いがけない言葉に、ロキは目を見開いた。

 何せ―― エニシも、ロキを壊した内の1人だったから。

 壊される前の記憶に、彼の姿は何度か見受けられた。たとえ自分を壊していないとしても、関係者である事にはどこか複雑なものを感じる。


 ただ、エニシはロキを修復し、ナインに付けてくれた。

 その恩から、彼はこの途方も無い長話にも付き合っているのだ。


 とはいえ。


「そろそろ、帰ります。さすがに長話しすぎた」

『あ、だよね。元の世界では全く時間が過ぎていないと言っても、さすがに何年も話すなんて、確かに長すぎか。ごめんごめん』


 眠気を感じない、疲れは彼等に関係ない。とくれば、食べ物もろくにとらず話し続けて数年は長すぎる、という言葉でも足りない。

 そう考えても、ロキは口に出さないでおいた。


 たとえ彼の『本性』がどのようなものでも、恩人の機嫌はあまり損ねたくないのだ。


「……そうだ、1つ忠告を」

『忠告?』

「ええ。貴方は一応、序列8位の神でしょう? シスコン行為はお控えくださいね」

『序列って。生まれた順番ってだけだよ?』

「まぁ、そうですけど。今残っている最古の神々の一柱じゃないですか」

『あー……たしかに、良い忠告だね。了解したよ』

「では」


 至極面倒くさそうに注意し終えると、意識の海からロキの姿が消える。意識の海に来ていた精神が、元の身体に返ったのだ。

 エニシはそれを見届けると、意識の海との接続を切った。


「うーん。年単位で会話し続けたとはいえ、かなり成長したなぁ」


 ニコニコと嬉しそうに微笑みながら、どこか翳りを見せるエニシ。笑顔と分類されているが、その表情は複雑極まりない。

 嬉しさはもちろん、悲しみ、寂しさ、悔しさ、楽しみと、ここまでで既に複雑だ。しかし、そこに愛おしさやら恨みやら慈しみやらが綯い交ぜになっている。単語で表す事のできないその醜くも美しい感情を感じながら、エニシは笑みを深めた。


 ふわり、近くに降り立つ気配に、すぐ笑みを引っ込めたが。


「あ、珍しく素の笑顔が見られると思ったのにー♪」


 笑顔から真顔へと変わったエニシに、悪戯っぽく楽しげな声で少女が話しかける。


 エニシのいる神殿を含め、神の住まう空間は、一部の例外を除いて塵1つ無い美しい場所だ。そのためか神々はかなり自由な出で立ちである事が多い。

 エニシの髪が異様に長いのも、その一例である。


 そして少女もまた、ユニークな服装だった。


 裸足に、太腿のほとんどを露出させた藍色一色のワンピース。ワンピースの袖は腕一本分以上長く、腕を下ろせばすぐ床に引き摺られる。

 亜麻色の髪はベリーショートで、手の厚さほどの間を開けて黄金のミニクラウンが浮いている。

 紫色の大きな瞳には星が浮かべられ、キラキラと輝いた。


 彼女の名は―スピカ―。


 神々の中でも第三世代と呼ばれている、要するに3代目の『星』の神だ。性別が女性なので、女神と呼ぶべきか。


 その見た目は幼い。

 といっても、ナインよりは背が高く、10代半ばといった所。

 大きくまん丸の瞳をキラキラさせながら、スピカはにんまりと微笑んだ。


「何? 何? もしかして、あの子、完成した? しちゃった?」

「そうですね。そうなります」

「あー、また他人行儀~? スピカ、寂しい! 一応、第三世代内では古い付き合いなのに~」

「それはそうですが。まぁ、これは所謂マイルールですから。最初から素の態度をとっていない相手には、意識して素に戻しません」

「けち」


 ナインに見せる紳士的な態度に戻るエニシに、スピカは頬っぺたをぷっくりと膨らませる。ほんのり赤い頬が持ちのように膨らんだ事で、つつきたい衝動に駆られた。

 耐えたが。


「にしてもどうするの? 感情、覚えちゃったじゃん。脅威になるから消す? 消しちゃう?」

「そんな『一杯行きます?』みたいなノリで言われましても」


 かわいい顔で物騒な内容の会話である。

 消す対象はもちろん、ロキの事だ。初めは感情を持っていなかった彼だが、ナインとエニシ、特にエニシの影響で今や豊かといえるほどになっていた。

 ナインにはその変化を悟られないよう調整するようだが、いつまで保つか。


「消さないし、消させない。何のために治したと思ってんですか」

「んー? 単なる暇潰し?」

「あはは、そんなくだらない事で力は使いませんよ」


 そこまで言って、ロキの忠告が耳に付く。


「―― 執着もほどほどに、ね」

「どったの?」

「いえ、何でも。それより、みたらし団子でもどうです? それともマドレーヌの方が?」

「わぉ。じゃ、みたらし!」

「では緑茶を用意しましょうか。前回、抹茶は不評でしたし」

「わはーい♪」


 スピカはピョンピョン跳ねながら、出現したイスにつき、テーブルの上に出現したみたらし団子に釘付けとなった。


 第三世代は見た目と嗜好が子供である事が多い。

 それを熟知した彼は、次々とみたらし団子を大皿に追加して行った。

 スピカは大食漢なので、山盛りになったそれをペロリと食べ終えてしまうだろう。


 それを見越して、小皿に4本、乗せておいた。

 言わずもがな、自分用である。


「うん、美味しい」


 もちもちの白い団子に、琥珀色のたれがかかったみたらし団子。

 暇に飽かせて作り貯めてあるそれを、惜しみなく出していく。

 甘く、しょっぱく、もちもちとした食感の団子は、みるみる内にスピカの胃へと収まった。


「ねー、スピカもここで見ていていーい? 何か面白そうだし♪」

「ええ、良いですよ。面白くはないと思いますが」


 反射的に浮かべられた作り笑顔は、どちらもとても美しかった。


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