転生龍も楽じゃない!

PeaXe

prologue

00 『   』


「貴方は死にました」


「はい?」


 ててれってーん。と、何の楽器かよく分からない音で聞き慣れない曲が鳴り響く。


 雪のように真っ白な床、所々金の装飾が埋め込まれた黒い壁。壁は床から離れるごとに透き通っており、天井代わりの青空が煌いている。


 長い長い廊下の先には、円の形をした広間。

 その中央には困惑を隠せない少女が座り込み、それを満面の笑みの青年が見下ろしていた。


「貴方は、死にました」

「はい?」


 青年の台詞は、少女の耳にしっかりと伝わっていた。しかし、上手く状況が飲み込めず、再度同じ調子で聞き返す。とても理解できる言葉ではなかったのだ。

 それを理解していないととったのか、青年は再度、今度は更に言葉を短く切って告げる。……告げたのだが、結果は同じだった。


「貴方、は、死に、ました」

「……あの、えっと。死んだのは、はい。分かりました」


 どうやら、この人はきちんと「理解した」という事を伝えなければならないらしい。

 少女は4度目の言葉が来る前に、と、疑問系の返答をやめた。


 すると、青年はあからさまにホッとして、ようやく次の言葉を切り出す。


「主な死因は窒息との事です。つまり、呼吸がままならなくなって、死んでしまったようですね」

「はぁ」


 少女は未だ混乱しているが、それでも青年は言葉を続ける。


 青年は少女も多少は見慣れた和装をしており、どちらかと言えば洋風の空間である広間には似合わない。言ってしまえば大正浪漫1歩手前といった風貌である。

 アジア、それも日本人寄りの顔立ちで、髪は黒。服装は上が深緑に下が鼠色の着物で、履物だって木製の下駄である。ただ着物の下には首を隠すような白いシャツが着込まれているため、和装と洋装の中間という表現が正しい。ただ日本人向けの服に、唯一青い瞳だけが違和感を放っていた。


 その青年の傍で床に直接座りこむ少女もまた、日本人の容姿である。

 腰まで届くサラサラの髪は濡れたような艶のある黒色で、瞳だって綺麗な黒。服装は真っ白なドレスであるが、こちらは完全に日本人のそれである。ドレスが洋風であっても、容姿は日本人、それも10歳ほどの容姿であるため、こちらは違和感が無い。


 彼女の名前は玖。……生きていれば、明日、10歳になった女の子だ。

 玖と書いて《ナイン》と読む。旧漢数字で九という意味で、ナイン。諸々安直である。


「ご愁傷様ですので、今回、前世の記憶や能力を維持したままの転生処理をする事に相成りました」

「え、何で?!」

「神々の意向と不手際と不運と……まあ、諸々の理由が重なったためですね。ああ、申し遅れました。私はえにしの神をしている者。特に名はありませんので、エニシとでもお呼びください」


 エニシはにっこり笑い、物腰柔らかに頭を下げた。彼は長い髪を三つ編で纏めていたらしく、頭を下げると同時に前へと垂れる。

 女性であるナインよりも長く、というかよく見れば彼の身長を軽く3倍は超えるだろう長さだ。


 これで纏めているのだから、解いた時の長さはどれくらいなのか。ナインは密かに喉を鳴らした。


「とにもかくにも、転生。つまり、異世界へ生まれなおす特権が与えられたわけです」

「……元の世界ではなく?」

「ええ。心残りはありましょうが、元の世界への転生は出来ません。理由はまぁ色々とありますが、お教えする事は出来ません。あしからず」


 エニシは再び、にっこりと笑った。

 その完璧な笑顔に、これ以上聞いても同じような言葉しか返って来ないであろう事はすぐに予想できた。ナインは1つ溜め息をもらすと、小さく「はい」と答える。


「それでは早速、幾つかアンケートをとらせてください」

「アンケート……」

「ええ。まず、貴方が転生する種族の希望な」



「人間以外で」



 質問内容を述べている途中で、ナインはずばり、言い切った。


 ずばり言い切られた側であるエニシはというと、アンケートの回答を書き込むための用紙を取り出したところで、動きが止まっていた。


 エニシは頭を2、3回掻いてから、アンケート用紙に向き直る。


「……えっと、貴方が転生するしゅ」

「人間以外。で、お願いします」


 そしてもう一度、同じ内容の質問をしようとして、再び回答に遮られる。

 再び長い沈黙が流れた。


「……えっと、人間以外、ですか」

「出来ません?」

「い、いえいえ。出来ます。出来ますとも。ですが……よろしいのですか?」


 やけに強い口調で、ナインは人間になる事を否定した。エニシが再三問いかけても、人間にならないことに力強く頷くのみだ。


 ついでに眼光も鋭く、とても嘘をつくような様子ではない。


「でも、人間より寿命が長い方が良いです」

「ほう。それは何故?」

「旅がしてみたいの! 元の世界では出来なかったし、色んな国とか、世界遺産とか、お城とか。色々見たかったの! でも、それが出来ないなら、せめて転生する世界では色んな場所を見に行きたい。あと美味しい物が食べたいな!」


 ナインは勢い良く立ち上がった。

 うっとりと細めた目をキラキラと輝かせ、恍惚とした笑みを浮かべている。


 エニシが若干引いている事にも気付かないほどに興奮し、更にしばらくの間、前世で食べた多くの料理と景色について熱く語り始めた。


 説明に要した時間は、何と1時間に及んだ……。


 ともかく、ナインの言葉を要約すると、全世界旅行で景色や美味を堪能するために、人間よりも長い寿命が欲しいという事だった。


 それまで反応が薄かったため、てっきりナインが無口で冷静な子だと勘違いしていたエニシ。そのため、急に熱のこもった力説を始めたナインに、思わず笑顔が引き攣る。


「わ、分かりました。ですがその要求の場合、人型に変化できる、上位のモンスターという事になってしまいますが、よろしいでしょうか」

「ん、どゆ事?」


 ナインの感覚ではまだ説明は序盤も序盤なのだが、これではいつまで経っても話が進まないと感じたエニシによって会話は断ち切られる。

 とりあえず、ナインが話を聞く子でよかった、よエニシは胸を撫で下ろした。


「今から転生していただく世界で最も味覚が優れているのは、人間種族なのです。つまり、美味しい物を心ゆくまで楽しむには、人型で無ければならない。しかし人間には転生したくないという事であれば、人型に身体を変化させる事の出来る、上位種のモンスターという事になるのです」

「じゃあ、それで」

「か、軽いですねぇ……」


 モンスター。漢字に直すと魔物だとか怪物だとかという意味になるそれは、文字通り、人間の敵である。人間だった者があえてそれに転生するのは、極めて稀な事だった。

 とはいえ、全く例が無かった事でもないので、対応は可能ではある。


「では、転生していただく世界を大雑把に説明しますね」

「はい」


 エニシはこほん、と小さく咳払いをした。


「かなり簡単に言えば、その世界には魔法があり、モンスターがいて、様々な国や古代の遺跡、迷宮などが幾つも存在します。ナインさんのいた世界と比較すると、その大きさは地球の10倍は広いかと」

「それは……! 見ごたえ抜群ですね!」

「ふふっ、そうですね。特に、遺跡なんかはナインさんのいた世界とは比べ物にならないほど広大ですし、迷宮はそちらに無かったようですから、とても楽しめるでしょう。リアル宝探しとか、リアル探検なども、望めば普通に出来ますよ!」

「わぁ、本当に!」


 エニシは少しだけナインの反応に慣れてきた。エニシは、ナインが、どうしてこれほどまでに旅をする事に執着しているのかは分からなかったが。

 ただ、まぁ、彼女のプライバシーに触れる事なので、気にしないようにしよう。

 そう心の中で片付けて、エニシは他のアンケートもとっていく。


「……はい、アンケートは以上です。人間以外の女性。人化の術や魔法が使える上位種族で、出来れば飛べた方が良い、でよろしいですね?」

「結構なわがままを聞いてくれるんですね」

「いえいえ。無敵になりたいとか、超絶美女で不老不死になりたいとか、そういった願いに比べれば、わがままにもなりませんよ」


 エニシはやはり、にっこりと微笑んで、しかし再び真剣な表情を作る。

 不老不死にはあまり興味がそそられないナインだったが、それまで笑顔を絶やさなかったエニシが真剣になるほどだ。とても大変な処置なのだろう。


 無敵は言わずもがな。神でさえ倒せる力をくれと言っているという事なのだから。

 それからも何度か確認を取っていくエニシ。ナインの要望はやはり、神様界隈では容易らしく、エニシの雰囲気がほんわかとしたものに戻っている。


「……さて、アンケートは終了しましたが、1つ、聞いてもよろしいですか?」

「ほぇ? うん、いいですけど?」

「ナインさん。貴方は……貴方の『本当の望み』は、何ですか?」


 やんわりとした雰囲気から一転、とても真面目で真剣な雰囲気を纏うエニシ。しかし柔らかな微笑だけが変わらない彼から繰り出された言葉は、ナインに衝撃を与えた。


 ナインが決めた、来世の種族、性別など。それらはゲームでも決められるような設定だった。


 しかし、その質問だけは、これまで秘められていたナインの内側、完全にプライベート、私情の部分に、おそろしくストレートに触れてきた。

 これまで、旅がしたいだとか、美味しい物が食べたいだとか、そういった願いは口にしてきた。しかし、心の内側。本来は完全に隠されているはずの核心に秘めていた願いを、尋ねられたのだ。


 隠していたわけではない。

 ただ、聞かれなかったから言わなかった。


 とはいえ突然尋ねられて、すぐに言葉が出てくるわけでもない。


 言ってしまえば何が起こるか分からない。


 だから、出来うる限り言いたくない。それが本音である。


 だからこそ、ナインは何度も瞬きを繰り返し、しばらくの間沈黙する。聞かれた内容を反芻し、咀嚼し、飲み込む。

 そうしてようやく、ナインはゆっくりと口を開いた。



「 ――……私は、ただの特別になりたい 」



「……ただの、特別。ですか?」

「うん。変な事じゃないよ? 私、生きていた時は、天才、天才って、呼ばれていたから」


 既に、特別だった。そう語るナインの表情は、何とも言えない哀愁を感じさせる。


 その「ただの特別になりたい」という言葉には、何の含みも、偽りも無い。エニシは、彼女の敬語が取り払われた時点で理解していた。

 エニシは、静かに彼女の言葉に耳を傾ける。


「でもね、特別って、寂しいの。私はただの特別じゃなくて、とびっきりの特別だった。隣を歩いてくれる人が、誰一人もいなかった」


 ナインは真っ直ぐ、泣きそうな顔でエニシを見つめた。

 そこで、エニシは気付く。


 ナインが『とびっきりの特別』というステータスを、そのまま来世も引き継ぐ事に。それが彼女の願いから、全くの正反対の位置にある事に。


 転生時の願いは、誰もが、自分が特別になるような事を願う。

 だが、彼女は違った。特別は既に自分の中で確固たる地位を築き、来世で特別を望む必要性が無い。


 『特別である事』を捨てるには、自分との結びつきが強すぎて、捨てきれない。


 ならばどうするのか? ナインが選んだのは、他の特別に埋もれる事だった。特別達の中に埋もれれば、特別である自分は、いずれ他の特別と一緒に常識となるはずだ、と。


 それは一般市民にとって、とんでもない贅沢だろう。だが、彼女は特別でなくなるために、あえて特別だらけの場所へ踏み込もうとしているのだ。


 自分から、周囲へ埋もれるために。

 今度こそ、独りっきりではなくなるために。


 それに気付いたエニシは微笑んだ。


 そしてただ、一言。


「そうでしたか」


 そう呟くように述べて、懐から何かを取り出した。


「最後に、これは貴方をサポートする転生特典です。色々と便利な機能が付いていますよ」


 ナインに手渡されたのは、水晶の原石みたいな物だった。

 エニシはナインにそれを持たせると、絶対に落とさないように言い含めて、ナインから離れる。


「では、個体名:ナインの転生を開始します」


 床の、ナインが座っていた部分に、光の線で描かれた魔法陣が現れる。

 青白い光がナインを照らし、更には景色をその光で埋めていった。


「よい人生を」


 最後にそれだけ聞こえて、ナインの視界は真っ白になる。


 しかし少し経つと、徐々に視界から光が奪われ、真っ暗になってしまった。


 不思議に思ってナインが手を伸ばすと、硬い何かにぶつかった。

 壁は、ナインの傍にはなかったはず。ナインは何故か急に現れた壁をなぞるように手を動かすと、その壁はどうやら、自分を覆っているらしい事を把握する。


 ナインは壁が『卵の殻』のようなものなのではないかと推理した。

 だからこそ、ナインは思い切り壁を叩く。


 そして、その耳に聞こえてくる、亀裂の入った音。音と共に、亀裂に沿って真っ白な光が漏れ出した。どうやら、この壁はとても脆いらしい。

 ナインは手に力を込めて、思い切り叩きつけた。


 パキ、パキパキッ、パリン!



『おはようございます、マイマスター:ナイン』



 不思議な声と共に、光がナインの目いっぱいに飛び込んだ。


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