名古屋めしとは
名古屋めしは名古屋の誇る食文化であり、名古屋の発展その物なのだ
これまでに何種類もの名古屋めしについて語ってきたのだが、最後に『名古屋めし』について説明しよう。
本来ならば一番最初に説明すべき内容なのだが、一番最後に回したのには理由がある。
それは、
『名古屋めしが何なのかは定まっていない』
からである。
名古屋めしを紹介するに当たり、この事実を最初に説明する事は憚られた。
どういった物が名古屋めしで、どういった物が名古屋めしではないのか。それが定められていないという事は名古屋めしを紹介しても『それのどこが名古屋めしなのか?』という疑問が生まれてしまい、すんなりとは頭に入らなかっただろう。
だからこそ、先に様々な名古屋めしを知って貰う事で、名古屋めしは一体どういう物なのかというのを感覚的に分かって貰う事にしたのだ。
名古屋めしの通説は
『名古屋の人間によって一般的に食べている料理』
とされていて、名古屋発祥の物である必要も、名古屋の食材を使っている必要もない。
名古屋で食べられているのならどんな物でもよく、意味としては逆であるはずの郷土料理とご当地グルメが同時に存在していて、銘菓や喫茶文化のようなめしでは無い物も入り混じっている。
つまり、『これが名古屋めしだ!』と言うような物は存在しない。
所謂『言った者勝ち』で無法地帯に近いのだが、名古屋ではこの状況を良しとして、寧ろ逆にどんどん名古屋めしを名乗る料理に登場して貰いたいと思っている。
その理由として、名古屋の食文化が戦後から平成までの間に一旦廃れてしまった事がある。
今でこそ独自の食文化と言われている名古屋だが、戦後は名古屋コーチンの数が数百羽まで下がって鶏肉料理は廃れ、昭和中期の屋台業の禁止で屋台料理も廃れ、平成中期頃までは食の不毛地帯だったのだ。
赤味噌文化は一般化された事で生き残っていたのだが、特に外食産業は冷え込み、それに合わせて経済も下降していた。
戦後から平成初期までの間の名古屋は街自体に活気が無く、都市全体が廃れる一方だったのだ。
その証拠として、名古屋めしと扱われている物に昭和後期から平成初期までに産まれた物が極端に少ない。この時代は新しい物が産み出される事がほぼ無かったのだ。
名古屋はただの通り道としてしか利用がされない場所であり、採算の見込みが取れないのか他の地域からの参入企業も少なかった。
そんな中、名古屋の衰退していく状況を是としなかった外食産業の社長が東京で名古屋の食べ物を紹介し始め、それをイタメシと掛けて『名古屋めし』と呼ぶようになる。
その後、他の名古屋の外食産業が東京進出の際に『名古屋めし』という名称をこぞって使うようになり、『名古屋めし』の名称は名古屋よりも東京で有名となった。
当時はまだ、手羽先の唐揚げ、味噌煮込みうどん、味噌カツの三つぐらいしか名古屋めしと呼ばれる物が無かったのだが、東京にはない食べ物だという事で人気を得て、その味を知ったサラリーマン達が東京から関西へ行く途中で名古屋で降りて食事をする機会が増える事になる。
そこからが名古屋の飲食文化の復活だった。
名古屋の人間も聞いた事が無い『名古屋めし』という言葉だが、東京から名古屋の食べ物を求めて人が来るようになったのだ。
元から一般的に食べられていた赤味噌料理の味噌煮込みうどん、味噌おでん、味噌カツ。
名古屋一帯の伝統料理のきしめん、ひつまぶし、海老せんべい。
名古屋独自で発展してきた小倉トースト、名古屋式お好み焼き、あんかけパスタ。
どれも名古屋の人間にとって特別な外食というわけでは無いが、これこそが他の地域に誇れる食文化であり、観光地が無いと言われる名古屋が観光客を獲得する為の武器だったのだ。
この事に気付いた外食産業の人間達は東京や大阪では食べられていない名古屋の食べ物を全てひっくるめて『名古屋めし』と呼び始め、地元TV局や行政をも巻き込んで名古屋を名古屋めしの街へと変えていく。
TV番組では毎週のように名古屋めし特集が組まれ、他の地方で名古屋めしを食べた人に巡り合えないと家に帰れないという企画の番組が作られる。
名古屋駅からはバスで巡る名古屋めしのツアーが組まれ、観光のアピールポイントして扱われる。
そして2005年に開催された愛知万博で名古屋めしが大々的に宣伝された事で、その存在は日本だけでなく世界中に広がる事になり、名古屋は東京や大阪や京都に並ぶ観光客の訪れる場所となる。
今の名古屋の活気は名古屋めしによって作られた物であり、名古屋めしがあったから発展したのだ。
こうして、名古屋めしはしっかりとした定義が決められていないまま広まり、『名古屋めしが何なのかは定まっていない』という事になる。
数百年も前から食べられている伝統料理の場合もあれば、最近作られたご当地グルメのラーメンの場合もあり、某お笑いタレントのネタを逆手にとって名物とした場合もある。
それが名古屋で食べられている物ならば全て名古屋めしであり、続々と新しい名古屋めしが作られている。
名古屋では毎年名古屋中の飲食店を巡ってその年の一番の名古屋めしを決める博覧会が行われていて、この博覧会では既存の名古屋めしのグランプリ以外に『新名古屋めし総選挙』と銘打った新しい名古屋めしの決定戦を行っている。
この新名古屋めし総選挙は既存に無い新しく創作したメニューならなんでもよく、これから名古屋で食べられるようになる事を考えて名古屋めしを名乗る事が許されている。
逆にちゃんとした名古屋の食材を使った新名古屋めしを決めるグランプリも別で開催されている。
こちらは名古屋の中心街の栄の広場で地産地消をテーマとして約10日間をかけて行われる食の大イベントで、2017年の時点で7回目が開催されている。
この時点で毎年少なくとも二つの新しい名古屋めしが産まれている事が分かるだろう。
そして、グランプリを取った料理は名古屋市長からのお墨付きを貰えるのだ。
又、名古屋市は名古屋城の周りに城下町に扮した外見の建物で名古屋めしを提供する金しゃち横丁という物を作ったりと、既存の名古屋めしの宣伝・発展を行う事も忘れない。
この金しゃち横丁では金箔を巻いたソフトクリームが人気商品であり、金のしゃちほこをイメージしているという事でこれも名古屋めしに含んでいる。
名古屋めしとはここ十数年で作られた新しい概念であり、名古屋全体を活気付ける為の手段だったのだ。
定義が定まっていないからこそ、新規の参入がしやすく、既存の物も簡単に含める事が出来る。
今まで紹介してきた名古屋めしの中にも、実は名古屋めしに登録されていないどころか名古屋でも広まっていない物もある。
しかし、こうして大勢の人間に名古屋めし語りを呼んで貰うことで『名古屋にはこんな食べ物があるんだな』と認知され、それは名古屋めしとして扱われる。
名古屋めしに定義は無い。基準も無い。それどころか歴史も無くていい。
誰かが『これは名古屋めしだ』と思ってくれれば、それは名古屋めしなのだ。
名古屋はこれからも名古屋めしと共に発展していくだろう。
いくつもの新しい名古屋めしを産み出し、既存の物を含め、日本中に、世界中に広がっていく。
この話を読んで名古屋に興味を持った人が居るならば、是非名古屋めしの発展を見届けて欲しい。
そして出来れば名古屋に訪れて、名古屋めしを堪能して欲しい。
名古屋めしは名古屋の誇る食文化であり、名古屋の発展その物なのだ。
名古屋めし語り @dekai3
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