五平餅

名古屋という街があったからこそ五平餅は広まったのだと考えられる

四大文明を筆頭に人の営みとは川の側で産まれて発達するものだと言われているが、実はその川よりも生物が集まって暮らすのに適した場所がある。


山だ。


山は食べ物が有り、水が有り、雨や風を防ぐ場所も有り、陸上の動物が生きていく場所として完成された場所である。

複数の動物が集まって暮らしている山はそれだけで一つの社会と言える物で、特に山間部の多い日本では山は『国』や『家』の意味を持つ言葉として使われてきた。

国や家であるからには山は山を治めている主が居るとされていて、その主を奉るための祠が大体頂上か麓のどちらかに作られている。

多くの場合でその主は神様と同一視され、神様が治める地である山その物も信仰の対象とされてきた。


山は様々な恵みを与えてくれる場所であり、食肉としての獣、食べたり薬にする野草、山菜、木の実、器を作るための土、鉄、川となって流れてくる水、それだけでなく子供さえも山の神様からの恵みとする時代もあったという。


そのため、山に住む人間の間では年に二回、山の神様の感謝のために『山の講やまのこ』と呼ばれる祭を行っていた。

山の講やまのこは山から田畑に恵みを与えてくださる山の神様を迎える春のお祭りと、その神様を山へ見送る秋のお祭り。そして山で生活をする上での安全祈願と山の幸を頂く事への感謝のためのお祭りだ。

その時にその土地で取れた一番のご馳走を感謝の印としてお供えし、主に男の子達で祭りの行事を行う。

この、『男の子が行事を行う』という理由だが、一説によると山の神様は女性であり、とても嫉妬深くて山に自分以外の女性が入る事を嫌っていたためだと言われている。何故子供なのかは深くは語られていないが、やはり神様も若い方が好みなのだろう。


今では山で暮らすよりも平地に移ってビルに囲まれて生活する人が増えたため山の講やまのこを行う地域も減ってきたようだが、それでも一部地域では春の初めと秋の終わりに小さなお祭りを開催している。

日本は様々な宗教の要素の入り混じった混宗教地帯だが、根元のほうにはこの山を神様とする山岳信仰が残っているのだろう。

疲れた人がふと『温泉に行きたい…』と呟いてしまうのも、山の恵みである温泉と料理に癒されたいという原始回帰の現れなのではないだろうか。

自然と触れ合う機会の少ない現代こそ、山を崇めて奉るべきなのかもしれない。



そして、その山岳信仰の名残りとして、名古屋圏には五平餅と呼ばれる食べ物がある。

元々は御幣餅という字を書き、山の神様への捧げ物でもあった、祭祀で用いられる幣帛の一つだ。



五平餅は木の棒に米を押し付けて火で炙って乾かし、上から味噌や醤油等で作ったタレをかけて作る。

この一度炙って乾かすという手順のお陰で作り置きが出来るのと、食べる直前にタレを塗って焼けばいいという手軽さが受けて旅人に人気となり、大きな街道沿いでは必ずと言っていい程に販売されていた。

五平餅は所謂ファーストフードであり、ハンバーガーやサンドイッチのように地域によってその型とタレが異なる。


元々の御幣自体が地域によって形が異なるのでどれが正しい形というのはないが、概ね『わらじ型』や『ぞうり型』と呼ばれる、幅1.5cm長さ25cmのヘラのような竹串に厚さが2cm程の楕円形に米を押し付けた物が基本とされている。わらじやぞうりが分からない人はビーチサンダルの板を想像して貰うとなんとなく想像が付くだろう。


五平餅の他の形としては、

・竹串にそのままご飯を押し付けた棒型五平餅。

・棒と厚さはわらじ型と同じだが、ご飯の形が長四角や菱型等の角ばった形をした御幣型五平餅。

・竹串に丸めたご飯を複数挿す団子型五平餅。

・竹串に1cm程の厚みのあるオセロの駒の様な物を指した物を複数挿す円型五平餅。

・串が無く、大き目の平べったいおにぎりを焼いてタレをかけたおにぎり型五平餅

・わらじ型の作り方で木枠を車の形にしたトヨタ型五平餅。

が確認できている。

最後のトヨタ型五平餅は近年になって作られた物で、豊田市が五平餅の発祥を謳って独自の型として作り始めたらしい。

実際に今の豊田市の辺りからわらじ型五平餅が広まっているので間違いでは無いのだが、豊田市は多数の市町村を吸収合併して大きくなっているので、それで豊田市発祥と言われるのは少し違和感があるが…


これらの形の違いは名古屋城から豊田方面へと向かい、そこからグッと曲がって飯田まで向かう、飯田街道と呼ばれる幹線路を登るほどに形が変わっている。

飯田市では五平餅作りの時間短縮のために竹を輪切りにした筒で押しつぶしたご飯の型を取って串に挿し始めたという記録が残っていて、塩尻市ではほうらく鍋を使用するためにおにぎり型にしたと伝えられている。

又、多治見から中津川辺りの東濃と呼ばれる地域は中山道も通っている事で特に五平餅の激戦区となっていて、様々な型が入り乱れている。



五平餅のタレは赤味噌と溜り醤油と砂糖と胡桃をすり鉢で潰しながら混ぜた物が基本とされているが、これは地方どころか家庭によっても味が違う。


岐阜の一部地域では『あぶらえ』と呼ばれるえごまを使った五平餅があり、これは赤味噌を使わずに醤油と味醂と砂糖とえごまだけで作られる。

味噌を使わなくてもえごまから出る油で粘着性があり、それを炙る事でえごまの良い香りが広がる。


奥三河では『ひるみそ』と呼ばれる大蒜を柔らかくなるまで弱火で炒め、赤味噌と味醂を足して練り合わせた物を使う五平餅もある。

大蒜の香りと味が精力を付け、山越えや長距離移動のお供となる。


家庭では胡桃よりも簡単に手に入るピーナッツを使うのがトレンドだったが、最近では製菓用のアーモンドやカシューナッツを使う事が多い。


他にも唐辛子や山椒を混ぜた激辛五平餅や、刻み葱を混ぜて砂糖を減らした葱味噌五平餅や、ハチノコを混ぜたヘボ五平餅や、ゆべしと呼ばれる柚子と赤味噌と胡桃を合わせた珍味を使うゆべし五平餅等もある。


地方による味の違いは五平餅が山の講やまのこのお供え物だった頃の名残りであり、その時に取れた一番の食材を使用して作っていたためだ。

山を越えて違う地方に行けば名産も異なるわけであり、名古屋に近ければ赤味噌が手に入りやすいので濃い味付になるが、長野まで行くと砂糖や胡桃の味が強くなるという違いもある。

気になる人は愛知、岐阜、長野を巡って五平餅の食べ比べをして見ると面白いだろう。同じ五平餅でも型やタレで味が変わるので飽きずに食べ比べる事が出来る。



山の講やまのこ自体は日本中のどの地域でも行っていたらしく、愛知の五平餅と同じく、秋田のきりたんぽや、山梨のほうとうがその名残りとされている。

しかし、これほどまでに広い地域に根付いて残っているのは五平餅だけであり、名古屋という街があったからこそ五平餅は広まったのだと考えられる。

つまり、名古屋の民こそ、山を崇める事を忘れない山岳信仰の残る民だと言えるだろう。

山の名前を冠する居酒屋チェーンが名古屋市内の金山かなやまという山の名前を冠する土地で広く展開している事や、名古屋で一番有名な喫茶店の名前が山なのも無関係ではあるまい。


五平餅を食べると懐かしさを感じるのは、私達が山を崇めていた事を記憶の底に覚えているからだ。

今一度山の恵みに感謝し、五平餅を作って山の講やまのこを行うべきだろう。

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