ひつまぶし

味の変化を楽しみながら食べるひつまぶしは一舌の価値があるだろう

近年、その生体が明らかにされつつありながらも、漁獲量の大幅な減少により絶滅が危惧されている鰻。

養殖と言われている鰻も稚魚を捕まえて人の手で育てた物で、卵からの完全な養殖というのはまだ成功していない。

絶滅しそうならば捕まえなければいいのではないかという意見もあるが、日本人が漁獲しているのが原因なのかどうかは判明していないので、政府からストップをかける事は難しいらしい。


鰻は元々文明が出来る前から食用とされていて、日本人との付き合いがとても長い魚だ。そのため、歴史書や古典にもいくつか鰻について書かれている物がある。

有名なのは土用の丑の日の『丑の日は鰻を食べよう』というキャッチコピーと、『鰻屋の側で鰻が焼ける匂いを嗅ぎながらご飯を食べる』という話だろうか。

どちらも江戸時代の頃の話だが、実は江戸時代初期は鰻はそのままぶつ切りにして焼いた物で、味付は味噌や酢だった。

今では当たり前な食べ方になっている鰻の蒲焼は江戸時代中期に産まれた物で、濃口醤油と味醂の安定供給が可能になってからである。

この濃口醤油と味醂を使って蒲焼のタレが作られた為、夏バテ中でも食欲が進み、嗅いだだけでもご飯を食べられるほどの美味しそうな匂いを発生する料理になったのだ。


食通を名乗る人が多かった江戸では鰻の蒲焼についての美学があり、『鰻屋でせかすのは野暮』というのと『蒲焼が出てくるまでは新香で酒を飲む』という標語が現代まで残っている。


『鰻屋で急かすのは野暮』というのは、鰻を生きている状態から捌いて蒲焼にするのは時間がかかるため、店員を急かすと丁寧な仕事が出来なくなり、出来上がりの鰻の蒲焼の味が落ちてしまうので良くないという事だ。

鰻は表面がぬめっている魚なので普通の魚よりも捌き難く、捌いた後も血とぬめりをよく取らないと食用には出来ない。

そこから身と皮の間に串を刺して炭火で焼くのも時間がかかり、強火だと鰻の身に含まれる脂が焦げてしまうので、遠火でじっくりと時間をかけて炙るように焼く必要があるのだ。


『蒲焼が出てくるまでは新香で酒を飲む』というのは、鰻の蒲焼が出て来るまでの時間を漬け物と酒で潰すという意味で、折角鰻の蒲焼を食べに来たのに他の物で腹を膨らませてはいけないという事だ。

待っている間に白焼きや板わさを頼むのは江戸っ子からすると邪道らしいが、それでも何のあても無しに酒を飲むのも邪道らしく、漬け物で酒を飲んで待つのが粋らしい。

そのせいなのかは分からないが、鰻屋は鰻だけでなく漬け物にも力を入れるのが当たり前とされ、生半可な漬け物を出す鰻屋はいくら鰻の味が良くても流行らなかったと言われている。


鰻の食べ方は日本人の食文化と共に発展した食べ物であり、絶滅しそうになるほど漁獲してしまうのも頷けるだろう。

しかし、本当に絶滅させてしまうのはよくないので、程ほどで止めるか、精進鰻のような代替品をを発展させるべきだとは思う。



この江戸で発展した鰻の食べ方だが、東海道を渡り、この名古屋でも新しい食べ方が考え出された。


名古屋めしに詳しく無い人も聞いた事があるだろう。

鰻の蒲焼を一口サイズに切り、お櫃に入れたご飯の上に敷き詰めた、色々な食べ方の出来る料理のひつまぶしだ。


ひつまぶしの発祥は愛知県とも三重県とも言われていて、その成り立ちもそれぞれに異なる。


愛知県の場合は大勢の客に出すために器を一つにしたという大皿料理説。

明治の始め頃、ある人気の鰻屋が出前で鰻丼を配達する際、余りにも注文の量が多くて運ぶのに困難だったのと、器を回収する際に割れてしまうことが頻繁に起きたため、一つのお櫃に人数分の鰻の蒲焼とご飯を入れて出すようにしたのが始まりとされている。

この時、大勢で食べる時に鰻の大きさが不公平にならないようにと、鰻とご飯のバランスが悪くなるのを防ぐために鰻を小さく切ってご飯にまぶした事でお櫃の鰻まぶしごはんと呼び、それを称じて『ひつまぶし』としたと言う。


三重県の場合は鰻の切れ端や質の悪い物を賄いとして食べていた賄い料理説。

こちらも時代は明治の始め頃、何件もの鰻屋が並ぶ通りで、鰻丼にする蒲焼の尻尾の切れ端や、蒲焼にするのに失敗した鰻を細かく切り、タレと一緒にご飯に混ぜて賄いとして食べていた事が始まりとされている。

賄い料理なので一つのお櫃に多人数分作り、それを各自がお茶漬けにしたり薬味を追加したりと好きなような食べ方をしていたらしい。

関西地方では鰻の蒲焼の事をまむしと呼んでいたらしく、お櫃にまむしを入れて食べていた事から、『ひつまぶし』と呼んだと言う。


他にも福岡県のある地域で食べられていた『鰻の蒸篭蒸し』という、蒸篭にご飯と鰻の蒲焼と錦糸玉子を入れて蒸し、そのまま蒸篭ごと客に出し、そこから個人個人が茶碗に掬って食べるという料理を元にしたという説もある。

こちらは江戸時代初期からある食べ方で、これを蒸篭ではなくお櫃で行った事から『ひつまぶし』に繋がったのではないかと考えられている。


何分、情報が発達していない時代の事なので、どれが正しいという確証は無い。

もしかすると別々で考案された似ている料理が互いに影響されて同じ名前になったという可能性もあるし、九州の蒸篭蒸しを愛知と三重の両方に広めた人物が居た可能性もある。


ちなみに、『ひつまぶし』という商品名は愛知県のある店の登録商標だが、既にひつまぶしを提供する鰻屋が数多く存在したため、メニューに載せても商標権の侵害には当たらないとされている。

もしもひつまぶしの店を構える予定がある人は安心しても大丈夫だ。


ひつまぶしの食べ方は店や地域によって異なるが、概ね、

・お櫃の中のご飯を4等分にする。

・そのうちの1/4はそのまま鰻まぶしご飯として食べる。

・次の1/4は薬味の葱、山葵、海苔を乗せて食べる。

・次の1/4は出汁や煎茶を注ぎ、お茶漬けにして食べる。

・最後の1/4はこの三つの食べ方の好きな食べ方で食べる。

というのが基本だ。

一つの料理で三つの食べ方が出来るのがひつまぶしの特徴であり、食べ方からして愛知県と三重県の両方の特徴が混ざり合っている事も分かる。


名古屋めしの一つとして数えられているひつまぶしだが、名古屋めしの中では珍しく高価な料理であり、庶民が普段から気軽に食べられる物ではない。

しかし、その分ハレの日の料理として親しまれており、特に熱田神宮にお参りに行った後はひつまぶしを食べるのが100年以上続く伝統の風習となっている。

名古屋には余り観光地が無いのだが、熱田神宮は伊勢神宮や出雲大社と並ぶ歴史も規模も大きい神社である。

熱田神宮にお参りを行く機会があれば、ついでにひつまぶしも食べてみるといい。

普通の鰻丼とはまた違った、味の変化を楽しみながら食べるひつまぶしは一舌の価値があるだろう。


個人的には山椒の実を振りかけてから出汁茶漬けにする食べ方がお勧めだ。

鰻の脂が出汁で広げられてご飯に浸透し、山椒が脂とタレの混ざった後味をさっぱりとさせるため、するするといくらでもひつまぶしが喉を通っていく。

最初は基本の食べ方をしたほうがいいかもしれないが、私は最初の一杯の鰻まぶしご飯以外は全てこうして食べる。

基本を守る事は大事だが、やはり自分の好きなように好きなだけ食べるのが食事をする上で一番大事な事だ。

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