海老せんべい
愛知県の海老せんべい文化が生んだ名古屋の下町鉄板おやつの玉せん
東京の下町にはもんじゃ焼き。
大阪の下町にはたこ焼き。
有名な下町にはだいたい昔ながらの伝統的な甘味を使わないおやつがあり、それは往々にして鉄板を使った料理である。
だいたいが駄菓子屋のおばあさんによって調理され、子供の小遣いでも購入できる物だ。
下町と言えば城下町の事だが、現代でも街の形に城下町の様子を残しているこの名古屋にも、勿論下町鉄板おやつは存在する。
今では外食産業が発展したため見かけるもの少なくなってしまったが、稀に居酒屋が懐かしの一品としてメニューに入れている事もある。
中には通信販売で生き残っている店もあるらしく、下町商人の逞しさを感じる事が出来る一品だ。
そんな名古屋の下町鉄板おやつは玉せん。
愛知県が誇る日本国内の生産量95%を占める海老せんべいを使った食べ物だ。
玉せんの始まりは記録が残っていないので不明だが、玉せんに使う海老せんべいの始まり頃からあったのではないかと言われている。
海老せんべいとは普通の煎餅とは違って米ではなく、すり潰したじゃが芋と海老を使って作られる煎餅の事だ。米を使った場合は海老おかきと呼ばれる。
始まりは明治時代。三河地方のはんぺんや蒲鉾等の練り物を作っていた会社が考案した。
この海老せんべい、アカシャエビという車海老の仲間のやや小さめの海老を使うのだが、当時はこのアカシャエビは国内では食用には用いられずに少量を加工して海外に輸出しているだけの物だったらしい。所謂雑魚である。
それなのにアカシャエビは三河湾で毎日大量に水揚げされていて、この無駄になってしまうアカシャエビをどうにか出来ないかという事で、当時高級品だった煎餅に加工する事を考え付いたと言われている。
しかし、海老せんべいは思ったよりも製造にコストがかかり、さらには煎餅のように日持ちもしなかったため、一時は失敗したかのように思われた。
だが、丁度海を越えた向こうの伊勢の国から海老を低コストで加工する技術がもたらされ、その加工方法で日持ちの問題まで解決され、今日まで続く海老せんべいの大製造元となったのだ。
名前は似ているが、止められない止まらないのえびせんとは作り方も材料も形も違う。
今では海老せんべいの種類も増え、海老を乾燥させてから粉にして混ぜて焼いた物、海老をそのまますり身にして混ぜて焼いた物、海老を姿そのままじゃが芋煎餅に押し潰し、周りに海藻をあしらう事で、まるで丸い水槽の中に居る海老を覗いているように思わせる風流な芸術作品までもある。
ちなみに、この海老せんべいは愛知県が名産としてとてもプッシュしていて、『えびせんべいの里』と呼ばれる工場兼直売店へのバスツアーが名古屋市の観光組合によって組まれている。
工場直売店の本店は名古屋市から南の知多半島にあり、なんと高速道路の出口を降りて最初の交差点の角だ。駐車場も大型バスが何台も停まれるようになっていて気合の入れ方が違う。
このえびせんべいの里は全ての海老せんべいの試食が可能で、海老せんべいの種類は味や形や材料によって異なり全部で40を越える。季節物も合わせると50以上だ。
そのため、全てを一枚ずつ試食しても結構な数になり、海老せんべいの里に訪れた時は毎回お腹が苦しくなる。休憩所で無料で配られるお茶がとてもありがたい。
尚、試食用の海老せんべいが無くなっていたら近くの職員に声をかけよう。目の前に詰まれている海老せんべいの袋を開け、そのまま試食コーナーの箱へダイレクトに補充してくれる。
始めて見た時はそれでいいのかと思ったが、よくよく考えるととても合理的だ。
この海老せんべいだが、一袋500円の庶民のための海老せんべいから、一枚100円を越える高級品まで存在する。
この1枚100円の物は贈答用の高級海老せんべいで、これを贈る事で『海老のように腰が曲がるまで末永くお付き合いしましょう』という意味があるらしい。
海老せんべいに贈答用が存在するなど他の地域の人には理解出来ないだろうが、これが愛知県で、これが名古屋だ。
一部の地域では海老せんべいが通貨として機能しているという噂もあり、海老せんべいとの交換で野菜やお菓子が手に入るという。
海老せんべいを贈ると海老せんべい以外の物でお返しをするのがルールみたいな所があるので、あながち間違いではないだろう。
そんな愛知の人間の生活の一部として組み込まれている、海老せんべいを使ったおやつが玉せんなのだ。
玉せんは幼い頃から海老せんべい文化に触れるための教科書なのだろう。
細かい作り方や味付は店によってまちまちだが、卵を使う事と靴よりも大きな楕円形の海老せんべいを使う所は共通だ。
基本的には鉄板で半熟の目玉焼きを作り、それを楕円形の海老せんべいの端に乗せ、ヘラで煎餅の真ん中を押し付けながら半分に折って挟む。
この時に黄身が潰れるようにわざと強く押し付けるのが重要だ。そうする事で全体の味を均一にする。
そして楕円形だった海老せんべいの弧になっている部分を下にし、銀紙に包んで提供される。見た目はまるでハンバーガーだ。
味付の基本はソースだが、味の付け方は店によって異なる。
目玉焼きを乗せる前に海老せんべいにソースを塗る店もあれば、目玉焼きを乗せてからソースをかける店もある。中には目玉焼きを両面焼きにし、焼いている最中に黄身を潰しながらソースをかける店もある。
この味付はソース以外にも青海苔やマヨネーズを使う事もあり、味付以外にも店によっては追加料金を払うことでチーズやベーコンを挟む事が出来る。
追加でトッピングをしたくなる気持ちは分かるが、それが出来るのはお金持ちの子だけで、だいたいは目玉焼きだけの基本の玉せんを購入する。
玉せんは基本の半熟目玉焼きとソースだけでも十分に美味しい。
出来たてのうちに齧り付くと、黄身とソースの混じった濃厚でとろりとした特製ソースの食感と、海老せんべいのぱりぱりとした食感が合わさり、とても駄菓子では済ませれないような上品でありながらどこか懐かしい味を感じる事が出来る。
少し時間が経ったのも良い。目玉焼きの熱気とソースで海老せんべいがふやけ、柔らかくなった事で全体の一体感が増す。
食べ終わった後は銀紙の底に残った特製ソースを舐めたものだ。卵とソースの組み合わせはとても美味しい。
だが、ここにチーズを足すと、更に濃厚かつ舌の上でとろける美味しさを味わう事が出来、ベーコンを足した場合はカリカリの食感と旨味溢れる肉汁を足す事が出来る。
試しに一度だけ全盛りを頼んだ事があるが、あれは素晴らしかった。
目玉焼きの白身、半熟の卵黄、少し酸味がありつつも甘めのソース、濃厚なチーズ、塩っ気と肉汁のベーコン、海老の香りのするパリパリの食感の海老せんべい。
これら全部が口の中で広がり、それぞれが主張しながらも混ざり合う、まるで間近で聴くオーケストラのような至福の時。
これで500円もしないのだから安い。
愛知県の海老せんべい文化が生んだ名古屋の下町鉄板おやつの玉せん。
東京のもんじゃ焼きや大阪のたこ焼きに負けないどころか、もしかすると勝っている可能性もあるだろう。
知名度は低いが見くびらないで貰いたい。伊達に海老せんべいの日本国内の生産量95%を誇ってはいないのだ。海老せんべいの美味しい食べ方に関しては名古屋人の右に出る者は居ない。
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