稲荷寿司

稲荷寿司は美味しい食べ物なので大丈夫だ

油揚げを一度沸騰した湯に入れて油抜きし、軽く絞ってから端に切れ目を入れて袋状に広げる。

それを砂糖、醤油、味醂、出汁で甘辛く煮た後、酢飯を中に詰めて丸めた物。

既に味が付いているので醤油をつける必要が無く、そのまま頬張れば口内に油揚げが吸った甘辛い出汁がふわっと広がり、中の酢飯が爽やかにピシッと後味を〆る。

値段も手ごろで、殺生を行っていないので葬儀中でも食べる事が出来る、老若男女の誰もが好きな人気のお寿司。


そう、稲荷寿司だ。


稲荷寿司。

初めての人は大体が助六寿司でその存在を知るだろう。

助六寿司の助六とは助六縁江戸桜という江戸で行われていた歌舞伎の演目の主役の名前であり、その助六の愛人の揚巻あげまきという女性の名前から助六寿司が考案されたとされている。

揚巻あげまきの、揚げ=稲荷寿司の油揚げ、と、巻き=巻き寿司、という発想らしく、最近流行っているアニメキャラモチーフの食べ物の奔りと言えるだろう。

手軽に食べられるのと味も良かったため、助六縁江戸桜の演目以外でもこれを食べながら歌舞伎を見るのが通とされていて、日本中に稲荷寿司の存在が広まったらしい。


稲荷寿司自体の由来は稲荷神社の神様である稲荷大明神に捧げる供物とされていて、発祥は江戸時代の名古屋と言われている。

実際には愛知県の南東にある豊川が発祥を謳っていて、円福山豊川閣妙厳寺というお寺で行われていた五穀豊穣祈願のお供え物だったらしい。

円福山豊川閣妙厳寺と言われてもピンと来ないだろうが、豊川稲荷と言えば分かる人は多いだろう。地域住民以外にも全国的に豊川稲荷と呼ばれて親しまれている、年間約500万人が訪れる大きなお寺だ。


同じ愛知県内でも名古屋と豊橋は結構離れているのだが、何故、稲荷寿司が名古屋発祥と言われていたのか。

それは東京の江戸前寿司と大阪の関西寿司に並ぶ物として、名古屋も何かご当地寿司を用意したかったからではないかという説が考えられている。


当時の流行り物と言えば寿司だが、名古屋は寿司酢と溜り醤油はあっても新鮮な魚が多数取れる場所ではない。

柿の葉や朴葉で包んだ押し寿司はあるが、中身は単なるちらし寿司だ。

そこで今までに無い代わり種のネタとして、近くの町で食べられていた稲荷寿司に白羽の矢が当たったのではないだろうか。

稲荷寿司は包んでいる油揚げ自体も食べられる上に、醤油をかけなくても醤油の味がする。この発想は当時からしたら新しい。


又、中部地方の大きな街と言えば名古屋というイメージが強く、名古屋の周りの場所で食べた物も『名古屋の方で食べた○○がおいしかった』という様に宣伝されるため、それを聞いた人達は『○○は名古屋の物なんだな』と考てしまう。

それを否定しない事で、名古屋は『向こうが勝手に勘違いしているだけ』という大義名分の元、稲荷寿司の発祥の地という肩書きを手に入れたのだ。


現代でも名古屋めしには名古屋発祥ではない物多数含まれていて、稲荷寿司も名古屋めしも同じ受け手の勘違いを利用した現象だ。

名古屋は江戸時代の頃からこのようなイメージ戦略による名物の徴収を行っていたのだな。

流石は他人には余所余所しいが身内には慣れ慣れしい名古屋人。商売に対するやり口が汚い。

ただ、豊橋稲荷も豊橋稲荷で『日本の三大稲荷の一つ』として主張しているため、商売のやり口が汚いのは名古屋人だけでなくこの国の国民全員なのかもしれない。

そもそも、豊川稲荷はお寺がメインなので稲荷神社として数えるのはどうかという意見もある。

この辺りは神仏習合というややこしい概念があるので、その説明は今回は省かせていただこう。



稲荷寿司と言えば、一部地域によっては

『お稲荷様の物という事を現すために狐の耳のように三角形をしているが正しい』

とされているようだが、発祥である豊川の稲荷寿司は枕のような形の円筒形をしている。

これは油揚げと中の酢飯を合わせて米俵に見立てていて、沢山お米が取れますようにという願いと、その米俵を食べて力を付けて頑張ろうという狙いがある。

狐の耳説のほうが見た目も理由もかわいいが、正しくは俵型なのでその説は間違いだ。


だが、今の豊川市は稲荷寿司のバリエーションがそれはもう豊かで、


・酢飯にイカスミを混ぜてみたイカスミ稲荷

・酢飯に山葵の茎を入れてみたわさび稲荷

・酢飯に鮭といくらを混ぜてみた親子稲荷

・酢飯ではなく赤飯を詰めてみた赤飯稲荷

・酢飯ではなく卯の花を詰めてみた卯の花稲荷

・酢飯に葱やゴマを混ぜ、油揚げに包んでから火で炙ってみた焼き稲荷


という無難な物から、


・稲荷寿司の上に鰻を乗せてみた鰻のまぶし稲荷

・味噌カツを乗せてみた味噌カツ稲荷

・天ぷらを乗せてみた天むす稲荷

・中に明太子を詰めたちくわを包んでみたちくわ稲荷

・酢飯の替わりに焼きそばを入れてみた焼きそば稲荷

・酢飯の替わりにビビンバを入れてみたビビンバ稲荷

・油揚げの替わりに漬け物の大根で包んでみた大根漬け稲荷

・餅入りの油揚げをうどんに乗せてみた稲荷うどん

・鶏そぼろ、ひじき、野菜を混ぜ込んだ五目御飯を油揚げで包み、それを中華まんにしてみた稲荷まん


という、それは本当に稲荷寿司か?という物まで存在する。

驚くことに、これらの稲荷寿司(?)は豊川いなり寿司として公認されている物で、適当な店が適当に名乗っているわけではない。


なので、今更稲荷寿司の形に拘る必要は無い。それどころか味にも拘らなくてもいいだろう。なんとなく稲荷寿司に思えればそれはもう稲荷寿司だ。

発祥の豊川市がこうなので深く考えるだけ無駄なのだ。伝統は伝統として大事だが、それを壊す気兼ねを持っている懐の広い街である。

というか、稲荷うどんは本当に稲荷寿司関係ないだろう…どうしてこれが許されているのか分からない……


又、稲荷寿司ではないが、豊川稲荷の入口の斜向かいにある店では『おきつねバーガー』という油揚げでヒレカツとキャベツを挟んだよく分からない物も売っている。

どの辺りがきつねでどの辺りがバーガーなのか本当に不明だ。もう考えるだけ無駄である。しかしおきつねバーガーはかなり美味い。こんなのなのに美味いから不思議だ。


稲荷寿司について説明するはずだったが、どうも豊川がよく分からない街という説明になってしまった。

しかし、稲荷寿司は美味しい食べ物なので大丈夫だ。

みんなも是非一度は豊川に訪れて、謎の稲荷ワールドを体験して貰いたい。

味は悪くないので後悔はしないはずだ。多分。

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