天むす

そして、夫婦の思いやりが産み出した天むす

米。

それは世界三大穀物の一つであり、アジア圏は主に稲から取れる米を主食としている地域が多い。

特に日本では古くは縄文時代から水田作って稲作を行っていたという記録もあり、米はこの国の成り立ちから存在する食べ物だ。


日本人はそんな2000年以上も続く歴史の中で米に食べ物の以上の意味を持たせていて、特に近世では成人男性一人が一年に食べる米の量を『こく』という名前で単位化し、石の取れ高の『石高こくだか』を国力として扱ってきた。

米が沢山作れるという事はそれだけ土地と人間が居るという事であり、その国は石と同じだけの人間を養うことが出来る。

『加賀百万石』という言葉を聞いた事がある人は多いだろう。これは江戸時代の加賀藩はそれだけ沢山の米が取れたという事を現しており、人も沢山養う事が出来る裕福な土地だったという意味だ。


又、その土地で納める税を石高から計算して決めていた為、米は通貨として扱われた事もある。

貨幣が無い時代の商売は基本的には物々交換なのだが、その交換の基準が米であり、米は何とでも交換出来たという。

近年でも昭和の頃に米穀配給通帳と呼ばれる物があり、これを使用して一部の外食を米で支払う事が可能だった。

正に日本は米と共に歴史を作ってきたと言っても過言ではないだろう。


今では米を通貨として使う事は無いが、それでも米についての拘りは多い。

特に白いご飯に対しての拘りは異常とも言える。


米を常食する国はいくつか存在するが、実は日本のように米に味を付けずに白いご飯のまま食べるというのは珍しい。

大体の国が米を過熱する時に味を付けたり、そのまま煮ても上からソースや具をかけたりする。

日本では当たり前の事なのでイメージしにくいだろうが、米に味を付けずに食べるというのは蒸したじゃがいもに何も味を付けずに食べるような行為で、他に食べる物が無い場合や時間が無い時の食べ方である。

何も味を付けないで素材そのままの味を楽しむ民族は日本ぐらいなのだ。

ちなみに、『炊く』というのは食材を水と一緒に加熱した事で完成する料理に使う言葉であり、米を炊くというのは日本だけらしい。


そして、その米の食べ方の中でも特に日本以外の国で理解されない米料理が、おにぎりだ。

茹でる若しくは蒸しただけの穀物をそのまま手で押し固めただけの物。こう書くと少しはおにぎりの奇妙さが分かるだろう。

他の穀物で考えると更に分かりやすい。茹でたとうもろこしの粒を手で押し固めた物だ。とても料理とは思えないな。


そんな日本独自の料理であるおにぎりだが、その原型は古墳時代から合ったと言われている。

古墳時代の遺跡から発掘された物の一つに『蒸した米を押し固めてから焼いた物』があるそうで、これはどちらかと言うとおにぎりよりもちまきやきりたんぽに近い物だそうだ。

そして平安時代になると今度は炊いたもち米を一合半ほど使って楕円形にした『屯食とんじき』と呼ばれる物が産まれる。

これは貴族が下仕えの者に賜わった弁当のような物で、鎌倉時代になるともち米ではなくうるち米で作られるようになり、保存性を高める為に中に梅干しを入れたとされる。

今のようなおにぎりという存在が生まれたのはここからだ。


屯食とんじきは一つで複数の栄養が取れるという事で携行食としても扱われ、鎌倉時代から戦国時代までの間で軍隊の兵糧として重宝される事になる。

ご飯に具を混ぜた混ぜおにぎりが作られたのはこの頃らしい。

続いて江戸時代になると米粒が他にくっつかないようにと板海苔を緩衝材として使い始めるようになり、ここで現代のコンビニでも売られている様なおにぎりとして完成する。


日本の文化は米と共に発展した文化だが、その米の食べ方のおにぎりもこうして長い歴史があるのだ。


おにぎりの歴史は止まらず、今でも進化が続いている。

おにぎりはだいたいどんな具でも相性が良いのでいくつもの種類が作られ、中に佃煮やツナマヨ等を入れた物もあれば、納豆や味噌をご飯に混ぜた物もあり、海苔の代わりにとろろ昆布や塩漬けにした高菜で包んだ物もある。

おにぎりの種類は人の数だけ存在すると言っていいだろう。



そして、ここ名古屋のおにぎりと言えば、赤車海老の天ぷらを具にした天むすが有名だ。



天むすは『海老の天ぷらのおむすび』を略して天むすと呼ばれている物で、全国に広まったのは名古屋からだが、実は三重県の津市が発祥である。

ちなみに、おにぎりとおむすびの違いは無いとされていて、地方によって呼び名が変わるだけらしい。


天むすは元は津市の天ぷら屋の賄い料理だった物で、店主の奥さんが忙しくて旦那さんの昼食を作る事が出来なかった為、急遽天ぷらをおにぎりに入れた事で産まれた。

最初は車海老の天ぷらを切って入れていたが、常連向けの裏メニューとして味や作り方を研究し、見栄えを良くする為に赤車海老を使うようになり、好評を得た事でレギュラーメニューにも出すようになったらしい。

こうして作られた天むすは人気商品になり、数年後には天ぷら屋を天むす専門店へと変貌させた。


そして数年後、名古屋のとある時計屋が倒産し、借金は無いものの新しい事業として天むす屋を始める事になる。

特に何を始めるかは決めていなかったらしいが、津市で食べた天むすがあまりにも美味しかった事で天むす屋を始めようと思ったらしく、天むす屋の店主に暖簾分けをさせて欲しいと一ヶ月間かけてお願いしたらしい。

その一ヶ月間に様々なやり取りが合ったようだが、最終的に店主が熱意に打たれて暖簾分けの許可を与え、名古屋に天むす屋が出来た。


最初は天むすしかメニューが無い事と天むすの知名度が低い事、そして元時計屋の店舗が狭い事で苦戦したようだが、名古屋のTV番組で紹介された事で名古屋中で人気となり、ある落語家が名古屋から次の現場に向かう際のお土産として大量購入をして振舞った事で一部界隈で知名度が上がり、そこから全国に広まるようになった。


このため、天むすの発祥は三重県津市なのだが、暖簾分けをした名古屋の店から有名になったので『天むすは名古屋の物』と思われている。

その差別化を計るためかどうかは分からないが、今では津市のほうは店名に『元祖』と付け、包み紙も名古屋店の茶色ではなく若草色の物を使っている。


又、天むすと言えば付け合わせの漬物はきゃらぶきの漬物なのだが、これは津市の店の旦那さんが沢庵が嫌いという事できゃらぶきを使っているらしい。

元が旦那さんの為の料理だという事を考えると、夫婦の仲の良さが伺えるだろう。



先におにぎりは進化を続けていると書いたが、やはり食べ物の発展とはこうした誰かの為の想いから改良され、広まっていくのだと思う。

平安時代の屯食とんじきも他者へ振舞う為の物であり、軍隊の兵糧として混ぜおにぎりになった事も、江戸時代で板海苔が使われ始めたのも、食べて貰う誰かの為の工夫である。


米と共に歴史を歩んできた日本。米の食べ方として進化してきたおにぎり。

そして、夫婦の思いやりが産み出した天むす。

落語家が大量購入してお土産として配った事も全て、この国の人間の根本部分にある、他者を思いやる感情が産み出した結晶と言えるだろう。


おにぎりは日本人の心の食べ物であり、天むすは愛情の食べ物だ。

他者との係わりを恐れる現代人にこそ、おにぎりを、そして天むすを食べて欲しいと思う。

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