マヨネーズ入り冷やし中華

今年の冷やし中華は『マヨネーズ付け始めました』と貼り紙を出そう

夏が近付くとそこかしこで勃発する、職人達による読み合いと牽制の応酬。


季節感を大事にする俳句では7月の季語とされているので7月1日から行うのが正しいという意見が多いが、、暦の上では6月20日頃から夏なので、それに合わせるのが正しいと言う意見もある。

しかし、暦だけではなく気温や湿度でも判断するべきだという意見もあり、中には一年中出してもいいのではないかと思考を放棄する意見もある。

根拠に使える理由が多すぎて何が正しいのか分からなくなっており、そのルールがいつから始まったのか、又、ルールの細かい内容について知る者もいない。

大まかに『夏に始める』という事だけが日本中に広まっていて、『いつから夏なのか』というのはその地域の自治体に判断が任されている。


基本的にはいつから始めようが各職人の自由なのだが、余りにも早すぎるフライングは掟破りとして非難の対象にされ、翌年から権利を失効されてしまう場合もあると言われている。

この噂は無法地帯になるのを防ぐための処置だろうと思われているが、実際に試した者の話は誰も聞いた事が無い。

飽くまでも噂に過ぎないのに関わらず、日本中で無法地帯になっている箇所がないというのは、この唯一判明しているルールを誰もが守っているからだろう。

しかし、それでも数多の麺職人達は自分の所が一番先に始めたいと思ってやまなく、また今年も夏が近付くと街中で読み合いと牽制が始まるのだろう。


それは日本の夏の風物詩の冷やし中華。

そして、


『冷やし中華始めました』


この一文の書かれた紙を張り出すことについて、日本中の麺職人は毎年チキンレースを行っている。



冷やし中華の始まりは様々な説があるが、概ね昭和の始めに作られたものだとされている。


発祥には様々な説があるが、どの場合でも冷やし中華が作られた理由として『夏にラーメンが売れないため』というのがあり、今のように空調が発達してなかった頃はラーメンと言えば食べるのも熱ければ店の中も暑い物だったという。

そのため、暑い夏でも人気になるラーメンを出せないかという事で、ざる蕎麦やところてんの食べ方を参考にし、茹でた麺を水で締め、醤油に酢を混ぜたタレをかけた冷たくてさっぱりとしたラーメンを考案したと言われている。

当時はまだラーメンを『中華そば』と呼ぶ店が多かったので、冷たくした中華そばという事で『冷やし中華』としたのだ。


この頃はまだ上に載っている具はラーメンのままだったようで、今の様な具を細長く揃えたスタイルは戦後の東京の中華料理屋で作られた『五色涼拌麺』と呼ばれる麺料理から広まったとされている。

五色涼拌麺の具は中華ハム、胡瓜、糸寒天、筍、錦糸卵を細長く切った物で、周りには海老、さやえんどう、椎茸が載せられている。タレは醤油と酢に砂糖を足した物で甘酸っぱい。

『五色』というのは五種類という事ではなく、五目ラーメンの五目と同じで『様々な種類の具が入っている』という意味だ。

この五色涼拌麺に使われていたハム、胡瓜、錦糸卵が他の食材よりも手に入りやすいという事で冷たいラーメンの具として定着し、戦前の冷やし中華と混ざる事で今の冷やし中華へと繋がる事になる。


今の冷やし中華は戦前の冷やし中華と、戦後の五色涼拌麺が合わさった、ハイブリッド冷やし中華なのだ。



そして、名古屋で冷やし中華と言えば、そう、マヨネーズだ。


名古屋を始めとする東海では冷やし中華にマヨネーズをかける事が常識となっていて、コンビニで冷やし中華が発売された時は

『マヨネーズがついてにぇーじゃにぇーか!!』

という苦情の電話が相次ぎ、今では東海のコンビニでは全ての冷やし中華にマヨネーズが付くようになったという、まことしやかな話が流れる程だ。


この冷やし中華にマヨネーズをかける行為は、名古屋の大規模チェーン店のラーメンも出す甘味屋が始めた物である。


冷やし中華のマヨネーズは単に上にかけただけなのでおまけの様に思えるが、実はこの店、元々はマヨネーズをスープに溶かした物を使って冷たいラーメンを出していたのだ。


この店のスープは鰹出汁ととんこつスープを合わせた物で、鰹出汁の割合が多くてとんこつにしてはさっぱりとしている。

名古屋民はこの店の鰹とんこつのスープのラーメンをおやつにして育つと言われるが、今はそれについては置いておこう。

鰹とんこつのスープはさっぱりしているだけでなくさらっともしているので、そのまま冷やしたのみでは冷たい麺に絡まず、味が薄くなってしまう。

そこで冷やしても麺に絡むスープを作ろうと、ラーメンと相性の良い卵と、冷やし中華でよく使われている酢で作られたマヨネーズを使う事を考えついたらしい。

実際に汁物にマヨネーズを混ぜるととろみが出るだけでなくコクも出るので、発想としては間違っていない。

そしてこのマヨネーズ鰹とんこつのスープを使って冷たいラーメンを作り、『冷やしラーメン』として販売していた。


これがマヨネーズと冷たいラーメンの組み合わせの発端だ。

今ではこのマヨネーズを溶かしたスープの冷やしラーメンは販売していないが、『ごまダレ冷やしラーメン』という商品が『冷やし中華』とは別に存在する。

上に載っている具とタレの味付が違うので、もしかしたら当時の冷やしラーメンを今風に再現した物かもしれない。


そして戦後、全国的に冷やし中華ブームが広がる。

この時にどのような判断があったのかは分からないが、この店はブームに合わせて冷やしラーメンの販売を辞め、冷やし中華の販売を始めた。

今でも頻繁につけ麺や混ぜそば等の新しいメニューを取り入れたりとフットワークが軽い店だが、その片鱗はこの時からあったのだろう。

今では長年続く大企業となっているので、その判断は正しかったのだ。

しかし、すっぱりと冷やしラーメンの事を忘れる事は出来なかったのか、冷やし中華の上にマヨネーズを載せる事だけは続けた。

この店の冷やし中華の上にマヨネーズが載っているのは当時の冷やしラーメンの名残りなのである。


その後、名古屋民が幼少時からこの店を利用する事で冷やし中華にマヨネーズが載っているというのは常識として扱われ、東海の冷やし中華はマヨネーズが載っていないといけない物とされたのだ。


こう説明するとわざわざ冷やし中華にマヨネーズを乗せる必要は無いのではないかと思うだろう。

しかし、計ったのか偶然か、実は酢醤油と油物のマヨネーズの相性はすこぶる良い。

元々、中華料理では油物に酢を混ぜる事で味をまろやかにするという技法が存在していて、バンバンジーのタレや揚げ物に甘酢のあんをかけるのがそれだ。

酢と醤油で作られた冷やし中華のタレにマヨネーズを混ぜると、タレの酸っぱさが減り、卵のまろやかさと相まって全体が優しい味になる。

ただの偶然なのかもしれないが、冷やしラーメンの経歴を考えると確信犯なのかもしれない。

これこそ、冷やし中華の完成形と言える。


産まれは偶然かもしれないが、その味は本物だ。

毎年毎年、貼り紙をいつ貼るかでしか争っていないラーメン屋ばかりだが、もう少し冷やし中華の可能性について考えてもいいのではないだろうか?

そうして切磋琢磨してこそ、新しい可能性が見えてくる。

まずは手始めに、今年の冷やし中華は『マヨネーズ付け始めました』と貼り紙を出そう。

他と差を付け、マヨネーズ入り冷やし中華の素晴らしさを広めるのだ。

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