守口漬

守口漬の琥珀のような黄褐色と渦を巻いた姿は漬物売り場で目を奪う

物の名前というのは一定ではなく、場所や時代や広まり方によって変化する物である。


例えば北海道室蘭市の焼き鳥。

焼き鳥という名前なのに串に刺さっているのは豚肉だ。

昭和初期の室蘭市は養豚場が多くあり、豚の皮を使って軍用の靴を作っていたため、鶏肉よりも豚肉が手に入りやすかったらしい。

そこで焼き鳥を出す屋台が安価で豚串も出していた事から、『豚串を食べる事=焼き鳥を食べる事』とされ、豚串を焼き鳥と呼ぶようになったという。


例えばホットドッグ。

細長いパンに同じく長いソーセージを挟んだ物で、見た目がダックスフンドに似ている事から犬の名前が付いている。

この犬に似ているというのはソーセージの部分の事を指しており、長いソーセージ単体でもドッグと呼ばれる。それを温めて出すのでホットドッグだ。細長いパンだけではホットドッグとは呼ばない。

しかし、日本では細長いパンに何かを挟む事自体を『○○ドッグ』と呼び、いくつもの派生品ドッグを作っている。意味としては全くの逆だ。


例えば唐辛子。

コロンブスがインドを目指してアメリカ大陸に辿り着き、そこで胡椒を求めて手に入れた物。

現地人達は胡椒が何かを知らず、『辛い物』と言われたので唐辛子を差し出したらしい。

コロンブスはそれが胡椒では無い事は分かっていたが、『赤い胡椒ホットペッパー』と呼ぶ事で胡椒として扱い、ヨーロッパへと持ち帰って大陸に広めた。

世界中で唐辛子が胡椒と似た名前で扱われているのはこのせいであり、日本でも九州の一部では唐辛子を胡椒と呼んでいる。


他にも略されたり、訛ったり、組み合わされたりして、物の名前は元の名前から変化していく。


名古屋の名産にも時代によって名前が変化した物があり、その変化の仕方は『成り代わり』という珍しい変化の仕方だ。

その珍しい変化をした物は守口大根と呼ばれる120cmにもなる細長い大根と、守口大根を酒粕に漬けて作る守口漬。

どちらも元は違う物だったのだが、今ではこれが正しい名前と正しい物だとして定着している。



元の守口漬と守口大根は戦国時代に名付けられた物だ。


そもそも守口漬とは大阪の守口市で作られていた漬物の事で、名古屋との直接のかかわりはない。

戦国時代の終盤。豊臣秀吉が当時の守口村に立ち寄った際に出された漬物を気に入り、味を絶賛して村の名前から守口漬と命名をしたのが始まりだ。

この頃の守口漬は漬物ではなく漬け方の事を指しており、湯通しした野菜を天日干しし、それを酒粕に漬けていたらしい。

そのため本来の守口漬はどんな野菜でも守口漬と呼べるのだが、当時の大阪では宮前大根という細長い大根が広まっていて、それが大量生産しやすいという理由で宮前大根を守口漬にする事が主流となり、他の野菜は使われなくなった。

そしていつしか宮前大根は守口漬に使われる大根という事で守口大根と呼ばれる様になり、守口漬は守口大根で作る物とされたのだ。


この守口大根の守口漬が美味しかったのと、秀吉が命名したというで知名度が広がり、江戸時代では守口村に宿場町が作られて守口漬は名産品となる。

しかし、守口村では守口漬の材料の酒粕が余り手に入らず、一般に流通するほどの量は作れずに献上品や贈答品として少数のみが出回る程度だったという。

やがて明治時代になると街道の整備や流通ルートの変更が起きて守口の宿場町は廃れ、守口漬は同じ酒粕を使う奈良漬と同じ物として吸収されていった。


時は流れて明治時代。

名古屋を含む東海は酒造が多く、その廃棄物である酒粕を使った奈良漬は広く庶民に広まっていた。

特に愛知県では江戸時代の頃から奈良漬が食べられていた記録が残っており、主に尾張地方特産の方領大根やかりもり等を奈良漬にして食べていて、名前も奈良漬ではなく粕漬けと呼ばれる事が多かったという。

そんな中、清洲にある漬物屋が新商品を考えようと、他の粕漬に使う野菜とは違う『美濃干し大根』と呼ばれる物を粕漬にした。

美濃干し大根とは岐阜県美濃地方の一部で作られていた細長い『ホソリ大根』を拍子切りにして干した物で、この『干した細長い大根を酒粕で漬ける』というのが守口漬にそっくりだと気付いた漬物屋の店主がこれを守口漬として販売し、東海圏内に周知される事になる。

そして宮前大根と同じく、守口漬に使う大根という事でホソリ大根は守口大根と呼ばれるようになってしまう。


つまり、今の守口大根は以前の守口大根とは別種であり、守口漬自体も別物なのだ。

ただ、以前の守口大根と宮前大根は別物だったのではないかと言われていたり、以前の守口漬の詳しい漬け方が残っていないので守口漬と奈良漬は本当に違ったのかどうか等、色々とあやふやな点は多い。

それでも一旦守口大根と守口漬は廃れて愛知で新しく始まった物という事と、今の守口大根はホソリ大根が『成り代わった』物という事は間違いではない。


守口大根の受け継がれ方はまるで落語や歌舞伎の襲名のようである。

物の名前が変化する事例として中々面白いケースではないだろうか。

もしももう一度守口漬が廃れて復活した場合、次はどんな大根が守口大根になるのだろうか。

形は変わるのか?漬け方はそのままなのか?守口漬の興味は尽きない。


尚、守口大根だが、スーパー等の一般の商店に並ぶ事は無く、ほぼ全て守口漬にされる。

これは守口大根がその長さのため栽培適地が非常に少ないからであり、農家が漬物屋と専属契約をしているためである。

世界で一番長い大根としてギネスにも載っている守口大根だが、守口漬と違って知名度が低いのはこれが理由だろう。


又、今の新しい守口漬だが、前の守口漬では語られていなかった特徴として、見た目がとても目立つというのがある。

作り方は塩漬けの守口大根を脱水して長期間酒粕に漬けるという簡単な方法なのだが、これを120cm程ある守口大根をそのまま漬けるので豪快だ。

そして漬け込む期間も三年と長い。

これは守口大根を塩漬けと脱水で水分を抜いた後、何度も新しい酒粕に漬ける事で塩分も抜いて繊維を崩す為である。

完成した守口漬はぐねぐねとしてホースのようであり、販売時は蚊取り線香のように渦を巻いた状態で販売される。

この渦を巻いた見た目が他の漬物に無い特徴で、長いままの一本の守口漬は『長く切れ目が無い』事から贈呈にも使える縁起物とされている。

守口漬の琥珀のような黄褐色と渦を巻いた姿は漬物売り場で目を奪うため、名前を知らない人でも見た覚えはあるだろう。


更に、守口漬は見た目だけでなく味も一級品で、通常の奈良漬よりまろやかで大根の甘味と酒粕の独特の風味が後を引く。

ご飯のお供としてだけでなく単独でも食べられる一品であり、日本酒やワインにとても合う。

最近では薄く切った守口漬をチーズやクラッカーに載せて食べるという食べ方もあり、酒好きならば一度は味わってみるべきだろう。


元の守口漬とは別物となってしまっている守口漬だが、冒頭に書いたように物の名前というのは一定ではなく、場所や時代や広まり方によって変化する物である。

今ある物もいずれは変化し、別の物になってしまう可能性もあるだろう。

だからこそ、今ある物を大切にし、記憶に留めていかなくてはならないと思う。


守口漬は一本買えば長期間楽しめる漬物なため、記憶に残る時間も長い。

だからこそ、名古屋のお土産には守口漬を購入するといいだろう。

一本入りの箱詰めではなく、複数本入りの樽詰めがお勧めだ。

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