おこしもの

おこしものと菱餅、なんだか似てやいないだろうか?

うるち米を粉にした米粉をお湯で練り、耳たぶほどの柔らかい塊になったらピンポン玉よりやや大きい程度の大きさに分ける。

それを鯛や花や扇等の縁起物を彫った木型に押し付けて型を取り、表面が少し乾いて形崩れしなくなったら蒸し器で蒸して火を通す。

そして柔らかいうちに赤や緑の食用色素で元の白色を残しながら色を付けた物。

出来たてはそのまま醤油や砂糖を付けて食べ、時間が経って硬くなった物は再度蒸したり網で焼いたりしてから食べる。

古くから続く名古屋圏の伝統的な雛菓子であり、桃の節句の間近になると和菓子屋に並ぶ春先の風物詩。

それを『おこしもの』と呼ぶ。



おこしもの。

それは桃の節句の行司食という以外の殆ど詳しい事が分かっていない食べ物で、いつから始まったのかも記録に残っていない。

東海地方だけで作られる物らしいが呼び方も統一されておらず、『おこしもの』の他には『おこしもん』『おしもん』『おこしもち』『おしもち』という呼ばれ方をしている。

名前の由来は

『型に押し付けてから起こす(外す)のでおこしもの』

というのが一般的とされているが、地域によって微妙に呼び名が違うので由来も微妙に変わっていて、

『型に押すからおしもん』

とされている地域もある。


他にも変わった説として、

『桃の節句にこの地の将軍が家紋を模った餅を振る舞っていた』

という権力の表明と戦意高揚の為という理由や、

『農民達の間に桃の節句の時だけ将軍家の家紋を模った餅を食べるという贅沢が許されていた』

というお目こぼしの理由での『押し紋』から来ているのではないかという説もある。

ちなみに、私の産まれた地域では『おこしもち』と呼ばれていて、

『冬眠している生物が起きる時期に食べる餅なので起こし餅』

と説明された覚えがある。

どれも信憑性がある説だが確定はされていない。


しかし、おこしのものが桃の節句の雛祭りに合わせて作られる物というのは確かである。

材料が米な事、赤と緑と白の色使いの物という事、縁起物を模るという事が他の地域の雛菓子の特徴とも一致する。


雛菓子の代表的な物は雛あられと菱餅だ。

どちらも米を原料とした節句菓子で、色も赤、緑、白が基本である。

物によっては黄色や黒が混じる事もあるが、概ねこの三色が使われている。

それぞれの色にはちゃんとした意味があり、

赤は魔除けや厄除けの力を持つ桃の色を表していて、赤色を付けるための梔子の実も解毒効果が有り、命を意味する。

緑は春に芽吹く新芽の萌える色を現していて、草餅にする蓬を使う事で増血効果や消毒が有り、成長を意味する。

白は残雪の色を表していて、穢れの無い純白と、透き通る雪解け水のイメージから清純を意味する。

とされている。

どれも風流を感じる意味が込められており、春の訪れに相応しい菓子だろう。


しかし、これは江戸時代に雛祭りが広まった際に作られた色の理由であり、桃の節句が始まったとされる平安時代では雛あられは無く、行事の内容も今と違う物だったらしい。


そもそもの話だが、桃の節句と雛祭りは別物である。


桃の節句は三月三日の節句の日が桃の花の開花日に近いという事で桃の節句と呼ばれているが、元々は上巳じょうしと呼ばれる。

そして今や御節料理と言えば正月に食べる料理の事とされているが、御節というのは節句の事で、一月一日の人日じんじつ、三月三日の上巳じょうし、五月五日の端午たんご、七月七日の七夕しちせき、九月九日の重陽ちょうようの、一年に五日ある節句の日に食べる行司食を御節料理と呼んでいた。

この考えは中国の文化が日本に入ってきた時にもたらされた考え方で、遡ると飛鳥時代には日本にあったとされる。


そして雛祭りは原型が平安時代の女の子の遊びのおままごとである。

雛とは『実物よりも小さい物』という意味があり、現代で言うフィギュアやミニチュアの事だ。

現代では人形遊びは庶民の女の子や大きいお友達にとって当たり前の遊びだが、人を模した物で人の暮らしを再現するのは貴族の人間にしか出来ず、とても雅な事とされていた。

今でも雛祭りが『ひなあそび』と呼ばれる事があるのはその名残りだ。

この時、遊びで作られたはずの人形が人の身代わりにもなると考えられ、厄除け雛や流し雛という厄除け祈願の行事も作られたらしい。


桃の節句と雛祭りの二つの文化が合わさったのは戦乱の落ち着いた江戸時代からであり、そこから一般庶民も楽しむ行事となった。

余りにも一般庶民が派手に雛祭りを行うので、幕府から規制が入った程である。


という事で、雛祭りの起源はおままごとで、本来は桃の節句との関連性は無いのだ。

だからこそ、ここで桃の節句に食べる菱餅とはなんなのかという謎が浮かんでくる。



菱餅についての由来もおこしものと同じで様々な説がる。

太古の中国の天は丸く大地は四角いという考え方の四角を現している説。

平安時代の新年の宮中行事の歯固めの儀式に食べる菱葩餅が元になっている

説。

室町時代の足利家が食べていた菱型の紅白の餅が宮中に取り入れられた説。

室町時代の礼儀作法を治める小笠原家の家紋の三蓋菱を模った説。

厄除け雛や流し雛と合わせて身代わりにするために心臓を模している説。

等がある。

どれもそれらしさはあるが、これだと明確に定められている物は無い。


どうだろうか。

おこしものと菱餅、なんだか似てやいないだろうか?

どちらも由来・発祥共に不明だが、材料と色は同じである。

聞いたところによると新潟の佐渡にもおこしものがあるらしく、中に餡子が入っている以外は見た目も色使いも同じだ。

そして出雲のひな餅、秋田の笹っぱ餅も見た目がおこしものに似ている。

これらは恐らく、日本に桃の節句が入って来た時に食べられていた菱餅の原型となった食べ物なのではないだろうか。

中でも名古屋のおこしものが一番原型に近い物だと思われる。

理由として、新潟のおこしもの、出雲のひな餅、秋田の笹っぱ餅は中に餡子を入れているが、菱餅には餡子が使われていないという部分だ。

名古屋のおこしものは最低限米粉だけあれば作れる。恐らくは当時の菱餅もそういう物だったのだろう。

長い歴史の中で由来や発祥については語られなくなってしまったが、今も尚、地域に根付く伝統がその形を残している。


こうして千年以上も前の食べ物が現代でも食べられるというのはとても浪漫を感じる事ではないだろうか。

おこしものの味は団子と同じ米粉の味だが、そこには日本人の文化の歴史が詰まっていると言っても過言ではない。

一度は三月三日の桃の節句におこしものを作って食べてみるといいだろう。

型を手に入れるのに少し手間がかかるが、作り方は雛あらあれや菱餅よりも簡単だ。

おこしもちを名古屋圏だけの物にしておくにはとても惜しい。もっと全国的に広めるべきだと思う。

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