大あさり

ただの名古屋めしでは終わらない、歴史的価値のある大あさり料理

郷土料理とご当地グルメは全く違う別の物というのは知っているだろうか。

なんとなく同じような物に思えるが、その実は正反対のカテゴリの物である。


郷土料理はその土地に根付いた食材や伝統の調理法をしている料理であり、他に無い独自発展をしている物が多い。

簡単に言えばその土地で昔から食べている物で、郷土に根付いた料理という事で郷土料理と呼ばれる。


逆にご当地グルメはそういった歴史にこだわらず、新しく作って地域に定着させた料理だ。

その土地に根付いた食材を使う必要も無く、伝統の調理法をする必要も無い。

これは地域活性化を狙うためにわざとそうして定義された物で、特に農村や漁村等の観光資源の薄い場所でも人を呼べる名物を作りやすくしたのだ。

ただ、やはり使い慣れた食材で作るのが楽なのか、土地に根付いた食材を使った丼物や焼きそばやカレーが多い。


大まかに分けるのなら、和食が郷土料理で、喫茶店や屋台で食べるのがご当地グルメと思えばいいだろう。

細かくは違うが、大体そんな感じで間違いない。


そして名古屋めしは郷土料理とご当地グルメが入り混じっているのだが、その中でもずば抜けた歴史を持つ郷土料理の名古屋めしがある。

八丁味噌が出来たのが戦国時代より前と言われているが、それよりも遥か昔から食べられていた食材だ。


確認されている食べ始めは縄文時代晩期。

渥美半島で水揚げされる、大あさりという名古屋の伝統食材だ。



日本に大あさりと呼ばれる貝は二種類有るが、実はどちらもアサリではない。


一つは主に千葉県で漁獲されているホンビノスと呼ばれる貝。アサリと同じ二枚貝のマルスダレガイ科だが、ハナガイの仲間だ。

元々は北アメリカの大西洋側の湾に生息している貝で、2000年頃に東京湾に生息しているのが確認されたらしい外来種である。

バラスト水と呼ばれる船のバランスを取るための海水に混じって日本に入ってきたのではないかと言われていて、アメリカから来る船が多い東京湾と大阪湾で漁獲されている。

大あさりの他に白ハマグリとも呼ばれていたらしいが、近年の食料偽装問題で消費者に誤解を与えるという事でホンビノスと呼ばれる事が定着した。

ちなみに、アメリカ料理で有名なクラムチャウダーはこのホンビノス貝で作る物らしく、日本ではアサリでクラムチャウダーを作るので、ホンビノスとアサリは味がよく似ているのだろう。

ホンビノスを知らない人がホンビノスを大あさりと呼んだのは仕方ないと思われる。


そしてもう一つが愛知県の南に位置する渥美半島で漁獲されているウチムラサキと呼ばれる貝。こちらもアサリと同じ二枚貝のマルスダレガイ科で、ユウカゲハマグリという潮干狩りで取れる小さなハマグリの仲間だ。

こちらは古来より日本海に生息する貝だが、海の深い場所に生息しているのであまり漁獲されておらず、伊勢湾内の一部が主な漁獲の場となっている。

ウチムラサキはその名の通り貝殻の内側が紫色をしている。外側は縞模様の入った白や灰色だ。

外見はほぼアサリのままだが、大あさりと呼ばれるだけあって身が大きく、食べ応えがある。

味はアサリに近いのだが、アサリよりも出汁がよく出るのでこちらのほうが好みだと言う人は多い。

ハマグリの大きさになったアサリと思うとイメージしやすいだろう。


こちらは昔から大あさりという名前で広まっているからか、本来のウチムラサキという名前で呼称しようという動きは無い。

突然ウチムラサキと言われても何の事か分からないし、高知県に同じウチムラサキと呼ばれる柑橘類もあるので紛らわしい。

というか、恐らく大あさりという名前のほうが先で、ウチムラサキという名前は後から出てきたのではないかと考えられる。

そもそもウチムラサキがユウカゲハマグリの仲間というのは近年になって分かったことであり、少なくともアサリとウチムラサキは同じものと思われていた。

ウチムラサキはホンビノスのように余所からやって来た外来種ではなく、日本の在来種なのだ。今更呼び名を変えろといわれても困るのだろう。


そして面白い事に、大あさりの名産地である渥美半島は朝廷と繋がりがあり、朝廷がウチムラサキを大あさりと扱っていたので、今でも大あさりと呼び続けているという話がある。


確認出来る渥美半島と朝廷との繋がりは三つ。


まずは東大寺の瓦を作った窯があった事。

東大寺は奈良時代に聖武天皇が作り上げたお寺であり、その制作には当時の最先端と最高の技術を総動員して作られている。

今でこそ瀬戸や常滑が焼き物の産地として有名だが、鎌倉時代までは渥美が名産地だったのだ。


次に飛鳥時代の皇族の麻績王おみのおおきみが罪を犯して渥美に流された事。

当時は渥美半島は陸で繋がっておらずに島だと思われていたらしい。

明確に何の罪を犯したのかは残されていないが、万葉集に渥美半島の先端の伊良子岬に麻績王おみのおおきみが流された事を心配する歌と、その返歌が残っている。


そして最後に伊勢神宮の貿易港だった事。

当時は陸路よりも海路のほうが渡るのに楽とされていて、伊勢神宮の対岸にある事から渥美半島は政治・経済・文化の中心地として栄えていたらしい。

この貿易の始まりは記録に残っておらず、伊勢神宮が出来る前から行われていたのではないかとも言われている。


これ等はきちんと歴史資料が残っている記録だ。

他にも京都と奈良には『大あさりは朝廷への貢物だった』という話が残っており、一部の料理店で大あさりが提供される事があると言う。


彼等にとって大あさりは日本の象徴である天皇がその呼称を認めているのであり、ウチムラサキなどというアサリを否定する名前は間違いなのだ。

『お上がこう言うからこう!』という考え方であり、とても面白い。


又、渥美半島にある吉胡貝塚と呼ばれる縄文時代の貝塚があり、この貝塚は紀元前3000~2300年の縄文時代の物とされている。

そして捨てられていた貝の中にウチムラサキもあるため、渥美半島から朝廷へウチムラサキが大あさりとして送られていたのはあながち間違いでは無いのだろう。


つまり、大あさりは名古屋という街が出来るもっと以前からこの辺りの郷土料理であり、それどころか下手をすると稲作をする以前からの日本人の郷土料理でもあるという事だ。


どうだろう、大あさりの事が気になって来ないだろうか?

今では漁獲量が減ってきている大あさりだが、それでも名古屋の居酒屋ならば殆どの店で食べる事が出来る。

貝殻の半分を取って残りを器として扱い、上に葱をかけてから網に乗せて火にかける。すると食べ応えのある大きな身から汁が出て来るので、そこに醤油を数滴垂らす。

貝類の基本的な食べ方だが、これだけでも大あさりは美味しい。

他にも身が大きい事を利用して牡蠣のようにフライにする食べ方や、玉子とじにしてご飯に乗せた大アサリ丼という食べ方もある。

珍しい所だと焼き大あさりを食べた後、大あさりから出た汁を使用して貝殻のまま雑炊にする食べ方もある。

炊き込みご飯とまた違った風情のある雑炊になるのだが、あさりの雑炊など味の想像が付かないだろう。一度は食べてみるべき味だ。特に葱をたっぷりかけると良い。

これこそ、狩猟中心だった縄文時代から、稲作を行うようになった弥生時代への返還の味である。


ただの名古屋めしでは終わらない、歴史的価値のある大あさり料理。

日本と言う国が出来た時から存在する、朝廷も認めた日本の郷土料理そのものだろう。

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