ういろう
最古の和菓子の名は名古屋名物のういろうにこそ相応しい
『お菓子を一つ思い浮かべて欲しい』と聞かれたら、何をイメージするだろうか。
大半の人がケーキやアイスクリームのような甘い物をイメージするだろう。
しかし、お菓子は甘い物だけではない。
ポテトチップスはしょっぱいし、スナック菓子には唐辛子や胡椒で辛く味付をした物があるし、苦いのか甘いのか酸っぱいのかよく分からないリコリスという甘草から作る飴もある。
お菓子は甘い物でないといけないというわけではないのだ。
一体、『お菓子』とは何なのか。
それはお茶や酒と同じ『嗜好品』であると考えられている。
詳しく説明するならば『栄養摂取を目的としていない、味覚や嗅覚や視覚を楽しませるだけの食べ物』だ。
お菓子は生きる上で摂取しなくても問題が無いが、摂取する事で心が満たされる満足のための食べ物である。
日本はお菓子を大きく分けて和菓子と洋菓子の二種類に分類している。
この二つの違いは大まかに明治時代以前から日本に普及していたかどうかであり、金平糖やカステラのような南蛮菓子や、平安時代や室町時代に中国から伝わった唐菓子も和菓子の分類だ。
さらに、それぞれに生菓子、半生菓子、干菓子と水分量による三つの分類が存在し、合わせて計六種類の区分けとなる。
例を挙げると
和菓子の生菓子:練り切り、羊羹、寒天
和菓子の半生菓子:栗金飩、きんつば、饅頭
和菓子の干菓子:落雁、金平糖、煎餅
洋菓子の生菓子:ゼリー、ババロア、プリン
洋菓子の半生菓子:スポンジケーキ、チョコレート、アイスクリーム
洋菓子の干菓子:ビスケット、チューイングガム、ポテトチップス
この辺りの物が分かりやすいだろう。
細かい定義としては水分量が10~30%の者が半生菓子で、それ以上が生菓子、それ未満が干菓子とされている。
この通り、『お菓子』というのは嗜好品であり、時代や水分量による分類は定められているが、何を使えばお菓子なのか、どんな形ならばお菓子なのかというのは決まっていない。
西洋料理や中華料理はお菓子に当たる物の定義がしっかりとされているらしいが、日本はお菓子の定義がいつまでたってもあやふやなままである。
それもそのはずだ。
何故ならば、日本のお菓子は主食である米を用いた物が多く、料理にも砂糖を使って甘くした物が存在し、食材や作り方によって料理とお菓子を分ける事が出来ないからである。
日本のお菓子の始まりは鎌倉時代。
中国からお茶の種子や苗木が伝わった事で、今まで起きては廃れていた喫茶文化が定着して広まり、一緒に点心も伝わった事で菓子文化が発達する。
最初の頃のお茶文化は闘茶と呼ばれる『どちらが上手くお茶を入れたかで競う物』だったらしく、この時にお茶に合わせて食べる物としてお菓子が使われたのだ。
闘茶は時代が経つにつれて『どれが一番高いお茶でしょう?』というクイズにもなったりもしたが、最終的には『いかに来客をもてなせるか、そして客側はいかに失礼の無い様にもてなされるか』という礼儀作法バトルへと変化していき、お菓子も一口で食べられる落ち着いた物が定着する。
今でもよく食べられる饅頭はこの時に伝わった点心の仲間であり、判明している中で最も古い和菓子と言われている。
しかし、元々おの饅頭は中に肉を入れた点心であり、日本に肉食文化が定着していなかったので中身を小豆餡で代用た物に変えられている。そのため、最古の和菓子として饅頭を挙げるのは少し違うのではないかと思う。
ならば、最古のお菓子とはどんな物なのか。
それは饅頭と同じ頃に生まれた、米粉と砂糖を湯で練り固めてから型に入れて蒸したお菓子のういろうである。
最古の和菓子の名は名古屋名物のういろうにこそ相応しい。
ういろうは漢字で『外郎』と書き、元々は中国の
中国がまだ元だった室町時代、この
陳外郎は咳や痰に効く薬を作っていて、その息子の宗奇も同じく薬の専門家だった。
息子の宗奇は父親の陳外郎が没した後、時の将軍の足利義満の元に就き、外国信使の接待役及び幕府の顧問医になる。
宗奇は霊宝丹と呼ばれる薬を帝に収めており、この薬を帝が冠の中に入れて匂いを嗅いでいた事から霊宝丹は
この時、宗奇は客をもてなすために米粉に黒糖を混ぜて蒸したお菓子を考案しており、この見た目が
そのため、外郎はお菓子の外郎と薬の外郎と二種類存在する。
今でも薬の外郎も作られていて、神奈川県の小田原市でのみ購入する事が可能だ。
そして外郎は客をもてなす為のお菓子としてお茶と一緒に全国に広まり、日本各地で米粉に砂糖を混ぜて作る物がお菓子として発展していく事になる。
日本のお菓子とは主食の米で作られている物で、料理とお菓子の境界線があやふやなまま全国に展開したのだ。
米粉の種類に完全に粉状の上新粉や白玉粉もあれば、粒が残っている道明寺粉があるのもこのためであり、そもそも食事としての餅とお菓子としての餅は呼び方では区別がされていない。
おはぎや五平餅や汁粉も料理かお菓子かの判別が付かず、どちらでも扱われる。
日本は『お菓子』を雰囲気で区別しているだけで、食事と言えば食事でもあり、お菓子と言えばお菓子なのだ。
逆にその曖昧さがあったからこそ喫茶文化がここまで広がり、普茶料理を始めとした懐石料理へと発展していったのだろう。
おもてなしの心とお茶に合わせるために作られた外郎は最古のお菓子としてだけでなく、和食の元祖とも言える。
そんなういろうなのだが、日本中に広まったはずのにどうして名古屋名物なのか。
それには昭和39年開通の東海道新幹線の存在が係わってくる。
名古屋のういろうは江戸時代初期から定着していた記録があるが、本格的に名物になり始めたのは昭和初期で、この頃に出来た名古屋駅の構内とホームでういろうを立ち売りし、県内外の利用客に名と存在を知らしめた。
そしてこの立ち売りの実績が認められ、十数年後の東海道新幹線開通の際、新幹線の車内販売として名古屋からはういろうの販売が許可されたのだ。
その後は新幹線の利用客が『名古屋といえばういろう』というイメージを持ち、全国的に存在したういろうの亜種を駆逐し、名古屋名物として扱われるようになった。
言ってしまえば、名古屋のういろうは宣伝が上手かったから名物になったのだ。
今でも名古屋近郊ではからすみ、生せんべい、初かつをといったういろう亜種が生き残っていて、虎視眈々とこの座を狙っている。
料理とお菓子の分類もこのういろうと同じだろう。
『これはそういうもの』と強く声を上げれば、周りからそうだと認識される。
お菓子とは何なのか。料理とは、和菓子とは、ういろうの名産地とは。
『お菓子を一つ思い浮かべて欲しい』と聞かれたら何を答えても良い。
全て言った者勝ちだ。ういろうは名古屋の物だと言ってしまえばいい。それでいいのだ。
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