Ⅳ. 第4話 「アラウンド・ザ・ワールド」&「アクア」

 横浜に店を構える——二人がそう決めてからは、それまでにすべきことをこなす日々だった。


 スナックの仕事を横浜にも広げた蓮華は、日中の音楽事務所の仕事を辞め、引き継ぎに追われる。


 優は、後に蓮華と店を出すことをオーナーである速水に打ち明け、『Limelight』のチーフ・バーテンダーには榊を起用して欲しいと願い出るが、速水は表情も変えずに応えた。


「お前がやれ」


「でも、榊は最初からここでずっとやっていくつもりだったんです」


「知っている。お前たちのどちらにも、チーフ・バーテンダーを任せても構わないと思っていた。お前が独立するならば、その前にチーフ・バーテンダーの仕事を経験しておいた方がいいだろう。それが水城さんへの私の恩義でもある」


 街場のバーにいた速水がホテルのバーも経験しておきたかった時期があった。それを水城の口利きで叶ったと語った。


「榊には、お前の後にチーフ・バーテンダーを頼むことにする。私から話しておくから、余計な心配はしなくていい」


 優は速水の心遣いに胸が熱くなり、何も言えずに頭を下げた。


 みなとみらいを一望出来るバー『プロムナード』に予約を入れた蓮華は、招待した祖父に、改めて、バーをやっていくメンバーとして、バーテンダーの優、料理を担当する友人の新香、経理を担当する京香を紹介した。


 店の開店は当分先ではあるが、記念にと、「冒険」のカクテル言葉を持つ『アラウンド・ザ・ワールド』を結月に注文し、アルコールに強くない京香には、『アクア』を頼み、新しい世界に向けて祝った。


 カクテルグラスの縁に飾られた鮮やかなグリーンのミントチェリーがアクセントになった、大陸と海洋を表す若葉のような柔らかいグリーンのアラウンド・ザ・ワールドは、ジンとミントの爽快さにパイナップルの甘さと程よい酸味がやってくる。


「ジュール・ヴェルヌの『八〇日間世界一周』のようだな。このカクテルが生まれた数十年後の1956年に映画になり、大ヒットし、アカデミー賞を五部門で受賞したのだよ」


 水城が懐かしそうな笑顔になり、グラスを傾ける。


 『アクア』もミント味にライムの酸味、トニックウォーターの甘味とほろ苦い後味が加わると、不思議と海の味を連想させた。


あおい色に、炭酸の細かい泡が、珊瑚が見える海みたいに綺麗。味も海みたいなイメージで、塩が合いそうね」


 うっとりとした京香が、フルート型グラスの中の碧く美しい飲み物をかざして眺める。


 優が、隣に座る蓮華を見下ろした。


「蓮ちゃんのことも、いつまでも『親戚の子扱い』は失礼だね。これからは、対等じゃないと」


「そうよ~」


 ショートグラスを片手に、蓮華が笑った。


「じゃあ、『男同士の友情』で。対等でしょ?」


 しれっと言った優の台詞に、あんぐりと口を開いたまま静止する蓮華を見て、新香と京香が笑った。


「……まあ、いいわ。『男の友情』ね。……意外といいかも知れないわね」


 考えるうちに、蓮華はまんざら嫌でもなさそうな顔になっていった。


 景気付けのような祝いであったが、開店がいよいよ見えた頃に、優からも、これに応えるカクテルを振る舞うことにした。


 店を出て、蓮華たち三人が賑やかに歩く後ろに、優と水城が、ゆっくりと続いていく。


「最近は、男女の相棒もバディと呼ぶらしいな」


 水城が切り出した。


「男女のバディは、お互いの感性を補い合えるという点では最高だ。だが、利点もあれば、男女であることが、時には障壁になることもあるだろう。きみに限ってそんなことはないとは思うが、うちの孫には軽い気持ちで手を出すことのないように」


 冗談めいた口調ではあったが、本音だと優には受け取れた。


「もちろん、お引き受けしたということは、です。僕は、蓮ちゃんとは、男と女にはなりません。あくまでも仕事上のバディです。大事な仲間だからこそ、『男同士の友情』を貫きます」


 水城は満足気に頷いた。


「蓮華を頼んだよ」




 【アラウンド・ザ・ワールド】30〜35度

※氷と一緒にシェイカーで振り、カクテルグラスに注いでから、ミントチェリーを飾る。


 ジン 40ml

 グリーン・ペパーミント・リキュール 10ml

 パイナップルジュース 10ml

 グリーンチェリー 1個


1900年初頭、飛行機の世界一周航路開坑記念のカクテルコンクール優勝作品。



【アクア】約9度

※トニックウォーター以外を氷と一緒にシェイカーで振り、フルート型グラスに注いでから、トニックウォーターで満たす。


 ウォッカ 30ml

 グリーン・ペパーミント・リキュール 20ml

 ライムジュース 10ml

 トニックウォーター 適量

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