お家でエスニック:パクチー三昧の後はシンガポール・スリング!

「ごめんね〜、待たせて」

「大丈夫だよ」


 待ち合わせ場所にエスニックな服装で現れた彼女は、長く細かいウェーブの黒髪に、日に焼けた肌が健康的で魅力的であった。大きな黒い瞳とくっきりとした顔立ちは、日本人でありながらもエキゾチックな美しさに満ちていた。


 彼女と優は、オープンして間もないタイ料理レストランを訪れた。


 付き合いが始まってから、彼女の希望で横浜から東京間にあるカンボジアやベトナム、インドネシア等あちこちのエスニック料理を食べに行った優は、タイ料理もそれらと似た系統の味だろうと想像し、楽しみにしていた。


 酒でも食べ物でも、新しい味に出会うのはいつも楽しい。


 だが、この時テーブルに置かれた料理は得体の知れない匂いを放ち、得体の知れない食材と、くたくたになった野菜らしき物を、濁った茶色い液に浸した煮込み料理だった。黒ずんだゆで卵が添えてあるのが見える。


 店の主人のタイ風オリジナル料理だということは、後から知った。


「この匂いって……」

「ナンプラーよ。魚から作った醤油で、ベトナムではニョクマムって言うわ」


「ふうん。この青菜はハーブ?」

香菜シャンツァイ。コリアンダーとかパクチーって言うのよ」

「ああ、コリアンダーか!」


 スパイスのコリアンダーであれば料理にも使われ、目の前の彼女もコリアンダーのアロマオイルをブレンドして使い、良い香りだと好感を持っていた。


 箸でつまみ、ぱくっと口に入れる。

 彼女が慌てて止めようとした時には遅かった。


「なにこれ!?」




 数日後、優の部屋では、辛味、酸味、甘味の入り交じった香りが充満し、インドの弦楽器シタールのうねりと、独特なリズムを刻むパーカッション——蓮華が中華街で購入したCDが流れ、気怠い夏の東南アジアへと空気を一変していた。


 コブミカンの葉カフェライムリーフや知らない食材、ナンプラーといった魚醬を始めとする香辛料にソース、それらを混ぜ合わせてあの異国の不思議な味を出すのかと思うと、カクテルみたいではあるなと少しだけ興味を持つが、あの匂いと味はなんとかならないものなのか。


 タイ料理とパクチーを克服しなければ、彼女の怒りがおさまらない話を世間話程度にしたところ、蓮華とその友人の新香が、優のアパートでタイ料理を作ることになったのだった。


「タイ料理、美味しいよ」

「パクチーも美味しいよね」


 そう盛り上がる蓮華と新香に、優と瑛太は驚きを隠せない。


「だって、あれ草だよ? 草の味だよ? 食べられないよ」


 優に続き、瑛太も「カメムシの匂いだし!」と主張した。


「最初はあたしもあの味にはびっくりしたけど、いつの間にか食べられるようになって、今では、エスニック料理にパクチーが入ってないと物足りないっていうか、怒りすら覚えるようになったわ」


 そう言う蓮華に、新香がうんうん相槌を打つ。


「優ちゃん達がパクチーを食べられるようになるために協力するから!」


 瑛太と優にしてみれば、ありがた迷惑であり、とても余計なお世話であった。女子二人は、それに便乗してタイ料理を作ってみたいだけにも見えた。

 そして、優たちは、苦手なタイ料理を食べるハメになった。


「優ちゃんはエスニックな服着ないの? 最近は男子用のアジアン服も増えてるから、彼女さんと二人でエスニックでキメてたら素敵じゃない!」


 テーブルに食器と箸を並べながら蓮華が尋ねると、「え〜」と、優と瑛太の声が揃った。


「僕がアジアンな服着ると、寝間着ねまきみたいになりそうで。彼女はうまく着こなしてるけどさ、難しいよ」


「俺も別に自分が着たいとは思わないなー」


「エスニックな服って不思議な作りしてるよね。ただの四角い布を巻き付けてるだけだったり、部分的に穴を開けてあるのを被って着るとか、よくわからなくて、脱がせるのに手間取っちゃって。でも、中身がどうなってるのか、ついめくってみたくなるよね」


「……なんか、今すごいことをさらっと言ったよね?」


 ウキウキと無自覚に話す優に、蓮華も瑛太も目を丸くする。


「おつまみ作るから、優ちゃんは、タイ料理に合うカクテルでも考えてて」


「そうか! 強い酒飲んで味がわからなくなればいいんだ!」


「なんてこと言うの! やっぱりカクテルは作らなくていいから! 味がわからなくなったら元も子もないからね」


 完全に薮蛇ヤブヘビであった。

 蓮華はキッチンで新香の持って来た中国茶を淹れている。


 カクテルで逃げることには失敗した優は、瑛太とともに顔を青ざめさせ、正座をして待つ。


「さっきから、すごい匂いだね……」

「ああ。なんとも言い難い、生臭いっつうか、腐った魚っつうか……微妙な酸味っつうか……」

「すごい音楽だし……」

「ここがいつものお前の部屋だってことがわからなくなるくらいに……」


 間もなく、スープが運ばれた。


「トムヤムクンだよ」


 世界三大スープと言われていることは知っている。


「すごいね! トムヤムクンを作れるなんて!」


 そこは素直に二人とも感心した。

 赤いスープにエビが乗せられ、パクチーはまだ盛りつけられてはいない。


 すぐに、半切りにした葉付きのパイナップルが運ばれてくる。

 パイナップルを半分に割ったものを器にした、ゴージャスな見た目だ。中には、パイナップルとハム、ピーマン等の入ったライスが盛られていた。


「パイナップルのチャーハンよ」

「なんでそんなことすんの!?」


 優と瑛太は同時に叫んでいた。


「そういう料理があるの。意外と美味しいから大丈夫だよ」


 新香が余裕の笑みを見せる。

 テーブルの中央には、食べやすい大きさに切られたパクチーが盛られた皿が置かれた。

 それを見ないようにして、二人の男子はスープを口にする。


「美味しい……! 辛くて、でもコクがあって、ライムがいい具合に効いてるね! 辛味と酸味のバランスがちょうどいいね!」


 優が顔を上げ、瑛太も目を丸くしながら賛同する。


「強烈な匂いだけど、美味いな!」

「美味しいよ! 新ちゃん、さすがだね!」


 優が心から感謝をするような、ホッとした笑顔で新香に言った。


「チャーハンも、意外に美味いな!」

「パイナップルとハムが合ってるね!」


 蓮華と新香が次々料理を運ぶ。


「それじゃ、いよいよパクチーの出番ね」


 「来た!」と、優と瑛太の全身に緊張が走った。


「手軽にコンビニのものだけで作ってみたの。刻みパクチーもスーパーにもたまにコンビニにもあるし。包丁を使わずに出来るものばかりで簡単よ〜。パクチーはジャージャー麺とか担々麺とか、辛いものにもよく合うわよ」


 ジャージャー麺を大皿にあけ、袋に入った刻まれたレタスや玉ねぎのスライスをプラスし、その上にパクチーをどっさり盛り、ピリ辛味からあじの挽き肉を乗せた。


「なんかジャングルみたいになってるけど……? 麺が見えないよ」

「ああ、これは私たちが食べるから、優さんたちは無理して食べなくていいよ」


 新香が笑うと、優も瑛太もホッとした。

 それにしても、達人の域になるとあんなに食べられるものなのか、と感心というより、彼らにとっては理解不能である。


「肉まんを半分に割ってパクチーを入れて食べたり、パセリの代わりにサンドウィッチにも、鶏そぼろご飯にパクチーを乗せてもガパオみたいで美味しかったよ。あ、カレーパンにパクチーも美味しいよ」


 蓮華がカレーパンを切りわけ、空洞に、五、六センチに切ったパクチーを一本入れてから皿に並べ、隣には、きゅうりのスティックと小皿に入れた味噌を置いた。


「それ、もろきゅうみたいで美味しそうだね!」


 優がきゅうりで味噌を掬い取った。


「この味噌に日本酒を混ぜて、刻んだパクチーも入れたのー」


 蓮華がにっこり説明すると同時に口に入れた優が、うっ、と顔をしかめた。


「はい! どんどん行きましょう!」


 コンビニで買ったポテトサラダにパクチーを混ぜたもの。スライスチーズで手巻き寿司のようにパクチーを数本入れて巻いたもの。同じく、ハムにパクチーを乗せ、黒胡椒をかけて巻いたものもある。


 クリームチーズにパクチーの葉をちぎり、それを薄切りにしたバゲットの上に乗せ、その上にスライスしたミニトマトを乗せてある。


 おそるおそる食べると、チーズのまろやかさにパクチーも包み込まれた気がする。

 コンビニにあるレタス等の刻み野菜に乗ったパクチーは、コブサラダ・ドレッシングによって味は中和されていた。


 ここまでは、なんとかこなせられた二人の前に、蓮華がおでんの鍋を運んだ。

 パクチーからやっと解放された気になった二人は、喜んで食べ始める。


「おでんにパクチーも意外と合うのよ」


「えっ……!?」


 男子二人の箸が止まった。


「無理無理無理無理!」


「大丈夫、大丈夫! おでんのスープに浸してから、さつま揚げと一緒に食べてみて。後は、ハンバーグとか、肉料理なら洋風のものにも合うわよ」


 容赦なく、にっこりと、蓮華がパクチーを一本ずつ二人の椀に入れた。


 「ハンバーグの方が食べたかったなぁ……」と、二人は呟き合った。


 散々な目に合った二人に、蓮華が再びトムヤムクンを用意すると、始めに食べた時ほどパクチーに抵抗はなくなっていた。

 この組み合わせが一番しっくり来る、むしろ、パクチーがあった方が良いとすら思えていた。


 めぐりめぐって、やっとパクチーの良さを知った男子二人だった。

 単に、のかも知れなかった。


     *


 後日、優の自宅に瑛太と蓮華、新香がけしかけた。


「え? 別れた?」


 瑛太が驚き、蓮華たちも目を丸くする。

 当の優は、いつもと変わりなく見える。


 しつこく尋ねる瑛太に、優は言いにくそうにしながら、短期間のうちにタイ料理とパクチーに抵抗がなくなったことで、女の影を疑われた、と打ち明けた。


「えーっ、そんなぁ!」


 蓮華が悲痛な声を上げた。


「これまでも女の子と話すだけでちょくちょく怒られて、その度になんとか誤解を解いてきたけど、今回ばかりは取りつく島もなくてね。いい加減、愛想尽かされたかなぁ」


 力なく笑う優に、瑛太は「……ドンマイ」と言って肩を叩いた。


「モテる人の彼女は、少しくらいおおらかな方がいいんだろうね……」


 新香のセリフには、蓮華は大きく頷いた。


「二人には、お礼にシンガポール・スリングを作るよ」


「……なんか、悪いね……」


「そんなことないよ。タイ料理食べられるようになれたし、二人には感謝してるよ」


 上目遣いになる蓮華と新香の前に、優はロンググラスのカクテルを置いて微笑んだ。


「シンガポールの夕焼けみたいだって言われてるんだ。ジンとレモンジュースをシェイクして、氷を入れたグラスに注いでから炭酸水を入れる。チェリーブランデーも一緒にシェイクするやり方もあるけど、最後に静かに入れると、こんな風にグラデーションになって綺麗だよね」


 蓮華と新香は、すごすごとカクテルに口を付けた。

 爽やかで軽快な味だが、甘くない。

 以前、どこかの店で飲んだ時は、もう少し甘味があったように思う。


「あ、ごめん、シュガーシロップ入れ忘れた! レモンとチェリーも飾ってないし!」


 慌てて冷蔵庫を開ける優を見ながら、「……なんか不調みたいだね」と、蓮華がこっそり言うと、新香も瑛太も黙って頷いた。




【シンガポール・スリング】15〜17度

※シェイカーで振り、氷を入れたグラスに注いでから炭酸水を入れ、チェリーブランデーを注ぐ。


 ジン 45ml

 レモンジュース 20ml

 シュガーシロップ 1tsp.(バースプーンまたは茶さじ1杯)

 炭酸水

 チェリーブランデー 10〜15ml


チェリーブランデーも一緒にシェイクする場合は、シュガーシロップ抜き、チェリーブランデーを20mlほどにする。



【本家ラッフルズ・ホテルのシンガポール・スリング】


 ジン(ビフィーター)

 チェリー・ストック

 コアントロー

 パイナップルジュース

 グレナデン・シロップ

 アンゴスチュラ・ビターズ

 ベネディクティン

 

以上をシェイクしてフルーツを飾る。

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