Ⅱ. 第6話 モスコミュールな彼女
優の予想通り、仕事の後、優のアパートでは酒盛りが行われていた。
蓮華はヤケになったように、缶ビールを片手に「柿の種」をざくざく食べている。
呆気に取られている優も、缶ビールをごくんと飲んだ。
「田舎から出て来た純朴な青年を、簡単に汚したらいけないって思ってね、大事にしてたの。だって、初めての相手とは良い思い出にしてあげたいじゃない? 景色の綺麗なところに旅行するとか。じゃないと、可哀想かなぁって」
「……あの、これ、僕が聞いちゃってもいい話なのかな?」
「いいの! もう友達には話したから」
どうやら、女子というのは、一人に話したら気が済むというものではないらしい。
「それでね、あの女、見たでしょう? これ見よがしに露出しちゃって、ムチムチしちゃって! ハルキくんと同じ年だから、まだ未成年よ、未成年!」
「へー、あの子、そこまで若かったんだぁ?」
「背伸びよ、背伸び! なのに、ハルキくんたら……」
蓮華が泣き出すのではないかと、優は身構えたが、そんな心配には及ばなかった。
「アキちゃんて前から『Something』にちょこちょこ来てたんだけど、優ちゃん、知ってた?」
「え、今日初めて見る子だなって思ったけど」
「でしょ? わからないでしょ? 前はすごいボーイッシュだったから。男の子だとばっかり、あたしも思ってたから。いつも黒い服でキメてエレキギター弾いて、いかにもロッカーです! みたいだったの。髪もアップにして帽子の中に入れてたし、ついでに、メリハリボディも隠してたのね」
「ああ、思い出してきた。上から下まで黒一色でエレキ弾いてた子いたね! ……でも、見た目ほど、ギターは上手くなかった覚えがあるけど」
蓮華は、缶ビールを、だん! とテーブルに置いた。
「そーなのよ! たいして上手くないのよ! ハルキくんは、ますますドラム上手くなってるのに、彼女は上手くなんないのよ! なのに、アキちゃんから積極的にハルキくん誘って、簡単に……! それ以来、あんなイメチェンしたらしいの。それで、あたしが潔く身を引くことにしたの」
蓮華が、大きくどうしようもない溜め息を吐いた。
優が笑いを堪えるが、すぐに蓮華にバレた。
「なに笑ってるのよ」
「いや、さっきから言ってることが男みたいだな、と思って」
「あたしが『男』だっていうの?」
「潔く身を引くとか、相手の処女守ってあげてたとか」
「……言われてみれば……」
「ハルキくんにしてみれば、蓮ちゃんがなかなか手に入らないもんだからあきらめたのか、手軽に済ませたのかな」
「えっ? そんな行き違いが……? あたし、お高くとまってたように見えたの?」
優が何かを考えながら、くすっと笑った。
「ひどい。笑うことないじゃないの」
「ごめんごめん、蓮ちゃんのことを笑ったんじゃなくて。あそこまでガラッと変わられちゃうと、どうなんだろうね。ハルキくんの好みと違っちゃうんじゃないのかな?」
「ハルキくんの好み?」
「そう。さっぱりした話しやすい蓮華先輩と、ボーイッシュな同級生。多分、ハルキくんの好みは、男っぽい人だったんじゃないかな?」
「あ……」
「事後、あそこまでキャラ変わっちゃうと、……続くのかな?」
話しているうちに、蓮華の怒りも少し収まり、だんだんどうでもいいことのように思えてきたようだった。
優の予想通り、ハルキとアキは別れた。
アキが、ハルキとかなり親密な仲だと言いふらしたのが生徒だけに留まらず、橘の耳にまで入り、関係を大っぴらにしたくなかったハルキには許せなかったというのを、蓮華は橘から聞いたのだった。
アキはそのまま露出の多い服装を続けているが、ハルキには別の、いつもジーンズをはいている女子が隣にいる。
『Something』のカウンターで、蓮華が人事のように、そんな報告をした。
「ところで、優ちゃん、
「ああ、ジャズ・ヴィオラの人だっけ? 最近、テレビの音楽番組に出てるね。カッコいいよね!」
「そうなの! あたしと大して年変わらないみたいなのに、すごいよね! 綺麗だし、ヴィオラすっごい
蓮華ももう吹っ切れたのか、さっそく新しい方向に動き出したと知って、優は内心かなり安堵した。
なんだかんだ、彼女が落ち込んでいるのは可哀想に思っていた。
だからこそ、あまり深刻にならないよう、多少からかってはいた。
はしゃぎながら話していた蓮華は、喉が乾いてジントニックを飲み干した。
「二杯目は、いかがなさいますか?」
バーテンダー口調になった優に、蓮華は少し考えてから返した。
「今のあたしのイメージで」
「かしこまりました。では、ジンジャーエールを使った、さっぱりとした飲み口のモスコミュールはいかがでしょう?」
名前は見たことがあっても、蓮華の飲んだことのないカクテルだった。
ロンググラスにウォッカを注ぎ、ライムを絞って入れ、ジンジャーエールで満たす。少しだけ混ぜてから、優はカウンターに置いた。
「あいにく、銅製のマグカップはご用意出来ませんでしたが」
一口喉に流し込んだ蓮華の表情が、ぱあっと華やいだ。
「辛口で、ライムの酸味が爽快感あっていいね!」
「普段は、無難にライムジュースの方を使うようにしてるけど、蓮ちゃんはアジア料理も好きだって聞いてからライムも好きだと思って、生のライムを使ったんだ」
「へー、そうなんだ? 香りも良くて美味しいよ! ありがとう!」
「どういたしまして。本来はジンジャービアーっていうのを使うんだけど、大抵はジンジャーエールでね。それで、銅製のマグカップに入れる――っていうと、女性向けっていうより、どっちかっていうと男性向けな感じもするよね」
「ふうん。モスコミュールって変わった名前だね。オシャレな響きね」
ご機嫌な蓮華に、優はにっこり笑顔で説明した。
「モスコミュールっていうのはモスクワのラバって意味で、ラバはロバとウマの雑種でね、『ラバの後ろ足で蹴られたくらい強烈なカクテル』って意味らしいよ」
聞いているうちに、蓮華の表情が険しくなっていく。
入れ替わりに、優の方は笑いを抑え切れずに、腹を抱え始めた。
「もうっ! 今度ばかりは、いくら温和なあたしでも怒るからね!」
蓮華がカウンターテーブルを叩く。
「もう優ちゃんは退場! マスターと交代してよ!」
マスターの後ろでまだ肩を震わせている優をにらみながら、モスコミュールをガブッと飲む。
「悔しいくらいに、美味しいわね」
グラスを持ち上げて睨むように、中の酒を眺める。
「ちょっと味見してもいいか?」
スプーンで一口掬った後で、マスターが「なるほどな!」と笑ってから語り始めた。
「モスコミュールは友情のカクテルとも言われてるんだよ。『喧嘩をしたらその日のうちに仲直りする』っていう、恋愛にも友情にもどっちにも受け取れるカクテル言葉がある。だから、優は、これを蓮華ちゃんに選んだんじゃないか?」
「そうそう、友情のカクテルだって、僕も言いたかったんだよ」
マスターの横から、ひょこっと覗いた優が口を挟む。
眉間に皺を寄せている蓮華に、マスターの方はからかうことなく、親心の現れた微笑みになった。
「モスコミュールを好んでよく注文する女性も多いけど、蓮華ちゃんの飲んでるそのモスコミュールは、彼女たちには少々飲みにくく、とっつきにくい味になってると思う。特に、酸味が苦手な人からしたら顔をしかめるだろう。普段店では出せないバランスだが、蓮華ちゃんが気に入るように、優が特別に考えたものだ。ちなみに、こっちが、いつも店で出してるモスコミュールだ」
マスターの差し出したカクテルを、蓮華はじっと見つめた。
「安心しな。優の奢りってことにしておくから」
「えっ!?」
マスターと優が軽くふざけてから、蓮華に視線を戻した。
蓮華が一口、さらに、続けて飲んでから言った。
「さっきのと比べると甘めだけど、飲みやすいのね。確かに、味はこっちの方が整ってるみたい。美味しくて、これも好きだけど、あたしは、さっきくらいライムが効いてる方が好きかも」
「それだけ、優は、蓮華ちゃんの好みを把握してるってことだ。蓮華ちゃんが相手だと、カクテルの発想が広がるらしいよ」
「たまたま好みを知ってるからですよ」
言い訳のように口を出す優に、マスターが、ふっと笑ってから蓮華を見た。
「恋人っていうのはいつか別れが来るかも知れないが、友情は別だ。少なくとも、優はそう思ってるんじゃないかな。見守ってるんだよ、蓮華ちゃんのことを」
「ふうん……って、今までそんなにたくさんの女の人と付き合ってきたの?」
じろじろと、蓮華が優を見る。
「そんなことないけど、フラれることが多くてね」
「多いんだ? ってことは、好かれることも多いんだね」
「う~ん、どうだろうね?」
優は苦笑いをしてから続けた。
「まあ、末永くよろしくお願いしますよ」
そんな優を、眉間に多少の皺を寄せて見ていた蓮華は、そのままの表情で応えた。
「いいよ。マスターに免じて許してあげる」
それから、優のモスコミュールを口に含み、満足そうな笑顔になる。
「ところで、優ちゃんて、あたしには、いつもひどいよね?」
「そう? 蓮ちゃん見てると、いろいろ面白いから」
「ちょっとマスター! まだバーテンダーの躾がなってないわよっ!」
仕様もないといった顔で二人を見守るマスターだった。
【モスコミュール】10〜12度
※氷を入れたグラスに直接作る。
ウォッカ 45ml
ライムジュース 15ml
(または、ライムを絞る)
ジンジャーエール 適量
(本来はジンジャービアー)
1/6にカットしたライムを浮かべる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます