Ⅱ. 第5話 年下の彼
「先輩、好きです」
『Something』を貸し切り、学年関係なく、橘の生徒たちの中でも十五人ほどで、ライヴと飲み会が開かれていた。
ドラム専攻の中でも、特に橘が目をかけているのが、ハルキという生徒だった。
いつも橘が見込みのある生徒数人に声をかけて出ているライヴに、蓮華もハルキも出演している。
地方出身であり、
『Something』では蓮華の隣になり、これまでのライヴの話や好きな音楽の話が弾んでいた。その帰りだった。
ぞろぞろと駅に向かって歩いているところで、ハルキがいつの間にか蓮華と並び、話しながら歩くうちに皆よりも歩く速度を遅らせ、充分離れてから、突然言い出したのだった。
「先輩、好きです。これからも一緒にライヴやっていきたいです。卒業演奏の練習も見てましたが、すっげー良かったです!」
思いもよらない事態に、蓮華は驚いた。
酒には強いと言っていたハルキの頬が、少しだけ赤い。
「ああ、でも、先輩は、『Something』の人とも仲良いですよね。あの人、ピアノすごく上手いし……先輩、もしかして、あの人と……?」
「優ちゃんのこと?」
蓮華は、天然バーテンダーを思い浮かべると、くすくす笑った。
「ただの友達だよ」
「そうなんですか!? 良かったぁ……! ずっと気になってたんです!」
大きく息を吐き出す、そんな彼が可愛く思えた。
「じゃあ、付き合う?」
「えっ! いいんですか!?」
「うん、あたし今誰もいないし、断る理由ないし」
「……やった!」
「ただし、学校の皆には内緒だよ」
「はい! わかってます!」
次に会ったのは、休みの日だ。
ハルキはいつもよりもきちんとして見えるチェックのシャツとジーンズだった。
蓮華は滅多に着ない花柄のスカートと、黒いニットを着ていて、ハルキがさっそく喜んでいた。
「きれいです! 大人の女性って感じで、いいです!」
「ホント?」
「はい! 僕んとこの高校じゃあ、田舎だったから皆全然イケてなかったんで。やっぱり都会の人は洗練されてて綺麗ですね!」
「そうかな。あたしなんかよりももっと洗練されてる人いっぱいいるけどね。地方の人の方がスレてなくていいと思うけど、とりあえず、ありがと!」
昼間、横浜みなとみらいの遊園地で遊び、カフェに行くと、ハルキは正面に座る蓮華に見蕩れながら、話していた。
「先輩と一緒に演奏したいから、頑張って練習してました」
これまでドラム一筋だった。女性と付き合うのも初めてだと打ち明け、少々舞い上がっているハルキを見て、蓮華は悪い気はしなかった。
ほとんど完璧な標準語ではあっても、ところどころイントネーションが関東のものと違うところが、蓮華には新鮮であり、純粋で可愛い青年に思えてきていた。
「よく見ると、腕、ちょっと筋肉質なんだね。カッコいいかも」
「ホントですか!? 触っていいですよ」
ハルキが腕まくりをしていた腕を、差し出す。
「男の人が腕まくりしてるのって、カッコいいよね。わ~、固~い!」
蓮華がきゃっきゃ言いながら、腕をつついた。
辺りは薄暗くなり、足は山下公園へと向かっていることに蓮華は気付いていた。以前、サックスを吹く男と別れ話をしたのもこの近くで、出来れば寄り付きたくない場所であったが、ハルキには何も言わずについていった。
「噂に聞いていた山下公園ですが、……やっぱりカップル多いですね」
キョロキョロと見回すハルキは、周りの雰囲気に怖じ気付いているようだ。
やっと見つけた空いているベンチに、急いで蓮華を引っ張っていき、座ってホッとしていた。
とりとめのない話が続く。彼は、蓮華よりも周りが気になるようで落ち着かない。
蓮華には、次の展開は読めていた。
意を決して、ハルキが蓮華の肩を抱き寄せ、唇を重ねた。
変に応えてしまうと男慣れしてると思われ、純粋な青年は引いてしまうかも知れないと思い、身を任せるだけに留めておく。
ありきたりだが、蓮華は別に構わないと思っていた。自分を喜ばせようと、頭をひねってくれたのだと思うと、嬉しかったからだ。
これよ、これ! この反応だわ!
おそらく、同じ場所に優と来ても、このような展開にはならないと思える。
彼がタラシなどとからかわれているのが不思議だ。
時々、優しく、どこか色気のある表情になる時があり、思わずドキッとさせられることもある。
だが、大抵そんな時は、からかってくる時だ。
髪にウェーブをかけた時もだ。
『似合ってるよ。かわいいね、寝ぐせみたいで』
まったく、がっかりだった。
「この後、……どこかに……」
我に返った蓮華は、緊張する後輩を見上げ、微笑んだ。
「あんまりムリしなくていいよ。ゆっくりでいいんだよ」
「先輩!」
ハルキが蓮華を抱きしめた。
「きみのことが好きだから。もう少し、二人の時間を大事にしようね」
そう優しく言い聞かせ、蓮華は手を伸ばし、彼の背を撫でた。
ハルキが少しずつ垢抜けていくのに、『Something』のライヴで見かけた優も瑛太も気が付いた。
彼に話しかける女子も増えて行き、学校でもハルキにドラムを頼む者も多く、引っ張りだこだった。
久々に、優のアパートで、瑛太と蓮華の三人で飲む。
「年下って、素直でカワイイんだね~。あたしの言うことにいちいち目を輝かせて、素直に聞いてるの。それでね、純粋でストレートなの。映画やドラマみたいなセリフなんか言わないし。今までの年上の彼らみたいに威張ってないからカチンと来なくて、あたしには付き合いやすいかも」
照れながらそう話す蓮華には、瑛太も優も驚いていた。
「はー、蓮華ちゃんて年上しか合わないと思ったけどなぁ。年下のストレートな言葉が、意外とどストライクだったのかよ?」
瑛太が不思議でたまらないというように、蓮華を見ている。
「僕も意外に思ったよ」
未だに信じられないような顔で、優も蓮華を見つめた。
「蓮ちゃんは年が近いとぶつかるんじゃないかって、だから、精神的にも大人な人じゃないとって思ってたから。でも、意外と年下が合ってたのかもね。スレてなさそうな年下なら、いいかも知れないね」
「そう~?」
浮かれている蓮華に、優は少し真面目な顔になった。
「一つだけ聞いていい?」
「なあに?」
「おっ? 優、嫉妬してんのか? 『なんで僕じゃだめなの?』って?」
瑛太が冷やかすが、「そうじゃなくて」と冷静に否定してから、優は蓮華に向き直った。
「蓮ちゃんて、ブラコンなの?」
「はあ!?」
「ああ、そうだよ! 確か、かわいい弟がいたんだよな? 普通、弟がいたら年下なんか嫌じゃねぇの? 年下彼氏って、実はブラコンから来てんのかよ!」
瑛太が蓮華を指差して笑い出した。
優も、ぷっと吹き出す。
そんな男二人を、どうしようもない顔で見ながら、蓮華は憮然とした。
「違うもん!」
*
ある時、『Something』では、ハルキの隣には見たことのない女子が座っていた。蓮華は一人カウンターで、優の目の前にいる。
ハルキの隣の女子は、露出の多い服装で、大きく胸元の開いた淡い色のミニ丈ワンピースを着ていて、少しむっちりとしている。肩の長さほどの髪も、毛先が巻かれていた。
優から見ると、若い割りに化粧が厚い気がした。さらに、女であるアピールを欠かさない振る舞いは、大人の男たちから見れば、背伸びをした若い子だが、同年代の学生達からすれば、大人女子に映る。
アキちゃんと呼ばれたその彼女は、目立っていた。
「ハルキくんと、どうかしたの?」
こっそりと、心配そうな顔になった優が、蓮華に尋ねる。
「ああ、別れたから」
あっさりとした答えに、優が目を見開いた。
「随分、早いね」
「あの子に寝取られたんだよ」
表情を変えずに、蓮華がガブッとジントニックをあおった。
これは、なんとも収まりがつかない予感がする。
急遽、飲み会が開かれるだろうと、優は覚悟した。
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