Ⅲ. 第5話 イベント準備

 イベントでは手早く作る必要があるため、グラス(イベントではプラスチックのカップ)に直接作るビルドもの一つ、シェイカーは人目を惹くので一つ以上入れたいとは、どの店も考えていた。


 イベント内で行われるオリジナル・カクテル・コンテストでもシェイカーを使うと決まっている。


 代表者会議から戻った榊が、優と真由稀に、決定したカクテルを知らせた。


 ラム、ライムジュース、シュガーシロップをシェイクする『ダイキリ』。


 ドライ・ベルモットとカシスのリキュール、炭酸水を直接グラスに作る『ベルモット・アンド・カシス』。


 ドライ・シェリー、ドライ・ベルモット、オレンジビターズをミキシング・グラスで混ぜ合わせる『バンブー』。


 有名過ぎるマティーニとマンハッタンは、イベントでは扱わない決まりになっていた。他の店とは作るカクテルが被らないよう代表者が集まり、人気のあるカクテルはくじ引きで決定した。


「ショートがダイキリ28度くらいと、バンブー16度くらい、ロングがベルモット・アンド・カシスで約10度……」


 優がレシピを確認する。


 カクテルグラスやシャンパングラスのように足付きのグラスに作るショート・ドリンクは、長時間置くと味が変わるため速めに飲むものであり、アルコール度数の高いカクテルが多い。


 タンブラー等ロンググラスやロックグラスに氷と一緒に注ぐものは、時間をかけて飲むロング・ドリンクと呼ばれ、度数は低い。


「ちょうどいいんじゃないかな?」


「予備で考えたものばかりね。ダイキリが白、ベルモット・アンド・カシスは濃い赤紫、バンブーが茶色がかった透明……飾りっ気もないし、フルーツを使ったのとか華やかなカクテルがないわね」


 真由稀が、がっかりした表情になる。


「ダイキリは勝ち取れたんだからいいでしょ? あまり手の込んだものは忙しくて作れそうにないし、少ない材料で作れるものとか、度数も考慮したけど、候補のカクテルはカブってたから、クジで負けて……。他の店も、頭抱えて考え直してたよ」


「榊さんて、クジ運悪いの?」

「うるさいなー」


「カシスは女性に人気があるし、男性向けには甘くなくてさっぱりしたバンブーを勧めるとか。どんなカクテルでも美味しく作れればいいと思うよ」


 横目で見合う榊と真由稀の間で、優がマイペースに笑った。


「北埜さんこそ、オリジナル・カクテルは考えたの? オーナーは一人以上出場しろって言ってたから、当然、俺も桜木も出ていいんだよね?」


 榊が言うと、真由稀が顔を上げた。


「出たかったらどうぞ。私、負けませんから」

「うっわ〜、可愛気ないな!」


 榊がこっそり優に耳打ちする。


「競技用の750ml用シェイカーは、いつもここにしまってあるから」


 棚からシェイカーを取り出し、優がカウンターに置いた。

 競技では五杯分のショート・ドリンクを用意するため、普段店で使うものよりも大きい。

 そこに、液体と氷が入る。振っているうちに氷で中身が冷やされ、それが手にも伝わるが、シェイカーを振るには、スピーディにリズミカルに加え、見た目の美しさも大事とされている。


「いいですよね、男の人は手が大きくて力もあって。競技用シェイカーでも振れるでしょう? 女子には最初からハンデがあります」


 2Lペットボトルに水を入れ、シェイクの練習をし始めた真由稀を、優は黙って見つめていた。


 そのうち、優と榊は、カウンターで、真由稀にも聞こえるように相談し始めた。


「カクテル競技会コンペティションていうと、バーテンダー協会主催のものと、各洋酒メーカー主催のものがあって、主催によって求められるものが変わってくるみたいだね。メーカー主催だと、カクテルを作る技術よりも、主催するメーカーの出しているお酒やジュースとかを、どれだけ消費者に受け入れられやすいレシピになってるかで決まるんだって」


「今回は、新橋、銀座の店を盛り上げようって地域のお祭りみたいなものだから、使う材料も周辺の店で買ったものでいいし、それぞれの店のアピールでいいみたいだな。オーナーは、コンテストでは、うちの店らしさにあまりこだわらなくていいって言ってくれたけど、うちみたいな本格的なバーでは、あまり奇をてらったものはやめた方がいいよなぁ」


「僕も、正統派路線でいこうと思うよ。北埜さんは、どんな感じのを考えてるの?」


 振っていたペットボトルを置き、息を乱れさせた真由稀は、痛そうに手を振りながら答えた。


「ずっと考えてきて、今年のカクテル・コンテストに出そうと思っていたものよ。ただ、青い色がどうしても思い通りに出なくて」


「僕も去年ブルー系のカクテルを作ってみたんだけど、ブルーキュラソーの銘柄によっても微妙に色が違うし、メロンリキュールとか、グリーン・ペパーミントとか、グリーン系のリキュールを1tspくらい入れると、深みのある青になるし、いっそのことブルーキュラソーは使わずにバイオレット・リキュールをベースにすると、夜空みたいに幻想的な、綺麗な青になるよ」


 真由稀が呆気に取られたように、優を見つめた。


「そんな自分の努力の結晶を、他人に……?」


「ここのお店の代表として出るんだから、この中の誰が賞を獲ってもいいんじゃない?」


 微笑みながら、優は続けた。


「体格的な差は男女でどうしても避けられないけれど、女性の方が色彩感覚が発達してるって聞くよ。男性よりも複雑な色も見分けられて、男性には認識出来ない色もわかるんだって。だから、男性でファッションとかメイクとか美術方面に行った人は、持って生まれた色彩感覚もだし、センスを磨く努力をし続けてるんだろうね」


 ふと、真由稀は、優が女性向けファッション誌を見ていたことを思い起こした。


「僕も音楽の世界にいたから、女子の繊細な感性には感心してたよ。男にはない感性だし。その中でやっていくとしたら、女子よりも女子らしく、もっと繊細さを出せないといけない、女子のセンスに負けてはいられないって、思ったこともあったかなぁ」


 改めて、優が真由稀を見る。


「技術的には大変かも知れない。でも、創作するには、男女それぞれの持ち味で作ればいいんだと思うよ。最近、女性のバーテンダーさんも増えてるのは、女性の感性が光ってる、そういうことだと思うよ」


「ちなみに、お前は、どんなの考えてるんだ?」


「去年は『ラプソディー・イン・ブルー』を作ったけど入賞しなかったから、今回は『パリのアメリカ人』にしようかなぁ」


 真由稀は目を丸くした。


「なんなの、それって?」

「ああ、両方ともガーシュウィンって作曲家の曲でね。ノリで」

「ノリ……なの?」


 放心したように呟く彼女に構わず、優が、何かを思い付いたような笑顔になった。


「ベルモット・アンド・カシスも、フランスの国民的なお酒だから、ベルモットをフランス産のにして、そこにアメリカらしいものっていったらバーボンかなぁ、1tspくらい入れてみるとか。または、フランス産赤ワインの中にバーボン……ってのは、芸がないかなぁ」


「ドライの白ワインとウィスキーならまだしも、それだと、赤ワインだけで飲んだ方が美味くね?」


 あははと笑う優と榊の緊張感のなさを、信じられない顔つきで見つめる真由稀だった。




「え? メンバー交替?」


 優の家では、榊と練習中、転がり込んだ瑛太と蓮華が、普段の元気さは影を潜め、残念そうな顔で打ち明けた。


「ドラムのトウマとギターのナツキちゃんがデキちゃってさ。つわりがひどいから、CD制作に参加出来ないって」


 瑛太が大きく溜め息を吐いた。

 手を止めて、優が瑛太を見る。


「え? じゃあ、二人は結婚するの?」


「……らしい。それで今バタバタしてて、トウマも全然練習来られないし、もうこの際、ドラムとギターは交替しようって。そうしたら、ベースのヤツまでもがナツキちゃんに片思いしてたらしくて、傷心ブロークン・ハートだと。なにがブロークン・ハートだよ」


 瑛太は、身体中から息を吐き出させながら、呆れ果てた情けない声を出した。


「ギターはアコースティックも使うアレンジになってるから、エレキと両方出来る子探すのも一苦労で、橘先生にも話して、返事待ちなの。ドラムも瑛太くんが後輩に声かけてるんだけど……」


「そいつも引っ張りだこで忙しいからさー」


「しかも、制作プロデューサーがドラムのトウマくんに一番注目してたみたいでね、なんかやる気なくなったみたいで」


 瑛太と蓮華は、大きく溜め息を吐いた。


「祝福してあげないといけないなぁとは思うけどさ……」

「今は、とにかく身体大事にしてねとは、あたしもナツキに言ったけどさ……」


 再び、二人は大きな溜め息を吐いた。




【ダイキリ】24〜27度

※シェイカーで作る。


 ホワイト・ラム 45ml

 ライムジュース 15ml

 シュガーシロップ 1tsp.



【ベルモット・アンド・カシス】8〜10度

※タンブラーに直接作る。

 ドライ・ベルモット 45ml

 クレーム・ド・カシス 30ml

 炭酸水 適量


 フランスでは超有名なカクテルで、『大酒飲みポンピエ』と呼ばれる。フレンチ・ドライ・ベルモットもクレーム・ド・カシスもフランスの国民的な酒。消防士という意味もある。



【バンブー】16度

※別のグラス(ミキシンググラス)に氷を入れ、材料をよく混ぜてから、ストレーナーでこす。


 ドライ・シェリー 40ml

 ドライ・ベルモット 20ml

 オレンジビターズ 1tsp.


「竹を割ったようなクセのない味」という意味で名付けられた。明治時代、横浜のホテルニューグランドでサンフランシスコ出身のマネージャーによって作られ、日本のオリジナル・カクテルとして世界に広まった。

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