Ⅲ. 第6話 銀座カクテル・イベント!

 酒の瓶を並べ、材料は冷蔵庫に、道具を手元に置く。

 会場内では、各店のバーテンダーたちが与えられたブースで準備をし、開場時間を迎えた。

 どのブースであっても会場内のカクテルは五〇〇円均一であり、事前に購入または入り口で購入したチケットで飲むことが出来る。


 水色のワンピースにシックなアクセサリーを身に着けた蓮華が、並んでいた祖父から離れ、手を振りながらやってきた。


「蓮ちゃん、今日は水城さんのお供?」


「うん。でも、自由に飲んでいいって。だから、ここでずっと飲んでるから、今日は頑張ってね! えっと、そちらは……」


 北埜きたの真由稀まゆきのネームプレートに目を留める。


「水城蓮華と申します。よろしくお願いします。真由稀さんも頑張ってくださいね!」


「え、ええ」


 初対面でも名前の方を呼び、親し気に微笑んだ蓮華に、真由稀は慌てて取り繕った。


「あそこで、うちのお祖父ちゃんと一緒にいるのは、東都ホテルのバー担当者なんですって」


「東都ホテル……!」


 真由稀の憧れるホテルのうちの一つだ。蓮華の後方を歩く、祖父と、彼よりも若いが貫禄のある黒いスーツの男と目が合うと、真由稀の表情が一気に緊張した。


「リラックス、リラックス」


 隣で、優が囁き、真由稀は我に返った。


「ダイキリは美味しいのわかってるから取っておいて、まずはベルモット・アンド・カシスにしてみようかな」


 蓮華の注文を、優は、まだ緊張している真由稀に作らせた。


「美味しい! ベルモットなのかな、香草の香りとうっすら苦味の後に、ふんわり品のいいカシスの香りがして、甘いようでいて甘すぎずに、さっぱりしてる。思ったほど甘くないんだね! 真由稀さん、もう一杯いただいていい?」


 美味しそうに飲み、以前からの知り合いのように親し気に語りかける蓮華を前にするうちに、真由稀の表情が和らいでいく。


「『Limelight』も随分雰囲気が変わったねぇ、あんたたちみたいなイケメン二人が売り出してるなんてさ」


 シェイカーを振るう優と榊の前には、年配客たちも集まってきていた。


「いいねぇ、相棒みたいで!」


「前にいた五〇代くらいのチーフは、父親が倒れて実家の商売を継ぐことになったんだよ。その下にいた従業員たちはその前に独立しててさ。だから、あんたたちまだ若いけどさ、ちゃんと速水オーナー支えてやってよ」


「はい!」


 優も榊も背筋を伸ばす。


「よっ」


 客が途切れた隙に優の前の現れたのは、音楽大学時代の友人大輔と、璃子であった。


「大輔! ……璃子ちゃん、久しぶり!」


 優の表情が懐かしさに和み、なんとも言えない感動が現れるのを、ホッとしたような笑顔で、璃子が受け止めた。


「ずっと連絡しないでごめんね」


「綺麗になったね。前にも増して」


「優くんたら、相変わらずなんだから!」


 璃子が恥ずかしそうに笑うと、優が「ホントだよ〜」と言い添えてから、榊と真由稀、蓮華に、同級生を紹介する。

 短く挨拶を交わすと、璃子が切り出した。


「それにしても、音大辞めてバーテンダーなんて、思い切ったわよね。皆、ビックリしたわよ。ジャズ弾いてる優くんも良かったけど、いつかクラシックに戻ってきて欲しいって、私、勝手に思ってて」


「あのコンクールで弾いた『ラプソディー・イン・ブルー』は、途中本当に即興で弾いたって、学校では伝説になってるんだぜ!」


「え、なんですか、それ?」


 大輔と璃子の話に、蓮華が食いついた。優は「その話はもういいよ~」と苦笑いになる。


「優ちゃん、意外と破天荒だったんだね! その演奏、聴きたかったなぁ!」


 蓮華がキラキラとした瞳で、優を見つめる。


「あれが、自分のやってきたことの集大成みたいなものだったから、もう満足しちゃってさ」


 恥ずかしそうに笑ってから、優は「この話はもう終わり!」と打ち切った。


「それで、あのな、優、俺たち……」


 璃子と目が合うと勇気をもらったように、大輔は続きを口にした。


「……結婚することにしたんだ」


 これまで以上に顔を綻ばせた優の、眩しそうな視線が二人に注がれる。


「おめでとう!」

「や~ん! おめでとうございます~!」


 優と同時に、蓮華までもが破顔する。

 大輔も璃子も、ペコッと頭を下げた蓮華を微笑ましく見つめ、顔を見合わせて照れて笑った。


 周りにいた中年や老年の客たちも、アルコールの入った上機嫌な顔で「おめでとう!」を連発し、勝手に乾杯を始める。大輔と璃子は更に恥ずかしそうに顔を赤らめた。


「あ……! 今、二人に贈りたいカクテルを思い付いたんだけど……」


 言いながら、優が保冷ケースを開けて見る。


「……持って来てるわけないよね、オレンジジュース。あったとしても、メニューにないものは作れないし……」


「せっかく思い付いたのに、お二人に作ってあげられないの?」


 蓮華が残念そうに、優を見上げた。


「なんだよ、作ってやれないのかよ」

「作って、ここにいる皆にも振る舞ったらどうだ?」


 周りの客が勝手に思い付いたことをわいわい言う中、遠慮がちに「今度でいいから」と、大輔と璃子が言いかけた時だった。


「コンテストに出すなら、作っていい」


 凛とした低い声が、すっと、優の耳に入った。

 速水だった。


「今日コンテストに出そうと思っていたカクテルの代わりに出すのなら」

「あたしが必要なものを買って来るから」


 速水の平淡な声に、蓮華が促すように続く。


「そ、そんな……! 待ってください、桜木さんだって、コンテストのために練習してきたカクテルがあるんです!」


 動揺したのは真由稀だった。

 彼女が速水と蓮華に訴えかける間、榊は静かに、優の反応を待っていた。


「わかりました」


 それほど間隔をあけずに、優が返事をする。


「二人に捧げるカクテルの方を、コンテストに出します」


 何を考えてるの! と、真由稀は叫びそうになった。

 大輔と璃子が慌て、榊は声も出せずに目を丸くしている。


「今、僕が作りたいのは、大輔と璃子ちゃんのためにひらめいたものだから。その方が、ずっと価値がある」


 新しい発見をした少年が見せるきらめきを、優の瞳の中に見つけた蓮華が、満面の笑みになった。


「オレンジジュースが必要なのよね? ネーブルオレンジもあった方がいい?」


「うん、ありがとう! あ、ジュースは100%の……!」


「わかってる! いつも優ちゃんが家で練習してるメーカーのでしょ?」


 既に駆け出していた蓮華は、振り返ると微笑んでみせた。


「あとは、グラン・マルニエがあった方が……」


「ここから酒屋に行くより、店から必要なものを持ってきた方が早い」


 速水がそれだけ言うと、さっと、榊が、持っていた店の鍵を優に渡した。


「ありがとうございます、オーナー! ごめん、榊、北埜さん、ちょっと抜けるね!」


 優も駆け出し、会場を後にした。




 コンテストは特設ステージで、バーテンダーが一人ずつ行うが、飾り等はあらかじめ用意しておく。


 スポットライトの当たるステージで、観客を前に一人で作ることは、ピアノのコンクールでの緊張感を彷彿とさせる。


 司会の進行に合わせ、優が製作を開始する。

 壇上で、アイスペールに入った四角い氷を大きさ別に選び、配置も考えてシェイカーに詰める。氷を敷き詰めるやり方もあるが、今はこれでいい。


 ジン、グラン・マルニエ、オレンジジュース、スライスしたオレンジを入れ、750mlの大型シェイカーを振るう。


 氷の当たる響きが普段と違い、美しく立てる音と鈍い音が交互に響く。手応えも違う。

 中で氷が回り、液体も回るのを想像する。


 これまでのバーテンダーの振るってきた音と違うことは、見ているバーテンダーや審査員には伝わる。

 心地良い美しい響きだけではない、何かが違うと気付いたステージ周辺がざわついたが、それらが気にならないほど、彼の手も耳も、シェイカーに集中していた。


 五つの並べられた逆三角形のショートグラスに、茶こしで受けながら、左から半量ずつ注いでいき、右端のグラスにフルで注ぐと、左端のグラスまで戻り、すべてを注ぎ終えた。

 分量も均等であった。


 用意していたオレンジの皮の破片を、グラス一つにつき一枚ずつ斜め上の角度から軽く潰し、香りを飛ばすピールする

 用意しておいた花形に切ったオレンジの皮をグラスの縁に差し込み、完成となった。


 ジンとオレンジジュースのみをグラスに直接作る(またはシェイカーを使う)『オレンジ・ブロッサム』から考えついたものであった。

 欧米では花嫁はウェディングドレスにオレンジの花を飾り、オレンジブロッサムを飲む古くからの習わしがある。


 オレンジ・ブロッサムにオレンジ・キュラソーを1tsp.入れる『ハワイアン』、ジンとグラン・マルニエ、オレンジジュースを同量ずつ入れる『ロードスター』というカクテルとも材料は似ていた。


 菓子にも使われるオレンジ・キュラソーは、ホワイト・キュラソーを樽熟成してオレンジ色となり、中でも、優の選んだブランデーをベースに作られたグラン・マルニエは最高峰であった。


 限られた時間で、ショートグラス五杯分のカクテルに、なんとかリアルなオレンジの香りを出したいと考え、浮かんだのが、シェイカーの中にスライスを入れて振ることだった。

 遊びでシェイカーの中にオレンジやライム等のスライスを入れて振った時に、思いの外、香りがフレッシュになった経験が、瞬時に思い起こされた。


 スライスを入れて振ったカクテルは、入れないものよりもオレンジの色も味も濃くなり、氷で破れた薄皮等を避けるため茶こしでこす方が味が良い。


 さらに、ピールをすると、ドリンクを飲み切る間くらいは、オレンジの香りが保たれる。


 グラスのオレンジの花形の皮も、ウェディングドレスに飾る花を演出した。


 咄嗟に思い付いた中で、出来るだけのことを詰め込んだ。


 カクテルの名前は、『ウェディング・ギフト』。

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