Ⅳ. 第2話 夢への第一歩

     *


「オーナー、本当ですか!?」


 真由稀が速水を見つめた。

 銀座でのイベントに来ていた東都ホテルのチーフ・バーテンダーが、真由稀の渾身のカクテルに目を留め、女性ならではの感性に好印象を持っていた、と速水から聞かされた。


「でも、あれは、桜木さんのアドバイスがあったから思いついたというのもありますし、榊さんにも負けたくない気持ちで取り組んでいたので、決して、私だけの力じゃないんです。それに、技術的には、私はまだまだお二人には追いついてませんし……」


「面接に来るよう言っていた。とにかく、行ってみなさい」


 声がかかったのは、きっと自分だけではないだろう。

 そう思ってみても、真由稀の足は夢への第一歩に震えていた。 


 定休日に、真由稀は、自然と横浜にあるバー『プロムナード』へ通うようになっていた。自分と同じ女性バーテンダーの店があることを、速水や優から知り、技術的な相談をするうちに、南結月の包み込むような笑顔に癒されてもいた。


 時々、独りで飲みに来た蓮華と遭遇することもあった。彼女たちと接していると、自分には足りない必要なものに気付かされる。

 そんなことを最近は考えながら、休みの日には『プロムナード』で寛いでいた。




「北埜さん、おめでとう」


 新宿にある『Limelight』二号店で、真由稀の送別会が開かれた。銀座の本店よりも、多少カジュアルな内装で、ジャズの生演奏が入る日もある。


 隣では優が微笑み、その奥では榊が嬉しそうに笑っているのが、自分との別れを喜んでいるようで少々気に食わないが、二人に応える。


「ありがとうございます。お二人には、お世話になりました。特に、桜木さんには」


 予想通りにムッとする榊を見ると、クスッと笑みがこぼれた。


「冗談ですよ。榊さんには色々と刺激をもらいました。私のオリジナル『ナイトフォール』は、桜木さんにヒントをもらって、榊さんへのライバル心があったからこそ生まれたものだと思ってます」


 少しだけ頬を染めた真由稀は、柄にもなく照れている自分に笑った。


「いつもそのくらい素直ならいいのに」

「もう、榊さんの、その本音がポロッと出るところが、イケメンなのにもったいないところですよね!」

「はあ?」

「あはははは!」

「おい、桜木! 笑いすぎだろ!」


 真由稀のもう片方の隣では、速水がゆっくりとウィスキーを傾ける。心なしか、口の端が上がって見える。

 他従業員は彼女に一言ずつ挨拶をし終えると、仲間内で飲んでいて、送別会というより、単なるお疲れ様会のように感じられた。


「いつか、北埜さんに言われた目標のことだけどね」


 切り出した優を見上げる。


「僕にも見つかりそうだよ」


 決意の満ちた表情というより、ほわんとした笑顔に、幾分拍子抜けしてしまう。


「えーっ、桜木、まさかうちの店のオーナー狙い!?」


 榊が素っ頓狂な声を上げ、真由稀も驚いて目を丸くする。


「違うよ」


 動じることなく、優は笑った。


「じゃあ、独立するんですか?」

「うーん……まだはっきりとは言えないけど」


 手にしているジントニックを飲み干すと、優はカウンターに行き、グラスを返し、ウィスキーを注文した。

 ウィスキーの味をみると、そのままバーテンダーと話し込む。


 桜木さんも、結構、残念よね……。

 実際、モテるのに。


 優目当ての女性客を何人か知っている。

 真由稀は優の背を眺めた。


 付き合っても、いつも女性の方から去っていく。

 仲間内と話している時、そんなことを優は言って笑っていた。


 あなたがお酒に夢中だからよ。

 研究熱心な姿は尊敬も出来るけれど、遠くにも思えるものだわ。

 自分を一番と思ってくれていないと感じると、女は淋しくなってしまう。


 そして、最後の賭けに出ることになる。

 別れを切り出すことで、あなたの気持ちを計ろうと。

 素直なあなたは言葉通りに受け取って、追いかけもしないのでしょう。

 近くにいると、よくわかる。


 そして、もう一つ原因はある。

 『彼女』の存在だ。

 『恋人』ではない彼女。


 真由稀は、ジントニックの残りを見下ろした後、優を見つめた。


 カクテルを練習する中、追い詰められていた私の気持ちを軽くしてくれた時から、うっかり好きになりそうだった。

 コンテストに出すために練習してきたオリジナル・カクテルを、いとも簡単に、友達を祝福するために即興で思い付いたカクテルに差し替えて金賞を取った時、格好良いと思った。


 でも、すぐにわかった。

 あなたには蓮華ちゃんが合ってる。


 「友達だ」っていうけど、あなたから彼女たちが去って行ったもう一つの原因は、間違いなく蓮華ちゃんの存在よ。

 蓮華ちゃんのことを気にしていた女性ひとは、そんなことをあなたに訊いたはず。


 あなたが否定しても、淋しくて猜疑心が芽生えてしまった女にとっては、きっと、疑惑は深まる一方で……。


 優がバーテンダーと笑い合うと、席を立ち、下半分が琥珀色のオールド・ファッションド・グラスと共に戻ってきた。


「ごめん、ごめん、つい向こうで話し込んじゃって」


 そんな暢気な様子を見守ると、少し意地悪をしてみたくなった。


「桜木さんが付き合っても彼女と続かない理由、なんとなくわかったんですけど」


「え? いきなり?」


 少し驚いている優と「えっ? なになに?」と興味津々な榊が、真由稀を覗き込む。

 真由稀は、にっこりと微笑んだ。


「教えてあげません」

「えーっ、なんだよ、それ!」

「なんで榊さんが残念がるんです?」

「いや、俺が考えてることと同じなんじゃないかと思って」

「ああ、なるほど。……そうかも知れませんね」

「おーっ!」


 榊が感慨深い声を出した。


「初めて、北埜さんと俺の意見が一致したな!」

「そう言えば、そうですね」


 優だけが、きょとんとした顔で、二人を見つめている。

 その顔が見られて満足だとでもいうように、真由稀は笑っていた。


「教えてなんて、あげませんよ。そこまで、私、お人好しじゃありませんから。自分でなんとかしてくださいね。強いて言えば、……そうですね、あんまり無自覚なのもどうかと思いますよ」


 ますます優はわからない顔になり、榊は可笑しそうに笑いを堪えていた。

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