家飲み♪ その1

ホットカクテル

「学校を辞めたのは、コンクールの結果が気に入らないのを引きずってたとか、自暴自棄になってたとか、ましてやクラシックが嫌いになったとか、そんなんじゃないから。もっとやりたいことが出来たからだよ」


 優の笑顔には、無理をしているところはないとわかると、大輔はホッとした。


「簡単なカクテルだけでも作ってるうちに、だんだん面白くなって来て。今までと全然違う分野だから最初は目新しくて、美味しく作れたらっていう程度だったけど、もっと勉強したくなってきたんだ」


「ああ、なんか、お前は、ハマると追求するタイプだもんな」


「芸術と違うところは、追求するだけじゃダメなところかな。お客さんの気持ちも考えないと。言えない人の気持ちを汲み取るとか……。遥さんの時も、それが出来たら良かったんだけど、まだ僕が人生経験が浅かったから」


 その笑顔は、コンクールの直後に微笑んでみせ、帰っていった時と似ていると、大輔は思った。


「そう考えた方が、楽だからか?」


「強がりを自分にいて、無理に納得しようとしてるみたいに見える?」


 大輔を見る優の瞳が、少し面白そうに輝いた。


「いや、無理してるとかまでは思わないけど」

「時々、『Something』でもジャズを弾かせてもらえて、カクテルも作らせてもらえて、勉強もできて……責任はあっても、音大にいた時より充実してるよ」


 観察するよう、大輔はじっくり優の顔を見る。


「そっか。お前が楽しくやってるならいいんだ。安心したよ」


 バー『Limelight』を出ると、翌日休みの大輔は、横浜にある優のアパートに寄って行くことになった。


「その前に、そこのコンビニで肉まん食べていい? 新商品が出たんだけど、まだ買ったことないから」


「とてもバー帰りとは思えないな」


 苦笑した大輔に、優が笑った。


「バーの仕事の帰りでも、おなか空いてる時は、石焼き芋とか屋台のラーメンも食べたりもするよ。大輔も食べる?」


 言われてみれば、バーではナッツやチーズなどのつまみしか頼まず、少し緊張していたせいか、腹が満たされていないことに、今になって大輔も気が付いた。


 優にならい、彼も肉まんを買うことにしたが、その後、肉まんだけではおさまらなかった二十代男子たちは、チェーン店の牛丼も購入した。


 アパートでは、キッチンに酒の瓶を並べた棚があり、シェイカーやミキシンググラスといったカクテルを作る道具もそろっていた。


 大輔としては、このような背景を前に庶民的なものを食べるのは気が引けたが、普段からそのような世界に漬かっている優にしてみれば、当然何とも思わないようだ。

︎︎︎ 二人は、牛丼に、冷蔵庫から取り出した卵をとき入れると、七味をふりかけ、店でもらった刻み生姜を乗せてガツガツと食べた。


「最近寒いから、あたたかいカクテル作るよ。練習も兼ねて」

「あったかいカクテルなんて、あるのか」

「焼酎もお湯割りとかあるし、ウィスキーもお湯で割ったりするよ」


 やかんを火にかけている間に、蒸留酒スピリッツのボトルと、耐熱グラス、スパイスの小瓶などを並べていき、そして、中心がねじれている長いバースプーンを、水の入ったグラスに入れた。


「あれは使わないのか?」


 大輔がシェイカーを指差した。


「シェイカーを使わないで出来るカクテルも多いよ」


 耐熱グラスを二つ並べると、片方にはウィスキーを注ぎ、もう片方にはブランデーを注いだ。

 角砂糖を一つずつ入れ、沸かした湯を入れると、スライスしたレモンに丁字クローブを差し込んでそのまま浸けると、バースプーンで軽く混ぜた。最後にシナモン・パウダーを振りかける。


「ホット・ウィスキー・トディー。『トディー』っていうのは、寒さから身を護るためにイギリスでは昔から飲まれていた、酒に砂糖とお湯か水を注いだスタイルなんだって。健胃効果のあるクローブも身体をあたためるんだ。角砂糖の代わりにハチミツかマーマレードジャムでもいいし、ベースはウィスキー、ブランデー、ジンやラム、テキーラでもいいんだよ」


「うわ、ブランデーなんて高級だな!」


「ブランデーは千円弱でスーパーで買ったよ。ブラックニッカの価格にはかなわないけど」


「へー、安いブランデーでも意外と甘くて飲みやすいんだな! レモンがさっぱりしてていい! ウィスキー・バージョンは、ウィスキーの香りがそのまま来てツンとするけど、甘味があって美味い!」


 ウィスキー版を飲んでから、再びブランデー版を啜る。


「やっぱり飲みやすい! ブランデーっていうと、大きめのグラスに入れて、手で転がしながらあたためて飲むって言うよな?」


 大輔が気取って真似をすると、優が笑った。


「昔はあたためないと香りが立たなかったらしいけど、今のブランデーは品質が向上したから大丈夫」


「そもそも、ウィスキーとブランデーって、味の他に何が違うんだ?」


「ウィスキーの原料は大麦が中心で、ブランデーはワインを蒸溜して作る白ブドウが原料のグレープ・ブランデーと、りんごとかから作るフルーツ・ブランデーがあるよ。ただのブランデーはグレープの方を指してる。十九世紀後半にブドウ園が害虫の被害にあって、ワインもブランデーも作れなくなってしまった時に代用されたのがウィスキーで、それ以来、世界にウィスキーが広まったって言われてるんだ」


「なんとしてでも、皆、酒が飲みたかったんだな。気持ちは良くわかる!」


「ロンドンの社交界でも困ったらしいから」


 トディーが飲み終わりそうにな頃合いで、優が次のカクテル製作に取りかかる。


「ホット・バタード・ラムっていう、ちょっと変わったカクテルもあるよ。ラムはサトウキビが原料の蒸留酒で、トロピカルカクテルなんかによく使われていて」


 ああ、そうだな、と大輔が相槌を打つ。


「『Something』では、よく使うホワイトラムとダークラムはあっても、ゴールドラムは入れてないんだ。ホット・バタード・ラムを作る時はダークラムを使うんだけど、ゴールドラムを使った方がライトな感じになるらしくて、だから、うちで作ってみたくて。スーパーでも売ってないから酒屋かネットで手に入れるしかなかったけど」


 ゴールドという名にふさわしい、濃いウィスキーのような色合いだ。

 耐熱グラスに角砂糖と少量の湯を入れ、溶かしてからゴールドラムを入れ、湯で満たし、軽く混ぜる。

 そこへ、バターを浮かべ、クローブとシナモンも入れ、小皿に出したナツメグを指でつまんでほんの僅かだけ入れた。


「専用のバターを自分で作るバーテンダーさんもいるんだって。無塩バターに三温糖、塩、シナモン、グローブ他香辛料、キャラメル、バニラも。それを大さじ1も入れるみたいだよ。確かに、バターは一片以上は入れてもいいと思ったんだ。この間、少なめにしたら、よくわからなかったから」


 優はスプーンで掬って味見をした。


「シナモンはパウダーでもいいし、ちょっと高いけどスティックがあれば、だんだん皮が開いていくから香りもし、ナツメグを入れてもピリッとして美味しいよ。この間、うっかりかけ過ぎたらバランス悪くなって失敗したから、指でつまんで入れた方が調節出来ていいね。作り立てよりも、少し時間が経った方が、バターのまろやかさとスパイスがうまく馴染んで美味しくなるよ」


「じゃあ、これも、時間が経っても楽しめそうだな!」

「うん。猫舌の人も大丈夫!」


 グラスを受け取った大輔も、一口飲む。


「思ったより飲みやすい。もっとこってりで甘いかと思った」


「発酵バターを使ったからかな? マスターがくれて。砂糖も角砂糖がなかったら、三温糖でも何でも、家にある砂糖でいいと思うよ」


「レシピに忠実じゃなくていいのか?」


「そういうのはバーテンダーとか見習いに任せて、家で自分で作って飲むなら、おおらかで全然OKだよ」


 それからは、酒の話に限らず、最近見た映画の話や学校の話、友人たちの話などに発展していく。


「春からは、俺もいよいよ社会人かぁ!」


 帰り際に大輔が言った。着実に夢に向かう友人を、優は頼もしそうに見ると、肩を軽く叩いた。


「中学校音楽教師、頑張ってね!」


「時々、お前んとこに飲みに行くから。四月中に早速行くかも知れないけどな」


「いつでも待ってるよ!」




【ホット・ウィスキー・トディー】7〜13度

※耐熱グラスに直接作る。


 ウィスキー 45ml

 角砂糖 1個

 (ハチミツ、マーマレードジャムでもOK)

 湯

 スライスレモン、クローブ、シナモン


 ウィスキーをブランデー、ジン、ラム、テキーラに変えてもいい。



【ホット・バタード・ラム】10〜15度

※耐熱グラスに直接作る。


 ダーク・ラム or ゴールド・ラム 45ml

 角砂糖

 湯

 バター1〜2片

 シナモン、グローブ、ナツメグを好みで。


 湯をあたためた牛乳に変えると『ホット・バタード・ラム・カウ』になる。

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