Ⅱ. 第2話 あたしのイメージで

 その初めて対面した女性客は、カクテルを頼む時に言った。


「あたしのイメージで」


 シャンプーのCMには足りない長さの髪を、さらっと梳く動作をし、いたずらっぽく瞳を輝かせる。


 小悪魔風な女性というより、単なる若い学生であった。


 女性連れの男性が「彼女に似合うカクテルを」という注文なら受けたことはあっても、自分でそう言った女性客は初めてだ。


 だが、学生の彼女は堂々としていて、既に何かの雰囲気をまとっているようでもある。


「かしこまりました」


 さほど年の変わらない彼女に、カウンターの中から優は微笑んだ。




 今日も『Something』ではジャズのライヴが行われる。

 ミュージシャンの年齢が高く、大人向けのしっとりしたバラードが多い。そういうものも、優は好きだった。その年齢だからこその演奏は、若年の自分には出せない魅力がある。


 平日で、店は空いている。この日は静かに飲む一人客が多かった。


「おはようございまーす」


 蓮華が転がり込むようにして入ってきた。

 音楽界等業界では、夜でも初めて会えば挨拶は「おはよう」だ。


「いらっしゃいませ」


 黒いエプロンをした優を見て、ほっとした顔になる。


「今日は来てたんだね、先週来たら休みだったから」

「時々銀座のバーに勉強に行ってるから、その日だったのかな?」


「へー! 銀座にも行くの?」

「『Limelightライムライト』ってお店なんだ」


「そこは、うちみたいな雑然とした店と違って高級店だし、相手は俺みたいないい加減な師匠じゃないからな」


 マスターが笑った。


「すごい! ホントにちゃんと勉強してたんだね!」

「してるよ」


 優は、あけすけな蓮華のセリフに苦笑した。


「それで、蓮華ちゃん、この間から優に用があったんだろ?」

「そうなんです!」


 マスターに促され、カウンター席に着くのも待ち切れない様子で、蓮華が話し始める。


「あの後ね、バーに行く度に、あたしのイメージでカクテル作ってもらってたわけ」


「そんなことしてたの?」


 優がおかしそうに蓮華を見るが、蓮華の方は真面目だった。


「映画館の中の忙しそうなショット・バーでは、それまでジン系のショートカクテルを頼んでいたせいか、結構度数高めの辛口のものが出て来て、ああ、なんかキツい女に映ったのかしら? って思って」


 微笑む優と、笑いをこらえるマスターをちらっと見た。


「ちょっとマスター、笑い過ぎじゃないの?」

「ごめんごめん」


「それでね、別のバーでは、その時あたしが青い服着てたからか、ブルーハワイみたいなクラッシュした氷にブルーキュラソー使った感じので、フルーツが飾られてあるゴージャスでトロピカル系のが出て来たの。その日は蒸し暑かったから、ハワイに行った気になれたし、美味しかったから良かったわ。そんな感じで、どのバーテンダーさんも同じものはなくて、色々で面白かったの。それに、どれも、見たてきにも喜ばせてくれてる感じがしたわ」


「なるほど!」


 優は、他のバーテンダーのに感心し、そういう注文が来た時は少しフルーツを飾った方が女性受けしたかも知れないと思った。といって、あまり単価が高くなってしまっても、お客様の負担になるし……などと、頭の中であれこれ組み合わせを思い浮かべている時だった。


「それでもね、優ちゃんが作ってくれたのを超えるようなのは、なかったの」


「えっ、そうなの?」


 優は意外そうな顔になった。


「お前、どんなすごいの作ったんだよ?」


 マスターが興味津々に尋ね、蓮華も瞳を輝かせる。


「別にすごくないですよ。単に、ピーチリキュールとオレンジジュースを使って」


「ああ、ファジーネーブル?」


 マスターが意外そうな顔で、優から蓮華に視線を移す。


「それをアレンジして、炭酸と少しだけアプリコット・ブランデーを足してみただけですよ。あ、レモンジュースもちょっとだけ入れたっけ」


「蓮華ちゃんが普段飲むものより度数低そうだけど、それで満足したの?」


「はい!」


 元気に返事をした蓮華を、拍子抜けしたような顔でマスターは見た。

 それから、蓮華が、少しだけ恥ずかしそうに笑った。


「他のお店で作ってもらったものは、大人っぽい格好して行ったせいか、大人の女ぶってる自分の外観的には合っていたのかも知れません。でも、優ちゃんの作ってくれたものは、桃とオレンジ味で一見女の子らしくても、中身はサッパリしてる女の子って感じで、大人ぶってるあたしじゃなくて、素の自分を言い当てられた気がして。自分からは絶対頼まないカクテルだったけど、味も美味しくて気に入ったんです」


 優にとっては、蓮華に可愛らしいカクテルを出すのは賭けに近かった。酒に強いことを確認した上でだったので、本人は強いカクテルを希望していたかも知れないが、客を始め身近な大人の女性を見て来た優には、蓮華に対しては、まだ可愛らしいという印象だった。


 だが、ただ可愛らしいカクテルでは、きっと怒られる。

 話を聞いていると、かなり辛口な反撃が来ることも予想出来た。

 だから、賭けだったのである。


 ファジーネーブルが好きな男性客がいた。フルーティーなものが好みでも、注文するのを恥ずかしがっていた。

 グラスをロングに替え、ファジーネーブルに炭酸を足してみたり、ロックのまま隠し味を入れたり、多少アレンジして出すと喜ばれた。


 蓮華に出したカクテルは、ファジーネーブルを男性でも飲みやすくするために考えていた時に思い付いたものが元になっている。

 そんな真相を話すと気を悪くするかも知れないと思い、黙っていることにした。


 そのカクテルを蓮華が喜んで飲んでいるところへやってきた橘も、味見をしてみて笑った。

 彼女のことがよくわかっている、と。


「だからね、あたしには、あの時の優ちゃんのカクテルが、『あたしのイメージカクテル・ベストバーテンダー賞』なわけ!」


「なにそれ?」


 威張ったように言う蓮華に、優が笑った。


「では、たまたまお客様との相性が良かった、という幸運のもと、バーテンダー見習いとして最高の栄誉をいただけて、誠に光栄です」


 優が、手を胸に当て、紳士を気取るように丁寧に礼をした。

 きゃっきゃ蓮華が笑った。


「柑橘系で甘くてサッパリのカクテルもあるのね」


 それをきっかけに、蓮華の飲むカクテルの幅も広がり、優やマスターの話を聞いて選ぶことが増えた。




【蓮華イメージカクテル】

※氷を入れたグラスに直接作る


 ピーチリキュール 1/3

 オレンジジュース 2/3

 アプリコット・ブランデー 少量

 (アプリコット・リキュールのこと)

 レモンジュース 少量

 炭酸水


 「ファジー・ネーブル」を即興でアレンジした優のオリジナル。

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