「オールド・パル」と「オールド・ファッションド」

「緊張するなぁ。俺みたいなのが行っても大丈夫?」

「大輔なら全然平気だよ! カウンターとテーブル席、どっちがいい?」


「優は、カウンターでバーテンダーの仕事見たいだろ?」

「どっちかといえば」


「……だけど、今日は、ちょっとじっくり話したいからさ」

「じゃあ、テーブル席にしよう」


 銀座の一角には、『Limelight』のシンプルな看板の店があった。

 重厚な木の扉を開けると、イギリス風のクラシカルな内装とカウンター、革張りのウィングバックチェア、テーブルが、二人を外国へと誘う。


 大輔は一気に緊張し、怖じ気付いたように、優の後ろに隠れる形になった。

 優は、カウンターの中にいる年配のバーテンダーに会釈をし、案内されたテーブル席に大輔と着いた。


 オーセンティック・バー。優が普段働いているバー『Something』のようなカジュアルさはない、ホテルに近い本格的なバーだった。


 『Something』では、優がアルバイトをしていたり、時にはバンドに混じり、ピアノでジャズを弾いたりしているところを、大輔は目にしていた。


 他にも、小さな店で若いバーテンダーが一人で経営する、奇をてらったカクテルを作り、常連たちで盛り上がるバーにも、優と行ったことがある。

 その時は、わたあめをロンググラスの口にふわっと乗せ、そこにシェイカーで振ったカラフルな酒をそそぐ、華やかなカクテルが衝撃的だった。


 若い男性の集まるカジュアルなところなら時々探索していたが、大人の訪れる本格的なバーは初めてだ。


「ごめん、『Something』のマスターが、一回はここを見ておいた方がいいって言うから、今日は付き合わせちゃって」


「いいんだよ。俺も、お前が一緒じゃないと、なかなかこんなとこには来られないし」


 まだ大学生で酒の味を覚えている最中だが、大人の男を目指すには、ウィスキーに挑戦してみたい。


 『Something』では、そう言った彼に、優はまずはハイボールをすすめた。

 ウィスキーのソーダ割りだ。

 居酒屋のサワーのような感覚で飲めるが、サワーよりも満足度が高かった。


 それに味を占めた大輔は、ウィスキーのストレートやロックにはまだ手は出なかったが、少しずつウィスキーを攻略していくことに目覚めたのだった。


「オールド・パルとオールド・ファッションドを」


 「任せる」と言われ、大輔の分も優が注文した。


「ウィスキーの銘柄は、何かご希望はありますか?」

「初心者でも飲みやすいものならどれでも。お任せします」


 客席で注文を取る若いバーテンダーは、優と二、三言葉を交わすと、カウンターに向かった。


「バーには、やっぱり男の客が多いか?」


「うん。だけど、最近は、女の人も二、三人で来たりしてるよ。若い人も主婦らしい人も。ホテルのバーならランチの時間帯から空いていて、夕方五時頃から夜用のメニューになるから、街場のバーよりも早くから飲めて、主婦の人でも一、二杯飲んで早めに帰ったりしてるみたいだよ。街場のバーはいろいろ個性的だろうから、女の人たちが初めて行くなら、ホテルのバーがいいと思う」


「ホテルだと料金高そう。服装も気を付けないといけなさそうだし」


「女子は大丈夫だよ。男子もスーツじゃなくても普通の服装であれば大丈夫だし、他のお客さんが気持ちよく飲めるようにって意味だから。料金は、確かに高めかな。街場が千円かからずに飲めるものが、ホテルだと千円から千五百円くらいかかることもあるし。チャージとかサービス料10%くらい取ることもあるけど、カードが使えるよ。高い代わりに夜景が綺麗だったりして、普段とは違う雰囲気に浸れるのもいいかなぁ」


「ふうん。女子同士で行く人も増えてるのかぁ。璃子りこのヤツが、女友達が皆飲めないとかで、飲みに行く時は、俺かお前と行くしかないって嘆いてたよ。しかも、お前は夜の仕事だから、ほぼ俺しかいないわけだから」


「バーにもノンアルコール・カクテルがあるよ」


「友達がノンアルコールなのに、自分だけガバガバ飲んでたら恥ずかしいんじゃねぇの?」


 大輔が笑うと、優も笑ってから、少し俯いた。


「璃子ちゃんは、……まだ怒ってるのかな」


 大輔は、少し同情的な表情になった。


「あいつも頭ではわかってるし、本当はお前のことを応援してやりたいとも思ってるはずなんだけどさ、……まあ、納得してから、ちゃんとお前に会えるようになるまで、もう少し時間がかかるだけだろうから、気にすんな」


 テーブルに、カクテルが並ぶ。

 カクテルグラスに赤く輝くオールド・パルと、ロックグラスにフルーツが添えられたオールド・ファッションド。


「懐かしい友人と飲むカクテルって言われてる。オールド・パルの “pal” は、『おう、相棒』みたいな感じで男同士が気の置けない相手に使う言葉なんだって。間違っても、璃子ちゃんに使ったらダメだよ」


 優と大輔が顔を見合わせ、二人とも笑った。


「そっか。赤くてカクテルグラスに入ってるけど、男向けなカクテルなんだな!」


 大輔は安心したように、グラスに口を付けた。


「……甘い。匂いはウィスキーなのに、飲みやすいな」


「ウィスキーとカンパリと、マティーニなんかに使うドライ・ベルモットってフレーバード・ワインを使ってるんだ。カンパリは薬っぽくて好き嫌いが分かれるリキュールで、初心者には飲みにくいウィスキーとは、個性と個性がぶつかりそうにも思うけど、ベルモットのおかげで調和してるみたいになるんだ。全部お酒だから相当強いけど、氷と一緒に混ぜる時に水が加わってるから、飲みやすくなってるよ」


「そうだな。甘くて受け入れ安いけど、どこかほろ苦いのもいいな」


 優は、自分のオールド・ファッションドも差し出し、大輔に味見をさせた。


「これもウィスキーだけど、うっすらフルーティーで美味うまい!」


「角砂糖とオレンジ、ここのお店ではレッド・チェリーも使ってるね。オレンジと一緒にレモンとかライムも使うこともあるよ」


 角砂糖に振りかけられた赤い苦味酒であるアンゴスチュラ・ビターズが、うっすらと見え、角砂糖や、オレンジ等フルーツのスライスをマドラーで潰しながら、好みの味にして飲む。


「それも面白そうだな」


「時間が経つごとに違う味を楽しめる、そういう楽しみ方が出来るよね。僕が家で練習する時は、飲み終わった後は、せっかくだから、ここにウィスキーと炭酸を足してハイボールにしたり、ウィスキーとジンジャーエールでジンジャーハイボールにしちゃうんだ」


「へー! それも美味そうだな!」


 笑った優を見て、少しだけ沈黙してから、大輔が顔を上げた。


「それで、……そろそろ訊いていいか? もうクラシックの世界には戻らないのか?」


「……うん。今、ジャズの先生について習ってる」


 二人の会話は、ピアノのことを指していた。


「そうか……。それと、もう一つ、……一年前、何があった?」


 大輔は、いたわるように尋ね、優の右手中指の横——ちょうどバースプーンのねじれが当たる部分——の皮がむけ、荒れているのに気付き、痛々しそうな目になった。


 優は、穏やかに笑った。


「別に、そのことと、学校を辞めたことは関係ないよ。バーテンダーを目指すことにしたのも」


 親友だけが垣間見ることの出来た、淋し気な、だが決心の宿った瞳だった。

 一口だけそれぞれのカクテルを含むと、優も大輔も黙り、過去に思いを馳せていた。




【オールド・パル】24〜27度

※ミキシンググラス(別のグラス)に氷と材料を入れ、よく混ぜてから、ストレーナーでこす。

長めにしっかり混ぜると美味しい。


ウィスキー 20ml(1/3)

カンパリ 20ml(1/3)

ドライ・ベルモット 20ml(1/3)



【オールド・ファッションド】32度

※氷を入れたグラスに直接作る。


 ウィスキー 45ml

 角砂糖 1個

 アンゴスチュラ・ビターズ 1dash(1滴)

 (アロマティック・ビターズ)

 炭酸水 2dash(2滴)

 オレンジ、レモン、ライムのスライスを好みでグラスに入れる。

 レッドチェリー(マラスキーノ・チェリー)を入れてもいい。

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