第38話
五年後
闘技場に集まった人々は薄い板状の革を握り締めて舞台を見ていた。
その舞台の上では、長い金髪を揺らして剣を振る女の剣闘士の姿があった。剣闘士とは思えないような、美しく流れるような金髪と透明感のある白い肌をした女である。女は頭の半分ほどを隠すような簡易的な兜と、胴体や肩、腕、足などを最小限守るような軽鎧を着ている。
女の剣闘士は引き締まった小柄な身体を使い目にも止まらぬ速さで動き、相手を翻弄している。
剣で相手を牽制し、相手が動きを止めて身を守り始めた瞬間、素早く回り込んで跳び上がった。
空中で身体が横向きになった状態で、思い切り相手にむかって蹴りを放つ。
鉄兜をした相手の首と後頭部の間辺りを、鉄の脛当をした女の剣闘士の足が蹴り飛ばした。
恐ろしい衝撃音と共に、鎧を着込んだ大柄な男が前のめりに倒れ込む。それに続くように女が地面に着地した。
女が頭を軽く振ってから片手を上げると、闘技場が歓声で揺れる。その熱狂的な歓声を受けながら、女は颯爽と舞台から去っていった。
女が明るい闘技場の舞台から薄暗い通路に戻ると、通路の奥では筋肉質な男が笑顔で立っていた。
「お疲れ、エメラ。快勝だったな」
男がそう言うと女の剣闘士は兜を脱ぎ、その美しい顔を見せて微笑む。
「これで六十連勝! もうすぐ約束の百連勝ですよ、ヤマトさん!」
エメラがそう言うと、ヤマトは困ったように笑って首を傾げた。
「まさか、エメラがここまで強くなるとはな……だが、約束は考え直した方が良いと思うぞ? この前もどっかの貴族の次男だか何だかが求婚に来てただろ?」
ヤマトがそう言うと、エメラは頬を大きく膨らませてヤマトを睨んだ。
剣闘士としてデビューしてから一年。全戦全勝で無敗記録を更新し続ける女剣闘士エメラ。
『戦女神』『黄金の剣』『神の娘』……そんな二つ名を持つ話題の女剣闘士が、ヤマトを見上げながら子供のように両手を振り回しながら怒っている。
「約束は約束ですよ! そんな貴族の求婚なんてポイッです!」
エメラがそう怒鳴ると、ヤマトの後ろから黒い衣装に身を包んだ金色の髪を上に上げた男が姿を見せた。
「約束は守れよ、マト。良いじゃないか。こんだけ美人になったんだ。満更でも無いだろ?」
男がそう言うと、エメラが輝くような笑顔で何度も頷く。
「そうですよね、クレイドルさん! ほら、約束は守りましょうよ、ヤマトさん!」
クレイドルとエメラ、二人にそう文句を言われ、ヤマトは肩を竦めて溜め息を吐いた。
「こんなオッさんの何が良いんだか……」
「ヤマトさん、多分二十歳って言ってたじゃないですか! 今はヤマトさんが二十五歳、私が十五歳! ほら、あんまり変わりませんよ!」
「全然違うぞ。それに、多分二十歳って言ったんだから、もしかしたら四十歳かもしれんじゃないか」
「なんでですか!?」
「なんでだよ!」
ヤマトの発言にエメラとクレイドルが同時に突っ込んだ。
十四歳になったエメラがしきりにヤマトにアピールをし、渋々ヤマトはエメラが百連勝を達成したら結婚すると答えたのだが、予想外にもヤマトとクレイドルに鍛えられたエメラの実力は尋常では無かった。
結果、ヤマトは気が付いたらもうすぐ結婚という瀬戸際に立っていた。
三人で文句を言い合いながら闘技場を後にすると、外で忙しなく動き回る若者達がヤマトを見て声を上げる。
「あ、団長! もう準備出来ますよ! 早くしてください!」
そう言われてヤマトが早足でそちらへ向かうと、闘技場前の広場には四角い舞台が出来上がっていた。高さ一メートルほどの床の上には四隅に丸太が立っており、三本の太いロープが張られている。
高さ一メートルほどのリングだった。
その上ではロープの張りを確かめる分厚い筋肉質な身体の男がいた。
「どうだ、パイル」
ヤマトが声を掛けると、パイルは嬉しそうにロープを引っ張ってみせる。
「やっぱ大猿かオーガ系の皮が一番だな! 張りが違うぜ!」
ご機嫌な様子でロープと戯れるパイルを横目に、ヤマトは辺りを見渡した。
既に、広場を囲むようにして闘技場から出て来た観客や、このリングの上での闘いを目当てに来た客とでごった返している。
「よし。賭け札を持ってる客はもう入ってもらえ。持ってない客は手分けして賭け札を買ってもらえ」
ヤマトがそう指示を出すと、若者達は返事を返し、手分けして観客達の下へと走り出した。
辺りが薄暗くなり、リングと広場の周辺には篝火が点けられた。
リングを挟むように左右に道が出来ており、その道を転々と松明が照らしている。
何かを期待するように観客達が周りを見ている中、一瞬の静寂が訪れ、低く重い太鼓の音が鳴り響いた。
その音を聞いて観客達の中の一部から歓声が上がり、同時に大きなブーイングも巻き起こった。
松明を持った若い剣闘士が剣を掲げて道の左右を歩き、その真ん中を黒い衣装にマントを羽織ったクレイドルが歩いていく。
歓声とブーイングが半々で上がる中、クレイドルはリングに上がってマントを脱ぎ去った。
派手な奴隷の刻印が胸と背中にあり、その姿に黄色い歓声も上がる。
クレイドルが観客を煽るようにロープによじ登っていると、また太鼓の音が鳴った。
今度はリズミカルで軽快な太鼓の音だ。
その音の中、赤いマントを羽織り、頭に羽根の付いた帽子を被った小柄な若者が走ってきた。
観客の大歓声を背に、若者がリングに飛び上がる。マントを脱ぎ去り、帽子を空に向かって投げ放った。
それを見て、クレイドルが嫌そうに顔を顰める。
分かりやすい悪役と爽やかな少年の闘いは、観客を大いに盛り上げた。
闘いは若者が勝ち、クレイドルはリングの外へ出される。
皆の歓声と拍手に若者が応えて両手を挙げた。
その時、鐘の音が鳴った。
夜の王都に響き渡るような鐘の音だ。
直後、篝火の多くが消され、リングの周囲を照らす灯りのみとなった。
観客達がざわめく中、また鐘の音が鳴る。
すると、片方の道の先で無数の松明が燃え上がった。その松明の灯りを背に、巨大な人影が姿を現わす。
真っ黒いロングコートに身を包む巨人の登場である。
リングの中の若者が恐怖に表情を凍りつかせ、観客達の中から悲鳴が混じった。
だが、近付いてくるその巨人が有名な剣闘士であると知り、観客から驚きの声が上がる。
遠目からそれを見て満足そうに頷くヤマトに、エメラが木の器に入った温かいスープを片手に歩み寄った。
「……色々考え付きますね、ヤマトさん」
エメラがそう言うとヤマトはエメラから木の器を受け取り、苦笑して頷いた。
「まぁ、他人のアイディアだがな。国王暗殺未遂の犯人クレイドルと、小柄だが派手な動きが出来るハッチの闘い。そして、勝負がついたと思った矢先に謎の巨人の乱入だ」
「よく、バーディクトさんが出てくれましたね」
「もう剣闘士を引退するらしいからな。思い切って誘ってみた。こっちならまだまだ現役でいけると知って喜んでたぞ」
「……私も出たかったんですけど」
「エメラは身体が小さいからなぁ。せめて体重が今の倍以上になれば考えても良いけどな」
「倍、ですか……食べても太れないんですよね……」
「ははは。体質なら仕方ないさ。そういえば、レインが剣闘士団を立ち上げたからな。今度一緒に興行出来るか聞いてみよう」
「どっちですか? 剣闘士ですか?」
「いいや、プロレスだ」
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