第29話
翌日、王都の観光に再度挑戦した俺とエメラは、なんとか大通りを歩くことが出来た。
だが、相変わらず人でごった返す大通りを歩けた理由は、俺とエメラの周りを人が避けているからだ。
「お、おい! あれは……!」
「ぼ、暴君だ! 狂戦士とバーディクトを圧倒した……!」
そんな声が方々から聞こえてくる。ざわざわと騒がしい人々の視線と声から逃げるように、俺達は足早に大通りを歩いた。
だが、この広く長い大通りでありながら、人の波は途切れる様子が無い。
どうせなら大通りで流行りの服を買ってやりたかったが、俺は溜め息を吐いて小走りについてくるエメラに視線を落とす。
「すまない。これ以上歩き回るのは無理かもしれん」
「あ、はい! 帰りますか?」
物珍しそうに大通りを見回していたエメラが明るい笑顔を見せてそう言った。
俺は立ち止まって周りを見渡し、近くにいた若い女に声を掛ける。
「すまない。この子に服を買ってやりたいんだが、良い店はあるだろうか?」
俺がそう尋ねると、女は目を白黒しながら頷き、大通りの奥を指差した。
「もう少し行ったところに、大きな商会の店があります。そ、そこなら多分……」
「ありがとう」
質問に答えてくれた女にそう言うと、女は何度も会釈をしながら俺を見ていた。
女に言われた通りに先へ行くと、店先にズラリと商品を並べる店があった。奥には服も見える。
「これか」
俺は店を見つけてすぐに店内へ突撃し、店員を捕まえた。
「この子に合いそうな服を見繕ってくれ」
俺がそう言うと、若い女の店員は目を見開いて俺を見上げる。
「スプレクス剣闘士団の暴君マット様っ!? ま、マット様ですよね!?」
女は飛び上がりながらそう叫ぶと、その場で右往左往しながら甲高い声を上げ出した。
ああ、こういう熱狂的なファンというものはどの世界でも変わらないのか。
俺は思わず以前の日々を思い出し、笑っていた。
「わ、笑……っ!?」
と、女は顔を真っ赤にして直立不動となってしまった。
「……買い物をしたいんだが」
結局、服を見繕ってもらうだけでもかなりの時間を要してしまった。俺も着回す為にシャツとズボン、上着を三着ずつ買ったが、恐縮するエメラが服を一枚選ぶのにも慌てる姿が面白く、二十着ずつほど買ってしまった。
流石に商品が多過ぎるので後で闘技場まで持って来てくれるらしい。
とりあえず、俺とエメラはゴング風の服に着替えて店を後にした。
冗談交じりに店員の女に求婚されたが、俺は軽く流しておいた。こういったファンの好意は、本人の性格などでなく試合中の選手としての自分に抱かれているものだ。
理想の中で肥大化した自分に勝てるわけがない。わざわざ夢を壊す必要もあるまい。
そんなことを思いながら来た道をエメラと帰っていると、途中で声を掛けられた。
遠巻きにこちらを見る人々がいる中、姿を見せたのはよく肥えたちょび髭の男だった。仕立ての良い黒い服に身を包む、肉が詰まったような体型のその男は、俺に向かって片手を上げながら歩いてくる。
「やぁやぁ、マット君! ちょっと良いかね?」
初めて見る顔のその男は、そう言いながら妙にフレンドリーな態度で俺の前に立った。恐らく四十代くらいだろうが、いまいち年齢が分からない。
「誰だ?」
俺が不信感を持ちつつそう尋ねると、男は自分のちょび髭を指で摘みながら口を開いた。
「私は先日お相手してもらったベアハグ剣闘士団の興行師、ベアハグといいます。いやぁ、マットさんはお強いですねぇ? いやいやいや、本当にお強い」
ベアハグを名乗るその男は、そんなことを言いながら俺の顔を見て笑う。
「……ベアハグ剣闘士団か。何か用か?」
俺がそう聞き返すと、ベアハグは胡散臭い笑顔で頷いた。
「いやいや、マットさんのお陰でうちのブルドが腰を痛めましてね。出来たら、マットさんを我が剣闘士団に……なんて思いまして、ね?」
ベアハグはそう言うと、ジッと俺の目を凝視してくる。その不気味な目付きにエメラが怯え、俺の足にしがみ付いてきた。
俺は俄かに騒がしくなる周囲の観衆ギャラリーの視線を意識しながら、ベアハグを睨み返す。
「まだ剣闘祭の最中だというのにか? スプレクス剣闘士団はまだまだ戦わないといけないんだ」
俺がそう言うと、ベアハグはまた破顔し、何度も頷いた。
「いやいやいやいや、分かっておりますとも。報酬……でしょう? もちろん、あれほど見事な戦いぶりを見せてくださったマットさんならば、うちにきてもらう分で金貨五枚。そして、一試合ごとに金貨一枚。大一番なら金貨三枚でどうでしょう?」
ベアハグがそう言うと、周りから様々な声が上がった。高いという歓声もあれば、安すぎるという怒声も上がる。
だが、借金を返す期間を大幅に短縮出来ると考えれば、奴隷には破格の条件かもしれない。
それでも、俺は首を左右に振った。
「俺まで抜けたらスプレクスが発狂しそうだ。遠慮しておこう」
「いやいやいや、あんなジジイなど気にせずとも良いでしょうに。それに、スプレクス剣闘士団はもう最後の日は見学でほぼ決定でしょう? それに比べ、我が剣闘士団は現在二位の戦績。もしかしたら、マットさんが剣闘祭最後の大一番を飾ることだって……」
ベアハグがそう言うと、周囲は騒然となった。今までで一番のざわめきだ、
剣闘祭最後の大一番。これに出る事を最大の目標にする剣闘士は多いだろう。
だが、俺は首を左右に振る。
「出るなら自力で出る。その時を楽しみにしていろ」
俺がそう言うと、ベアハグはつまらないものを見るような目で俺を見た。
「……いやいや、現実を知らない若者は……ふふふ。まぁ、良いでしょう! では、今回はそちらが楽しみに最後の試合を眺めていてください」
そう言って去ろうとするベアハグに、俺は最後に質問を一つする。
「……クレイドルは何故最後の一戦に出なかった? 俺はてっきりクレイドルが出てくると思っていたんだが」
俺がそう言うと、ベアハグは軽やかに笑いながら肩を竦めた。
「教えませんよ。ただ、うちのクレイドルと戦っていたなら、貴方はもう死んでたかもしれませんね。なにしろ、ブルドでも全く相手にならなかったんですから」
ベアハグはそれだけ言い残し、聴衆の中に消えていった。
ベアハグが消えた先をジッと見つめていると、俺の手を握る柔らかな感触があった。
「……帰りましょう、ヤマトさん」
エメラにそう言われ、俺は静かに頷く。
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