第10話
クレイドルの戦い
女の子らしくなったエメラは闘技場でやたらめったら声を掛けられた。
特に十代の若い剣闘士は頬を赤く染めて本気で照れている者まで現れる始末。
十歳前後にして初めてきたエメラのモテ期なのかもしれない。
次の日も声は掛けられるが、俺がメインの試合であることから近付いてくる剣闘士は減った。
何故なら、剣闘士団の収入源の大部分を占める興行で、メインとサブの試合が最も大切だからだ。
朝一番の試合で観客に大いに期待させ、昼にもう一度盛り上がる試合をする。そして、最後のメインで思い切り盛り上げて翌日以降も観客に来てもらうのだ。
同じ所から給料が支払われる以上、そのメインで戦う俺の調子を落とすような事は絶対に出来ない。
故に、エメラや俺に何か言ってくるような奴はもう後が無いような剣闘士だけである。
「こんな急に最後の試合を組ませてもらえるなんてな……何をやりやがった、マット」
もう四十になる剣闘士の男が待機場に向かう俺にそんな声を掛けて来た。
男は俺からエメラに視線を落とし、舌打ちをする。
「テメェの身体だけじゃなく、拾って来たガキの身体も売りやがったな?」
男はそう言って俺とエメラににじり寄る。
「そんな考えだから、お前は勝てんのだ」
俺はそう呟くと、男の頭を片手で掴んで壁に叩き付けた。その一撃で、男は昏倒して地面に転がる。
「……同世代として情けない限りだ」
俺がそう口にすると、エメラが不思議そうな顔で俺を見上げていた。
何も言わずに待機場に向かうと、そこにはクレイドルが立っていた。クレイドルは軽く剣を振りながら自分の動きを確かめている。
「お、今日の主役が来やがったな! 二日も休みやがって」
クレイドルは憎まれ口を叩いて笑った。
「悪いな。今日は譲ってもらう」
俺がそう言うと、クレイドルは口笛を吹いて目を細める。
「すっかり大物じゃないか。剣闘士歴一ヶ月の新人め。まぁ、すっかりベテランのクレイドルが期待の新人の露払いをしてやるよ。光栄に思え」
クレイドルはそう言って、戦いに赴いて行った。
その後ろ姿を眺めていると、エメラが心配そうに眉を顰めた。
「……クレイドルのおじさんは、大丈夫?」
エメラのそんな台詞に、俺は思わず変な声が出そうになった。
「クレイドルは三十歳くらいだと思うが、おじさんか? 俺のことはおじさんとは言わないのに」
俺がそう聞くと、エメラは目を何度か瞬かせる。
「だって、ヤマトさんは、十八歳くらいに、見えるけど……違った、でしょうか?」
エメラは段々と自信なさげになりながらそう言った。
俺は今何歳なのか。自分でも分からないのだから答えようが無い。
ただ、クレイドルの方が年上に見えるのは間違いないようだ。俺からするとクレイドルは若者の部類なのだが、大きな感覚の差異がこんなところにあったのか。
と、そんなどうでも良いことを考えても仕方がないか。
「応援に行くか」
俺はエメラにそう言って、舞台へと向かうことにした。
暗く長い通路を歩き、光の差す木板の前へと歩く。後でまた歩くことになるが、この道を歩くと気持ちは少しずつ高揚していく気がした。
木の板の扉の前に立った俺に、クレイドルの様子を見ていたスプレクスが気がつく。
「おい。お前はこの後だぞ」
スプレクスにそう言われ、俺は浅く頷いて舞台を指差した。
「応援だ」
俺がそう言うと、スプレクスは噴出すように笑う。
「ぶはっ! 新人がクレイドルの心配なんざ調子に乗り過ぎだ! 心配しなくても怪我もせずに帰ってくるぞ」
スプレクスはそう言ってまた笑い、木板の隙間から舞台を覗いた。俺とエメラも同じように木板の隙間からクレイドルの様子を窺う。
広い舞台の中で、クレイドルはもう相手の剣闘士と剣を合わせていた。
耳に障る金属のぶつかり合う音。激しく動き回る二人の剣闘士。
走りながら斬り合い、飛び跳ねたり地面を転がって敵の剣を回避する。クレイドルのその動きは遠目からも派手で、面白い。
相当、目と反射神経が良いのだろう。互角の戦いを繰り広げているように見えるが、必死に剣を振る相手に対して、クレイドルには余裕がある。
此処ぞという攻撃は受けずに躱し、相手のリズムを崩すクレイドルに、俺は素直に感心していた。
三十歳。脂が乗りに乗った最高の状態だろう。
俺はジッとクレイドルの戦いを見ているエメラの頭を撫で、口を開いた。
「ほら、クレイドルは強いぞ。多分負けても大した怪我はしないように負ける」
俺がそう言うと、スプレクスが嫌そうに顔を顰めた。
「バカ言え。賭けのこともあるから大一番は勝った負けたで良いけどよ、こんな試合で負けられたら王都では出さねぇよ」
勝ちすぎる剣闘士は賭けの対象にならないから他の剣闘士団から嫌われる。
故に、クレイドルは地方の興行でもごく稀にわざと負けていた。
だが、それもメインかサブでの話だ。
今日の試合は、問題無く勝って帰るだろう。
そう思って眺めていたら、案の定、相手の攻撃を連続で受け流し、流れるような動作でクレイドルが相手の剣を搦め捕り、そのまま地面に叩き付けた。
そして、わざわざ相手の剣の先を倒れた相手の喉に突き付ける。
「終わりだな」
かなり激しい打ち合いをしていたが、結果はやはりクレイドルの圧勝だった。
大歓声を浴びながら、クレイドルは爽やかな笑顔で観客に手を振っている。
「お、観てたのか。どうだった?」
帰ってきたクレイドルにそう言われ、俺は口の端を上げた。
「流石だな。そろそろ俺に訓練を付けて欲しいものだ」
俺がそう言うと、クレイドルは舌を出して肩を上げた。
「嫌だね。剣の扱いが下手なマトと戦ったら俺まで下手になる。下手な癖に誰よりも力があるから逆にやり辛いってんだ」
クレイドルはそう言って俺の横を通り過ぎた。
今までも何度かクレイドルに模擬戦を頼んだが、全て断られている。
確かに、俺もプロレスラー時代にも新人に稽古をつけたりしていたが、大事な試合が近くなるとベテランとしか練習しなくなるものだ。
クレイドルが相手をしてくれるくらい剣の扱いを覚えるしかないか。
「ほら、マット! そろそろお前の番だ」
と、スプレクスにそんな声を掛けられ、俺は顔を上げた。
どうやら、思ったよりも長く考え込んでいたらしい。
「クレイドル。エメラを頼むぞ」
俺がそう言うと、スプレクスとエメラの奥にいるクレイドルが片手を上げた。
「おう。行ってこい、今日の主役ヒーロー」
「が、頑張って!」
二人にそんな言葉を掛けられ、俺は口の端を上げた。
「ああ、行ってくる」
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