第9話

 大喜びのスプレクスに、次はメインで戦えと言われた。


 どうやら、話題が盛り上がっている内に派手な試合を組んでファンを作りたいらしい。


 一つの街でファンが出来るだけと侮ることは出来ないらしく、ファンになった者は必ず誰かに選手の話をしたがるとのこと。


 口コミは確かな説得力となり、ジワジワと浸透するということだった。


 間違いでは無い。プロレスにも通じる名の売り方だ。


 しかし、日本ならばテレビという最高の広告が打てた。それが無い分だけ、この世界では名を売るというのは長い積み重ねが必要になる。


 例外があるとすれば、王の前で開かれる剣闘祭だけだという。


 スプレクスから解放され、その日の夜は豪勢な食事が出た。しっかりと味付けされた、いつもより良い肉とスープ、柔らかいパンだ。


 まぁまぁの味だったが、エメラにはかなりの御馳走だったらしい。食べて自然と笑顔を浮かべていた。


「そういえば、また銀貨一枚貰ったから、明日は街に買い物でも行くか」


 俺がそう言うと、エメラは目を丸くして驚いていた。





 次の日、エメラを連れた俺が街を歩くと、やたらと多くの人に声を掛けられた。


 中には喧嘩を売ってくる変わり者もいたが、俺が軽く地面に転がすと走って逃げた。


 そして、あの肉を売っていた屋台の前を通ると、店主の女が手を挙げた。


「マット! 観たよ、試合! あんた強いんだねぇ!」


 女がそう叫ぶと、周りにいた人々も集まって来た。


「兄さん、剣闘士かい。確かに強そうだ」


「何言ってんの! 強いなんてもんじゃないよ!」


 中年の男がそう言うと、女が大袈裟に身振り手振りを交えて昨夜のゴブリン戦について語る。


 余程娯楽が無いのか、周りに集まった人々も固唾を飲んでその話を聞いていた。


 そして、俺が蹴り一発で二体のゴブリンを吹き飛ばしたと聞き、歓声が上がる。


「凄いな、兄さん。もしかして剣闘士になる前は高ランクの冒険者か何かだったのかい?」


「いや、違う。だが、戦うことを生業にはしていた」


 俺がそう答えると、男は成る程と訳知り顔で頷く。


「敗戦国の捕虜か、傭兵か……いや、深くは聞かないぞ! 俺も応援するから頑張れよ!」


「あんたが応援しなくてもマットは勝つに決まってるだろ! で、もうすぐ興行終わっちゃうけど、マットは戦うのかい?」


「ああ。明日の最後の試合だ」


「え! 一番良い試合じゃないか! 凄いね、若そうなのに!」


 俺の回答に皆が驚きの声をあげ、応援の言葉を掛けられた。


「それで、今日は明日の為の準備かい?」


 そう尋ねられ、俺は軽く首を振る。


「服が欲しい。安い店はあるか?」


 俺が聞き返すと、女は自分の胸を叩いて笑った。


「任せときな! 私の友達の店に連れてってやるよ! あんたの代わりに値切ってやるからね!」


 そう言って、女は自分の店を置いて歩き出した。


「おい、店はどうする」


「そこのおっさん! 代わりに肉を売っておくれ! すぐに帰るから!」


「わっはっは! 任せとけ! お前よりたくさん売ってやるわい」


 女が滅茶苦茶なことを言って行ったと思ったら、店を任された男も笑って応えた。


 信じられない会話だったが、気が付いたら俺はこの街を少し気に入っていたのだから不思議なものだ。


 そして、服屋に着いても女の勢いは止まることを知らず、友達という店主の女に値段交渉を始めていた。


 まだ服を選んでもいないのに、あっという間に服の値段は三割引に決まっている程だ。


「エメラ、とりあえず好みの服を選べ」


 俺がそう言うと、エメラは瞬きをして動きを止めた。


「あら、その子の服を買うのかい? 妹……には見えないけどね」


 女は友達の店主と一緒に不思議そうに小首を傾げている。


 エメラは自分に目が向いていることに緊張しながらも、何とか口を開く。


「あ、あの、私は飢えて死ぬ所をヤマトさんに助けてもらって……い、今は剣闘士見習いをしています……!」


 エメラがそう説明すると、女は目を細めて俺を見た。


「あ、マットってそういう趣味だったのかい……」


「違うぞ。俺の弟子にしただけだ」


「なら何で服を買ってやるんだね。剣闘士の見習いなんてのは一番ボロを着るもんだろ?」


 そう言われ、俺はエメラを見下ろした。女の台詞に肩を寄せて身を小さくしているエメラの頭を撫で、俺は女に視線を移す。


「こいつは俺が強くする。だが、剣闘士見習いでも女だ。せめてそれなりの格好をさせてやらないと可哀想だろう」


 俺がそう言うと、女は感嘆の息を吐いて俺を見上げる。


「はぁ〜……マットって実は良い所のお坊ちゃんだったのかい? いや、深くは聞かないけどね。そんな博愛精神を持ってるのは神父様か苦労を知らない貴族様程度だろうさ。まぁ、大半の神父様も貴族様も孤児なんて相手にしないけどね」


 女がそう言うと、店主の女が何か服を見繕って持ってきた。


「こういうのはどう?」


 女が持ってきたのは白い布の服だった。シンプルなワンピースや、半袖のシャツなどである。かなりのゆとりを持ったズボンなどもあるようだが、痩せたエメラではサイズが合わないかもしれない。


「その服にしてみるか」


 俺がワンピースを指差してエメラに聞くと、エメラは服と俺を交互に見ながら動揺していた。


「……とりあえず、着せてみて良いか? ちゃんと毎日身体は洗っている」


 俺がそう言うと、店主の女は一瞬エメラに目を向けたが、すぐに頷いた。


 店主の女に連れられて奥に行くエメラを見送り、俺は女に向き直る。


「そういえば、靴も欲しいな」


「ああ、良い靴屋があるよ! そっちも連れて行くよ」


「いや、値段によっては買えないが……いくらくらいだ?」


 俺が尋ねると、意外にも革の靴は安いらしい。


 何も言えないエメラに白いワンピースと革の靴、そして自分用にも革の靴を買って銅貨九枚で済んだ。


 帰り道。すっかり女の子らしくなったエメラと闘技場を目指して歩いていると、エメラが俺の服の裾を掴んで俯いた。


「……こんなに、幸せで良いのでしょうか」


 エメラが涙声で口にした台詞に、俺は浅く顎を引く。


「エメラの兄さんは、優しかったのだろう?」


「は、はい」


「なら、エメラの兄さんは、エメラの幸せを一番に願っている。もっともっと幸せになれ」


 俺がそう言うと、エメラは堪え切れずに声を上げて泣き出してしまった。


 闘技場の前で、多くの観客がごった返す中、俺は途方に暮れてエメラの頭をただ撫で続けた。

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