第8話

 この世界には魔物という動物がいる。


 魔力が高く、普通の動物とは身体能力が違ったりするらしいが、そこは良く分からない。


 ただ、外で獣を狩ってくる係になった剣闘士が時折ゴブリンやスライムを倒して素材を売ってきた、なんて話をしていた。


 剣闘士団が興行するような大きな街と街を結ぶ街道は、通称『王都への道』などとも呼ばれている。その為良く整備されており、騎士団などが通る際に魔物なども大概狩られるので遭遇することは少ない。


 なので、俺はゴブリンと言われても今一つピンとこないでいた。


「危機感が足りねぇ」


 クレイドルにそう言われた時も、俺は重々しく頷くことしか出来なかった。


「すまん」


 俺がそう言うと、クレイドルは溜め息を吐いて剣を俺に見せた。


「剣ってのは、俺達の武器だ。俺たちにはまともな爪や牙も無いからな。剣みたいな武器を持って戦うしかない。だけどな、魔物ってのはその武器を使えたり、それに替わるモノを持ってたりする」


「サイのツノやらワニの牙みたいなもんか」


「サイってのは知らないが、まあ、似た様な感じか。そういう魔物もいるからな。ただ、そのワニはリザードマンといって、ワニが二足歩行しながら剣や盾も使う。勿論、噛まれたら終わりだ」


「……冗談だろう」


 クレイドルの説明に俺がそう言うと、クレイドルは無表情で俺を見ていた。


「冗談なわけあるか。言うことを聞かない犯罪奴隷やら魔物との戦いを組まされたり、悪徳興行師やらが剣闘士を騙して裏の試合で組ませたりするんだよ。その場合はただの殺人ショーになることが殆どだからな。普通はこんな派手な興行じゃなくて、物好きを集めた目立たない闘技場でやる」


「じゃあ、何で今回はこの街でそんな試合を? 俺が了承したからと言って、残虐なショーは良くないのだろう?」


 俺がそう言うと、クレイドルは不機嫌そうに睨んできた。


「お前が自らやると言ったからだ。何とでも戦うなんて台詞は、もう試合を組めなくなった爺さんか余程不人気な剣闘士が最後に言う台詞だ。魔物と本気で戦う剣闘士は、観客に応援される。そうすりゃ人気が出る。勝てばもしかしたら第一線に返り咲ける」


 クレイドルの話を聞き、俺は何となく理解した。


 裏側でやってる残虐なショーとやらは、逃げ惑う剣闘士が魔物に殺される様子を眺めて楽しむのだろう。


 対して、俺がやるのはもっと健全な観客が観る、ちゃんとした戦いということか。


「ふむ、燃えてきた」


 俺がそう言うと、クレイドルは口を限界まで開けて俺を見た。唖然とした表情というのをこれだけ分かりやすく表現出来る人を初めて見た気がする。


 と、俺の隣に座っていたエメラが心配そうに俺を見上げ、俺の服の裾を引っ張った。


「……魔物は怖い、です。スプレクスさんに言って、止めてもらおう?」


 エメラはそう言って俯いた。


「駄目だ。約束だからな。せめて一度は魔物と戦わないと嘘になる」


 俺がそう言うと、エメラは肩を震わせて服の裾を掴む手に力を込める。


「……私はどうなっても良い。兄さんを弔ってもらって食べ物までもらったもの……もしも誰かがしないといけないなら、私が戦う」


 エメラはそう言って俺を見上げた。口を強く引き結び、強い目で俺を見つめている。


 俺はエメラの決死の覚悟に笑みを浮かべ、頭を撫でた。


「大丈夫だ。お前が観てくれるなら、俺は必ず勝つ」


 俺がそう言うと、エメラは涙を溢れさせて俺に抱き付いてきた。


 こんな小さな子が、俺の為に命懸けで応援してくれるなら、俺は何とでも戦ってみせよう。


 最高の観客だ。


 俺がそう思って微笑んでいると、クレイドルは呆れたように笑った。


「……ゴブリンは、人間みたいに連携して攻撃してくる。囲まれないように常に気を張っていれば、お前なら何とかなる。動き回れ」


 クレイドルにそんな助言をもらい、俺は深く頷いた。


「任せろ」





 隙間から光が差す扉が開かれ、目の前に剣闘士としての戦場が広がった。


 歓声もいつもと違う。


 今観客が観ているのは、無謀にも魔物と戦うという蛮勇を振りかざす挑戦者なのだろう。応援する声の中に、時折嘲笑のような笑い声も混じっている。


 俺が舞台の中央に立つと、それを合図に反対側の扉が開かれた。


 現れたのは、浅黒い茶色の肌をした背の低い人型の魔物。身長は百四十から百五十くらいだろう。足は短いが手は不自然に長く、頭が赤ん坊のように大きい。


 ギョロリとした丸い目玉と、口から覗く複数の鋭い牙が、まるで小鬼のようにも見える。


 耳に残るギィギィという声を発しながら、三体のゴブリンが俺に向かって走ってきた。


 身体には腰に巻いた毛皮程度だが、手には錆びてボロボロになったショートソードと木の盾が握られている。


 俺が剣と盾を構えてゴブリンを睨むと、ゴブリンは合図も無しに、後方の二体が左右に別れた。


 俺を取り囲むように走るゴブリンに、事前情報を得ていたのに若干の驚きを覚えた。


 知性など見えない風貌だが、やはり武器を扱えるだけはあるということか。


 俺は後ろに下がりながら左右に別れたゴブリン達を目で確認した。


 意外とゴブリンの動きは素早い。


 真っ直ぐ向かってきているゴブリンはもう目の前まで迫って来ていた。


 奇声を発し、ゴブリンが俺の腹部を目指して剣を振ってくる。


 盾で受けて、反対に剣をゴブリンに向かって振り下ろす。


「ギャア」


 ゴブリンは盾で受けようとしたが、俺の剣の威力に耐えられずに地面に倒れた。


 それほど力が強いわけでは無いらしい。


 だが、その間にもう二体のゴブリンが俺の左右から迫って来ている。


「ふっ!」


 俺は鋭く息を吐き、倒れたゴブリンの頭を踏んで前に跳んだ。


 剣が地面に刺さる音と、ゴブリンの声が後ろで聞こえる。振り返ると二体のゴブリンが並んでこちらを見ていた。


 俺は二体が走り出す前に動き、二体の姿が重なり合うように左から回り込んだ。


 奥のゴブリンは手前のゴブリンの影から出ようと動き、手前のゴブリンは真っ直ぐに俺に向かって来ている。


 これで、二対一では無く、一対一を二回戦だ。


「せあ!」


 俺は接近してくるゴブリンの剣を狙って攻撃し、ゴブリンの態勢を崩した。


 一瞬の硬直により無防備になったゴブリンに、思い切り蹴りを突き出す。


 見た目通り人よりも軽いゴブリンは勢い良く吹き飛び、奥にいたゴブリンを巻き込んで地面を転がった。


 剣を油断なく構えるが、ゴブリンは起き上がって来なかった。


 僅かな攻防だったがあっさりとゴブリンを倒した俺に、今度は混じり気無しの盛大な歓声が沸き起こった。


 中には俺の名を呼ぶ声もある。


 歓声に応えて待機場に戻ろうと踵を返すと、呆れた顔で笑うクレイドルと、痛そうなほど必死に拍手をしているエメラの姿があった。

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