第30話

 ベアハグ剣闘士団の引き抜き工作は王都内で大きな噂になったらしく、次の日の朝には血相を変えたスプレクスが俺の所へ走ってきた。


「マァーットッ!? 勧誘されたのか!? 断ったよな? あのクソ野郎、俺が育てたマットを!!」


「断ったが、別にお前に育てられた覚えもないぞ、スプレクス」


「うちの剣闘士団で生活してパンを一個でも食ったら俺が育てたことになるんだよ!」


「無茶苦茶だ」


「あ! そういやぁ、馬鹿みたいに服を買いやがって! なんだ、あの量は!?」


「殆どエメラの服だ」


「なら良い! 変な服買ってないだろうな!?」


「お前はエメラの祖父か、スプレクス」


 興奮したスプレクスは終始その調子でギャアギャアと騒ぎ、試合の準備の為に去っていく。


「何なんだ」


「ふふ。面白いですよね、スプレクスさん。本当にお爺ちゃんだったらなぁ」


「やめとけ。煩すぎて鼓膜が破裂する」


 正気を疑うようなことを口走ったエメラにそう助言すると、エメラは声を出して笑っていた。


 それからも特訓の間に休みの時間をしっかりと取り、俺だけじゃなくスプレクス剣闘士団全体としても、気持ちを作る上で充実した日を過ごす事が出来た。


 二十日の第八戦、シュミット剣闘士団との試合。こちらは俺以外の剣闘士も実力を発揮したが、地力の違いから惜敗が続き、二勝三敗で負けた。


 そして、最終日。


 その日は朝からスプレクスの形相が凄かった。昨夜は眠れなかったのか、半眼で白目には血管が浮いている。


「俺達にとっちゃあ、これが最後の大一番だ! 運が良いことに最後の相手が前回の覇者、ペンデュラム剣闘士団だぞ! 思い切りやって意地でも勝て! 勝てば間違いなく名前が売れる!」


 スプレクスがそう檄を飛ばすと、剣闘士の中にはスプレクスと同じように血走った目をした者が多かった。


 やる気だけは十分なようだ。


 だが、ペンデュラム剣闘士団は前回の覇者という冠に恥じない、最強の剣闘士団である。今回も今の所負けは無く、全て勝ち越している。


 特に、メインで出てくる看板剣闘士の実力は圧倒的であり、その剣闘士がラストに控えているということがペンデュラム剣闘士団の士気を上げ、対戦相手の剣闘士団に威圧となっているらしい。


 今最も最強の剣闘士として名が上がる剣闘士、レイン。


 剣と盾を使うオーソドックスな戦い方だが、昨年は頭一つ分以上大きいバーディクトに圧勝し、最強の座についた。


 そのレインがいるからかもしれないが、ペンデュラム剣闘士団の剣闘士達は剣と盾を使う正統な剣闘士が多く、実力の平均値が高いとのこと。


 今回初参戦のスプレクス剣闘士団の剣闘士達が気負うのも仕方がないといえる。


 だが、それでもスプレクス剣闘士団は善戦した。


 一人は剣闘士としての戦い方に拘り惨敗したが、残りの三人は何が何でも勝ちたいとの想いが勝ち、良い勝負を繰り広げて観客を沸かせることに成功する。


 ペンデュラム剣闘士団とそれだけ熱戦を繰り広げただけでも大金星だとスプレクスは笑っていたが、結果は今の所一勝のみ。


 しかも、ペンデュラム剣闘士団は紳士的にも相手を倒したら立ち上がるまで待つか、剣を突きつけてギブアップを待つという勝ち方である。


 善戦はしたし、観客を沸かせることは出来たが、ペンデュラム剣闘士団を必死にさせることは出来なかった。


「マット! 流石はペンデュラム剣闘士団だな! 胸を借りてこい!」


 スプレクスは剣闘士団の名が売れたことを喜んでいるが、俺は違う。


 どうせなら、この剣闘祭にスプレクス剣闘士団の名をハッキリと刻み付けてやろう。


「ああ、勝ってくるぞ」


 俺がそう言うと、スプレクスは冗談だと思って呵々大笑し、俺の背中をバシバシと叩いた。


「その意気だ、その意気!」


 スプレクスが馬鹿笑いする中、エメラだけはきらきらと輝く瞳を俺に向けていた。


「ヤマトさんなら、絶対に勝てます! 頑張ってください!」


 俺はエメラに微笑み、頭を軽く撫でる。


「ああ。圧勝だ。最強だからな、俺は」


 俺がそう言うと、エメラは花が咲いたような満面の笑顔で頷いた。


「はい! ヤマトさんが最強です!」


 エメラのそんな言葉に送り出され、俺は舞台へと続く木の扉に手を置く。


 普段の闘技場の木の板切れのような扉と比べると、遥かに頑丈で重苦しい圧迫感のある扉だ。


 だが、今はその扉がまるで普段の闘技場の板切れのように軽く感じる。


 程良い緊張感と高揚だ。


 今なら、誰だろうと負ける気がしない。


 俺には勝利の女神がついているのだから。





 予選の最後。はっきり言ってどの剣闘士団が最終戦に残るのかは決定している。


 だが、それでも予選最後の大一番はうるさいほどの大歓声が鳴り響いていた。


 左右から響く、レインとマットのコール合戦。そういえば、レインは雷帝と呼ばれているらしいから、暴君と雷帝の覇権争いとか言われてるのかもしれないな。


 俺がそんなことを考えながら両手を挙げて歓声に応えていると、闘技場に響く打楽器の音のテンポが変わった。


 一定感覚で鳴っていた打楽器が、徐々に速度を落としていく。


 打楽器の音と音の間隔が伸びていくと、その分観客の歓声も静かになっていく。


 そして、やがて大歓声に包まれていた闘技場に嘘のような静寂が訪れた。


 闘技場にいる全ての人が一言も発さない中、ついに扉が開かれ、自然と皆がそちらへ目を向ける。


 一際大きな打楽器の音が一度、闘技場内に響いた。


 それと同時に暗い通路の奥から、人影が姿を現わす。


 獅子のように立てた見事な金髪を揺らし、鋭く尖る深い茶色の瞳が光った。黒い、極めて軽装の鎧の上から暗い赤色のマントを羽織っている。手には銀色に輝くロングソードと縦に長い盾を持っていた。


 レインは胸を張り、ゆっくりと舞台の中心へと歩いてくる。


 威風堂々。


 その言葉が形になったような、力強い立ち姿だ。観客だけでは無く、俺まで雰囲気に呑まれるようにレインの姿を見つめていた。


 雰囲気がある。目を逸らすことなど出来ないような、どうしようもない程の存在感だ。


 舞台の中心に近づいたレインは俺の前、二十メートルほどの場所に立ち、歩みを止めた。


 油断など微塵も無い目で俺を見据え、両手を勢い良く広げる。


 それに呼応するかのように打楽器の音が鳴り響き、レインのマントが地面に落ちた。


 観客の歓声で闘技場が揺れる。


 これが、剣闘士最強の男か。


 俺は口の端を上げて、口を開いた。


「……そこそこ強そうだ」

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