第23話


 朝、俺とエメラが宿を出ると、外で苛々しながら周りを見るスプレクスの姿があった。


「どうした?」


 俺が尋ねると、スプレクスは凄い形相で俺を振り返った。


「おい、マット! お前はスプレクス剣闘士団として剣闘祭に出るんだぞ!? あの王子様もスプレクス剣闘士団の暴君マットとして覚えてんだからな!?」


「なんだ、いきなり」


 スプレクスの台詞と剣幕に俺が眉根を寄せると、スプレクスは鼻息も荒く辺りを睨むように見て、口を開いた。


「クレイドルの馬鹿が引き抜かれた。引き抜いたのはベアハグ剣闘士団だ。もう何年も連続で剣闘祭に出てる強豪の剣闘士団だが、あそこは毎年他の剣闘士団の看板剣闘士を強奪しやがるから嫌われてるんだ」


 スプレクスはそう言って舌打ちをする。


「おい、クレイドルは奴隷契約があるだろう? どうして勝手に剣闘士団を抜けたり出来るんだ?」


 俺がそう言うと、スプレクスは俺を睨み上げながら鼻を鳴らす。


「クレイドルは今年の頭には自分で自分を買い取って自由の身となってたんだよ。元々敗戦国の兵士だっただけの戦争捕虜だ。大した額の奴隷じゃないんだよ」


 スプレクスは忌々しそうにそう言うと、地団駄を踏むように地面を踏みつけた。


 スプレクス剣闘士団の看板として毎回メインを張っていたクレイドルは、実はかなりの稼ぎだったらしい。その為、僅か五年程度で自由の身になったとのこと。


 ただ、主人が奴隷を違法に働かせ続けたりしないように、奴隷契約の時に決めた金額さえ用意し、それを主人に渡してしまえば強制的に奴隷契約は解除されるようである。ちなみに、契約解除は翌日になっており、奴隷じゃなくなった次の日に奴隷商人や剣闘士団の団長が死んだりした場合はその元奴隷が第一容疑者となる。


「……クレイドルさん、もう会えないんですか?」


 エメラが心配そうに俺を見上げてそう呟き、俺は自分の顎を触る。


 俺も良くタッグを組んでいた相手と仲違いしたりタッグを復活させたりしていたが、それとは少し違うことだろうか。


 まぁ、プロレスから総合格闘技の世界に転向する者もいるが、会えないわけじゃない。


 今回のことは違う剣闘士団に移籍しただけなのだから、また会ったり酒を飲んだりするくらい出来るだろう。


 そう思い、俺はエメラの頭を撫でた。


「大丈夫だ。また必ず会えるぞ」


 俺がそう言うと、ホッと安心したエメラの前で、スプレクスが吐き捨てるように文句を言った。


「そりゃ会えるだろうさ! 敵としてな!」


 スプレクスはエメラを再度不安にさせて去って行く。最悪な奴だ。


 それからというもの、やはりクレイドルの姿は無く、俺達は剣闘祭に向けての特訓に精を出していた。


 スプレクスが、敵にクレイドルがいるならこちらの戦法や試合に出るメンバーが筒抜けだからと言って、新たな戦法の伝授を急がせた。


 俺は何故か自分の特訓よりも他の剣闘士達の練習に付き合うことばかりになってしまい、一緒に訓練しているエメラのことは医療士見習いのアンクルに頼んだ。


 エメラが一度連れ去られたことを知っている剣闘士団の皆の協力で、俺は全力で皆のバックアップに回ることが出来た。


 半月と少し。


 短い間だったが、全員間違い無く強くなった筈だ。剣闘祭ではスプレクス剣闘士団が台風の目になることだろう。





 そして、後三日後には剣闘祭という日の夜に、俺達の下を見知った顔が訪れた。


 クレイドルだ。


 クレイドルは明るい雰囲気で顔を見せると、驚くエメラの頭を軽く撫でて俺を見る。


「久しぶりだな」


 クレイドルはそう切り出し、俺の前に酒の入った瓶を一本置いた。中々高価そうな酒だ。


「どうしたんだ、これは?」


 俺がそう聞くと、クレイドルは吹き出すように笑う。


「酒のことかよ。もっと他に聞くこともあるだろうが」


 そう言って笑うクレイドルに、俺は少しホッとして浅く息を吐いた。


 どうやら、俺もクレイドルと今まで通りに会えなくなるんじゃないかと内心不安だったようだ。


「ああ、他の剣闘士団に入ったことか。だが、別に会えなくなるわけじゃ無いだろう? また一緒に飯でも行こう」


 俺がそう言うと、クレイドルは笑いながら俺を見た。


「そう言ってくれると助かるよ。スプレクスはどうでも良いが、お前のことは気になってたんだ。ああ、エメラもだぞ?」


「はい!」


 クレイドルの台詞にエメラが嬉しそうに返事をした。


 それを眺めた後、クレイドルは酒を指差して口を開く。


「それは、お前へのお祝いだ。剣闘祭出場おめでとう。それも大一番が約束されるなんざ、超人気剣闘士くらいの快挙だぞ」


「ありがとう。そういうことなら有り難く戴こう」


 俺がそう言うと、クレイドルは笑いながら頷いた。


「ああ、良い酒だからな。どんどん呑んでくれ。剣闘士ってのはいつ死ぬか分からないからな。早い方が良い」


 クレイドルにそう言われ、俺はなんと無く酒の瓶を手に持ち、瓶を眺める。


 そして、それを脇に置いた。


「……いや、せっかくお前がくれたんだ。この酒は、剣闘祭が終わってから呑むことにしよう。勝利の美酒になるか、敗者のやけ酒になるかは知らんがな」


 俺がそう言って笑うと、クレイドルは一瞬表情を曇らせ、すぐにまた微笑を浮かべた。


「……そうか。じゃあ、剣闘祭でな。大一番で当たっても、負けてやらないからな?」


「ああ、どんと来い。全力のクレイドルと戦ってみたかったからな。嬉しいくらいだよ」


 俺はそう言ってから、ふと疑問を持った。


「ん? クレイドルは引き抜かれたって言っても、そっちの剣闘士団じゃ新人だろう? 強豪の剣闘士団と聞くし、大一番に出る剣闘士はもういるんじゃないか?」


 俺がそう尋ねると、クレイドルは口の端を上げる。


「そんなもん、一週間で全員ぶっ倒したよ。俺が一番強いってことを認めさせたからな。大一番は俺が出る」


「ほう! さすがはクレイドルだな」


 俺達はそんな会話をして、また別れた。


 剣闘祭が更に楽しみになったことは言うまでも無い。


 ちなみに、次の日にスプレクスにそのことを言うと、クレイドルはスプレクスのところには顔を出さなかったらしく、大層お怒りになっていた。

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