第22話
暫く待っていると、クレイドルを連れたスプレクスがこちらへ戻って来た。
その顔は何とも微妙な表情を貼り付けており、剣闘祭出場の如何は顔からは伺えなかった。
「おい、マット。付いて来い」
そう言われて、俺は思わずエメラと顔を見合わせる。何故かエメラは目を輝かせて俺を見上げているが、いったい何を想像したのか。
「おら、早く来い!」
と、顔を見合わせていた俺とエメラにスプレクスがそう怒鳴り、闘技場の入り口へと歩き出した。
渋々スプレクスの後を追って行くと、クレイドルがこちらをジッと見ていることに気がつく。
「何故俺が呼ばれたんだ?」
「知らんよ」
俺が尋ねると、クレイドルは素っ気なくそう言ってスプレクスの後を追って歩き出す。
その背中を見て、俺とエメラは揃って首を傾げた。
闘技場の中に入ると、様々な剣闘士達を模した石像が並んでいた。そして、奥に行くと今度は実物に近い大きさの胸像の列が並び出す。
それらの像にはそれぞれ年数と名前が彫られているようだった。
俺がそれに目を向けながら通路を歩いていると、スプレクスが俺の視線に気が付いて口を開く。
「それは歴代の剣闘祭の最後の大一番を飾った剣闘士達だ。左右で一対。名前の横に丸が刻まれてるのは勝った奴だな」
そう言って、スプレクスはまた前に顔を向ける。随分と詳しいが、もしかしてスプレクスの胸像もこの列にあるのだろうか。
そんなことを思ったが、もし無かったら何とも言えない空気になるだろうと思い、口を噤んだ。
無言のまま通路を更に進むと、奥に人だかりが出来ていることに気が付く。
その人だかりの奥には見るからに正規の騎士といった、小綺麗な鎧に身を包む兵士達の姿があった。
そして、その兵士達の真ん中には金と銀の色に輝く鎧を着た、黒のマントの男が立っている。髪は銀色に近い白で、少し垂れ気味の目をしていた。歳は二十代後半くらいだろう。
その男は人垣の向こうから器用にスプレクスを見つけると、軽やかに人と人の隙間を縫ってこちらへ来た。周りの剣闘士が慌ててその男を避けているところを見ると、どうやらかなり上の地位にいる者なのだろう。
その男が近付いてくるのを見て、スプレクスは片膝をついて跪く。
「お、遅くなりました、トルベジーノ王子殿下!」
スプレクスがそう言うと、トルベジーノ王子と呼ばれた男は俺に目を向けて口を開いた。
「この強そうな男が噂の暴君かい?」
俺の顔や身体をジロジロと見ながらトルベジーノがそう尋ねると、スプレクスは跪いたまま頷いた。
「は、ははぁ! こやつめが暴君マットでございます!」
スプレクスがそう言うと、トルベジーノは面白い物を見つけたと言わんばかりに口の端を上げる。
「我が王を差し置いて暴君を名乗るとは、中々の肝の太さ」
トルベジーノにそう言われ、俺は一応その場で跪いて口を開く。
「俺が名乗ってるわけじゃありませんが、気がつけばそう呼ばれていました」
俺がそう言うと、トルベジーノは鷹揚に頷いた。
「そう。気が付いたら、民が君をそう呼ぶ……つまり、それほどに強いと皆が思ったわけだ」
トルベジーノはそう呟くと、マントを翻して俺たちに背を向けた。
「実に面白い! スプレクス剣闘士団は二つの街から既に候補として名が上がっている。その暴君を必ず大一番に使えよ? 王に伝えておくからな」
トルベジーノはそう言って、笑い声を響かせながら通路の奥へと消えた。
残されたのは唖然としたスプレクスや俺、エメラといった剣闘士団の者達だ。そんな中、クレイドルだけは目を鋭く細め、トルベジーノの消えた通路の奥を睨んでいた。
「……おい、剣闘祭に参加しろってよ」
スプレクスが呆然とした様子でそう口にした。
「ああ、そうだな。良かったじゃないか」
俺がそう答えると、スプレクスは緩慢な動きで立ち上がる。
「馬鹿野郎……は、早く準備しねぇと……おお、忙しくなったぞ、おい」
心ここに在らずといった様子のスプレクスは、そんなことを呟きながら闘技場の出口へと歩き出した。
あまりの展開に脳がフリーズしているのかもしれない。
「だ、大丈夫?」
エメラがスプレクスの背中を指差しながら、まるで痴呆の老人の心配をするようにそう言った。
「多分な。いずれ正気に戻るだろう……ん? どうした、クレイドル」
俺がエメラの問いかけに答えて闘技場を出ようとすると、クレイドルが付いて来ていないことに気が付いた。
俺が名を呼ぶと、クレイドルは顔を上げて返事をする。
「あ、ああ。すぐ行く」
慌てて走り寄ってくるクレイドルに、俺は少し違和感を感じた。
その夜、正気に戻ったスプレクスが大盤振る舞いをして小さな酒場を貸し切った宴が開かれた。
大喜びで酒をあおるスプレクスに当てられたのか、他の剣闘士達も陽気に笑いながら喜びを分かち合っている。
「呑め呑め! 明日から剣闘祭に向けて練習だ! 俺たちは王子様から期待される剣闘士団だぞ!? 無様な姿は見せるなよ、お前ら!」
スプレクスのそんな怒鳴り声に、剣闘士達が野太い声で歓声を返す。
うるさくて、粗野で、笑い声まで品が無い。何処ぞの山賊か海賊の集まりかと思われそうな惨状だ。
だが、居心地は良い。
俺が大騒ぎする剣闘士達を眺めて薄い味の酒を呑んでいると、エメラがニコニコと笑っていた。
「良いですね。私、こんなに幸せになれると思いませんでした。ずっと、こんな日が続いたらなぁ……」
エメラは嬉しそうに、少しだけ寂しそうに、そんなことを呟く。
俺は感傷的になってしまったエメラに掛ける言葉が見つからず、代わりにそっと頭に手を置いて柔らかな髪を撫でた。
目を瞑って静かに座るエメラを眺めながら、俺は物思いに耽る。
俺のイメージから外れた王子のトルベジーノの妙な雰囲気と言葉も気になったが、クレイドルの態度も気になった。
この宴に、クレイドルは参加もしなかったのだ。
何か思いつめているようだったし、明日には元気になっていると嬉しいが。
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