第6話

 闘技場に戻ると、クレイドルはいなかった。タイミング的にもうすぐクレイドルの試合の時間だからだろう。


 俺はエメラを連れて闘技場の待機場へと移動する。今日はもう残りの試合は一、二試合しか無い為、他の剣闘士の姿は見当たらない。


 出来たらクレイドルの口添えが欲しいので、俺はクレイドルの試合が終わるのを待つ事にした。


 はっきり言って、クレイドルの試合を観に行こうとは思わない。


 何故なら、クレイドルが強過ぎるからだ。


 剣闘士の試合は賭け事に使われる為、強過ぎる剣闘士は段々とカードを組まれなくなってしまう。その為、クレイドルはわざと手加減をして戦っているのだ。


 ゆとりがあるから怪我をしないし、余力が残せるから二日に一回戦うことが出来る。


 それが、クレイドルが高い知名度を得てトップの剣闘士に名を連ねることになった理由である。


 戦う回数が多く、ファンがついた剣闘士は稼ぎ頭として人気になる。人気になれば賭ける客も増え、一番良いメインのカードを組まれることになるのだ。


 そういう事情を知っている俺は、クレイドルならばと思い、特に心配することも無い。


 俺は壁際に死んでしまった子供の遺体を寝かせ、エメラに近くに座るように言った。


 十歳前後に見えるエメラだったが、随分と聞き分けが良い子のようだ。肉を食べてからは大人しく付いてきて、この場に居ても静かに遺体の横に膝を抱いて座っている。


 なんと声を掛けたら良いのか分からずにいると、結局クレイドルが帰ってくるまで沈黙を貫いてしまった。


「いやぁ、やっぱクレイドルが王都の剣闘祭でウチの看板だな。間違いない!」


 上機嫌なスプレクスの声が聞こえ、クレイドルの笑い声が聞こえてきた。


 スプレクスが通り過ぎていき、次に来たクレイドルが俺に気がつく。


「おお、マト! もう帰って来たのか? 真面目な……ん?」


 クレイドルは明るい雰囲気で俺の方へ歩いてきて、エメラに気が付いて立ち止まった。


 そして、不思議そうな顔で俺を見る。


「お前……女買ってくるにしても中々特殊な趣味だな……ちょっと小さ過ぎないか?」


「違う」


 クレイドルの勘違いを正そうと俺が否定の言葉を口にすると、クレイドルの後ろからスプレクスが顔を出した。


「おい、銀貨をやったんだからもっと良い女買ってこいよ。ガリガリじゃねぇか。銀貨だったら顔よりデカい乳した女も買えるんだぞ?」


「買ってない」


 何故か不満そうなスプレクスに俺が否定の言葉を発すると、スプレクスは何かに気が付いたように眉を顰めた。


「あ! お前、銀貨程度じゃ足りないって嫌味か!? なんて奴だ、新人の分際で!」


 スプレクスが文句を言う中、クレイドルが死んだ子供の遺体に気が付き、表情を変えた。


「……何があった?」


 クレイドルにそう聞かれ、俺はクレイドルに向き直った。エメラは俺の側でクレイドルを見上げている。


「飢えて死んだ子供だ。こっちはその兄弟のエメラという。剣闘士の見習いにしようと思い、連れて来た」


 俺がそう言うと、クレイドルは目を丸くし、スプレクスは顔を痙攣らせた。


「おい、弟子を連れて来たのか? マジかよ、マト」


「新人が何で弟子見つけてきてんだよ。それどころかウチの団に入って初めての外出じゃねぇか。どんだけ気楽に弟子とって来てんだ、おい」


 二人にそう言われ、俺は首を傾げる。


「弟子? いや、そんなつもりじゃないが」


 俺がそう言うと、スプレクスは渋い顔で俺を見据えた。


「普通な、新人は興行師が捕まえたり買ったりしてくんだよ。そんで、一端の剣闘士とかが自分で素質がありそうな奴を引っ張ってくることはあるわな。でもな、そんなことが出来るのは相当なベテランかトップクラスの実力者だけだよ。何でデビューした新人がその日に弟子を連れてくるんだって話だ」


 スプレクスにそう言われて俺がエメラに視線を落とすと、エメラは俺を見上げていた。


 俺はエメラの頭を軽く撫でて、スプレクスに目を向ける。


「……こいつに掛かる生活費は俺が稼ぐ。どんな相手と組ませてもらっても良い。ああ、銅貨八枚は余ったから、それも返す」


 俺がそう言ってスプレクスを睨むと、一転、スプレクスは面白そうな顔を浮かべて俺を見た。


「……ほう? 今の言葉は嘘じゃないな? それなら、そんなガキ一人くらい問題無いわ」


 スプレクスがそう言うと、クレイドルが眉根を寄せた。


「お、おいおい。今の台詞は撤回しろ。今回はお上品な組み合わせしか無いが、馬鹿みたいな組み合わせだってあるんだぞ? お前は二年もすれば確実に上に上がれるんだ。死ななくても手足を失うことはありえる。子供一人で人生を棒に振ることになりかねないぞ」


 クレイドルは神妙な顔でそう言って来たが、俺は首を左右に振る。


「二言は無い」


 俺がそう言うと、クレイドルは険しい顔でエメラを見下ろした。


 スプレクスは俺の発言を撤回させたくないのか、そんなクレイドルを宥めながら一歩前に出る。


「よし! 男だな、お前は! じゃあ、その子供の服やら食い物は俺が用意してやる。興行で忙しいから面倒はお前が見ろよ? 他には何かあるか?」


「この子の兄の遺体を埋葬してやってくれ」


「おぉ、今回はまだ死人が出てないからな。しっかりとやってやらぁ! おい、誰かいるか!」


 俺の要求を聞いたスプレクスはそう言って笑うと、大股で歩いて行った。


 クレイドルはその後ろ姿を睨むように見据え、俺に視線を移した。


「……まだ今なら俺が何とかしてやるぞ。その子供に金をやって兄貴を埋葬してやるだけじゃ駄目なのか?」


 クレイドルにそう聞かれ、俺は静かに首を振った。


「……駄目だ。多分、こいつはその後命を落とす」


 俺がそう言うと、クレイドルは大きな溜め息を吐いて俺を睨んだ。


「わかった。好きなようにしろよ」


 クレイドルはそう言って俺に背を向けて去って行った。


 エメラは何も言わずに、ただ俺の服の端を強く握りしめていた。





 その日の夜。


 街の外で丸太のような木を四つ並べ、草を敷いた台の上にエメラの兄の遺体が横に置かれた。


 祈りを捧げ、剣闘士の仲間達が周りを囲み、遺体を燃やす。


 前の街でもあったが、剣闘士団というのは良く人が死ぬ為、自分達で死者を弔う。


 剣闘士になる者は大概が訳有りであり、不遇な人生を送った者が多い。


 だから、貴族のように棺に入れて土に還らせるのでは無く、焼いて空へと送る。


 そうすれば、良い世界へ旅立てるとのことらしい。


 残った骨や肉片には魂は残っていないので、その場に埋めて終わりらしいが。


 夜の闇の中、大きく燃え盛る火を囲い、屈強な剣闘士達が野太い声で祈りを捧げる。


 その声は、何処か哀愁のある歌のようにも聞こえた。


 エメラは泣きながらも、燃える兄の遺体を見つめ続けていた。


 俺も死ねば、このようになるのだろう。


 何となく、そう思った。

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