第4話

街を歩く

 試合が終わった俺は大喜びのスプレクスに労われた。


「いや、本当に良くやった! ほら、少ないがこれで遊んで来い! ああ、契約印があるから街からは出られないからな。間違っても出るなよ」


 スプレクスはそう言って俺に銀貨を一枚渡すと、次の試合を見に戻っていった。


 それを見て、クレイドルが笑いながら俺の隣に来た。


「おお、あのケチなスプレクスが奮発したな。それなら美味い飯も食えるぞ」


 クレイドルはそう言うと、試合の準備の為に闘技場の奥に向かった。


 クレイドルの背を見送り、俺は五百円玉ほどの大きさの四角い銀貨をぼんやりと眺める。


 鉄貨が一番安い貨幣で、次が鉄貨十枚分の価値がある銅貨、その次が銅貨十枚分の価値がある銀貨である。金貨は更にその十倍だ。


 俺のような新人の剣闘士が試合をして稼げるのは鉄貨数枚。


 つまり、銀貨一枚を普通に稼ぐなら数十試合をこなさなければならないのだ。確かに大盤振る舞いだろう。


 ちなみに、ちゃんとした仕事についている者だと月に金貨二枚前後貰えるらしい。


 それから考えたら駆け出しの剣闘士は全く儲からない。まぁ、剣闘士団が衣食住をみてくれるので問題は無いが。


 俺は銀貨を手に、街へとつま先を向けることにした。


 もし金貨一枚が十万円ほどの価値だとすると、銀貨一枚は一万円近くになるのだ。


 初めての外食が出来るかもしれない。


 俺がそう思って闘技場から出ると、観客の出入りをチェックしている剣闘士の男の一人と目があった。


「おう、マト! 勝ったってな! すげぇじゃねぇか!」


「うむ。意外と何とかなったな」


 俺がそう答えると、男は嬉しそうに笑いながら反対側に立つ剣闘士を指差した。


 あちらはドラスリの剣闘士団の剣闘士だ。こちらを見ないようにしているのか、淡々と観客の入場料を手にしている。


「俺も今日試合だったらバシッと決めたのにな! まぁ、明日頑張るとするか!」


 男はそう言って笑った。


 剣闘士は二日から三日に一回戦うように日程を組まれている。そして、怪我も無い元気な者は警備や入場者受付などもする。逆に怪我で試合が組めない者は選手の世話といった具合である。


 まぁ、その辺りは各剣闘士団ごとにルールが異なるようだが、うちではそうなっていた。


 俺は受付をしているその男に笑い返し、街へと繰り出した。


 改めて街を見て回ると、意外にも清潔で異国情緒も溢れる良い街並みである。


 色はあまりカラフルでは無いが、オープンテラスのようになった酒場もあるし、露店や屋台も出ている。人通りも多いので、俺は観光気分で街の中を歩いていた。


「お! そこの兄さん、剣闘士かい! 肉を食いな、肉を!」


 不意にそんな言葉が聞こえて振り返ると、恰幅の良い中年の女が俺を見て声を出していた。右手には串に刺さった肉を持っている。


 確かに、殆どの者が布の服を着込んでいる中、俺は毛皮を張り合わせたような服装である。分かりやすいことこの上無いだろう。


 ちなみに何故剣闘士がそんな服装なのかというと、戦える力がある者が多い剣闘士団ということもあり、剣闘士自ら獣を狩り、皮の服を作っているのだ。


 そんな一団は剣闘士団くらいである。


「いくらだ?」


 俺がそう尋ねると、女は朗らかに笑った。


「おや! 紳士だね、お兄さん! 肉一つ鉄貨一枚だよ!」


 女にそう言われ、俺は眉根を寄せる。


「銀貨しか持っていないのだが、釣りはあるか?」


 俺がそう言って銀貨を見せると、女はわざとらしく驚いて見せた。


「銀貨しかないって? 結構稼いでんだね! 今度闘技場に観に行くよ! ああ、お肉だったね! 十本買ってくれたらお釣りが少なくて良いんだけどねぇ」


 女はそう言ってこちらを見た。俺は笑いながら銀貨を手渡し、口を開く。


「十本くれ」


「あいよ! 太っ腹だね、剣闘士の兄さん!」


 女は喜んで肉を串のまま手渡し、釣りを布の袋に入れて渡してくれた。


「俺はマトだ。応援頼む」


 俺がそう言うと、女は喜んで銀貨を持って手を振った。


「マットだね! 沢山客を連れていくよ!」


 何故かヤマトという名前からどんどん離れていく。まぁ、貼り出された組み合わせ表の名前がマトなのだから仕方がないか。


 俺は苦笑しながらその場を後にした。


 上品とは言い難いが、串に刺さった肉を食べながら街を歩く。


 香ばしい匂いとほんのり甘い味付けだ。まぁまぁ美味い。


 ただ、剣闘士団の中で出される食事は塩を振った獣の肉がメインなので、多少なりとも違う味付けは嬉しい。


 しかし、本当ならサラダやフルーツを食べたい。出来たら酒も欲しい。


 俺はそんな気持ちで店を眺めながら歩いていた。


 と、店と店の間にある細い路地に小さな人影があった。


 良く見ると、ボロ布を纏った浮浪者のような様相の子供である。かなり痩せてしまっていて、髪も肌も薄汚れている。


 俺はそっと近づいていき、子供の側でしゃがんだ。


 薄く半目を開けたその子供は、もう死んでしまっていた。


「……餓死、か」


 俺はなんともやり切れない気持ちになりながら、肉を持っていない手でその子供の頭をひと撫でし、目を閉じさせる。


 と、その子供の奥で地面に落ちていた布切れが僅かに動くのが目についた。


 手を伸ばし、その布切れを持ち上げて見ると、そこには十歳程の痩せ細った子供が蹲っていた。


 生きている。


 生きているが、まともに動くことも出来ないようだ。


「……肉は、無理だな」


 俺はそう呟いて立ち上がり、辺りを見渡して歩き出した。


 子供の目は俺を見ていたが、焦点はあっていないようだった。急がねばならない。


 少し歩くと、飲み物や肉入りスープを売っている屋台を見つけた。


「水とそのスープをくれ」


「へい! 鉄貨三枚になりますぜ!」


 曲がりくねった髪の毛をした男に銅貨一枚を渡し、俺は水とスープを受け取る。


 肉の刺さった串もあるのでかなり持ちづらいが、落としては勿体無い。


 早足で先程の場所まで戻ると、地面に蹲っていた子供が目を閉じてしまっていた。


 まさか。


 そう思い、俺は急いで子供の前にスープを置いた。


「温かいスープだ。飲めるか?」


 俺がそう言うと、子供は目を開け、俺を見上げた。


 そして、死に掛かっているとは思えない速さでスープの入った木の器を掴み、こちらに背を向けてスープを飲み出した。


 その時、子供の背中がこちらに向いたが、肩に掛かった布切れの隙間から覗く骨の浮いた身体に、俺は胸が痛むような切なさを覚えた。


 息継ぎも無しにスープを飲んだその子供は、恐る恐るこちらを振り返って俺の様子を窺う。その目は、怒られるのを恐れる子供そのものだった。


「ほら、水もあるぞ」


 怒らないと言っても信じないだろう。そう思った俺は許容の言葉の代わりに水を渡すことにした。


 これも木の器に入った常温の水だ。おそらく、その辺の川の水を手で掬って飲んだ方が美味いだろう。


 だが、その子供は目を輝かせて木の器を持ち上げ、水を喉に流し込んだ。


 水を飲んだ子供は息を吐き、俺の手に握られる肉の刺さった串に気が付いた。


「あ……」


 子供は掠れた声でそんな声を漏らした。


 欲しいと、その目が言っている。


 俺は串を一本、子供に向けて差し出した。子供は目を見開いて俺を見上げ、すぐに手を伸ばす。


 何度か俺の顔と肉を確認するように見たが、やがて子供は肉に噛み付いた。


 そして、一口食べた子供は両目から涙を溢れさせる。


「う……ふぐっ……」


 泣きながら肉を食べる子供を見て、俺はそっと重い息を吐いた。


 ここは、日本では無いのだ。


 その事実を、まざまざと見せ付けられた気がした。

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