第16話
「……おい、マット」
スプレクスの低い声が聞こえ、俺はエメラから視線を外してスプレクスの顔を見た。
俺と視線が合うと、スプレクスは厳しい表情で俺を睨む。
「ハンギングから聞いたんだが、お前、ハンギング剣闘士団の剣闘士四人に重傷を負わせたらしいな?」
スプレクスがそう言うと、広間にいる剣闘士達が一斉にハンギングを見た。皆の視線に気が付き、ハンギングは眼帯を弄りながら、笑みの浮かぶ口元を手で隠す。
「おい、ちょっと待てよ。これは罠だぜ、団長」
一人の剣闘士がそう言ってスプレクスに抗議しようとすると、スプレクスは眉間に皺を寄せて口を開いた。
「やったんだな? 知ってるよな、お前ら。試合以外での私闘は禁止されてんだよ。分かってるよな? この規則を破れば剣闘祭に出られねぇんだよ! マット! 知らなかったとは言わせねぇぞ!?」
スプレクスは険しい顔つきでそう怒鳴り、俺の方へ歩いてきた。
そして、地面に寝かされたエメラに気がつく。
俺は立ち止まったスプレクスの前に立ち、スプレクスを見下ろして口を開いた。
「ハンギング剣闘士団の奴らが、四人がかりでエメラに重傷を負わせた。その事については不問にする気か?」
俺がそう言うと、スプレクスでは無くハンギングが口を開く。
「あ? そんな証拠が何処にある。大方お前が躾けをやり過ぎただけだろ? それに、奴隷の召使いなんぞ殴り殺した所で、こっちの大事な商品とは比較できねぇだろうが!」
ハンギングがそう言って歯を剥くと、スプレクスがハンギングの方に顔を向けた。
「おい、ハンギング。エメラに手を出したんなら話は別だ」
スプレクスがそう言うと、ハンギングは嫌な笑みを浮かべてスプレクスを睨み付ける。
「あぁ? お前もあのガキがお気に入りなのかよ? 趣味変わったな、スプレクス。だがよ、お前の情婦がちょっと怪我したからって話は変わらねぇぞ?」
ハンギングが馬鹿にするようにそう言うと、スプレクスはエメラを指差してハンギングを睨み返した。
「エメラは剣闘士見習いだ。公表すりゃあお前の所も剣闘祭には出られないな」
「おいおい、巫山戯んなよ。あんな雌ガキが剣闘士見習いのわけ無ぇだろうが」
スプレクスの台詞にハンギングが文句を言うと、横で聞いていた剣闘士達が口々にスプレクスに同意する。
エメラが剣闘士見習いであるという声を聞き、ハンギングは顔を歪めて皆を睥睨した。
「どちらにしろ、だ。見習い一匹と興行が打てる剣闘士四人じゃ比べもんにならねぇ。しかも、私闘じゃなくて歩いてた四人を後ろから不意打ちでボコボコにしやがったなんてなぁ大問題だろうが」
ハンギングが低い声でそう言い、俺は片方の眉を上げる。
「俺が後ろから不意打ちをした? あの四人がそう言ったのか?」
俺がそう聞くと、ハンギングは鼻を鳴らして俺を睨んだ。
「脅しでもしたのかよ。残念だったな。あいつ等は不意打ちなんかじゃ引き退らねぇぞ。次の組み合わせじゃあ覚悟しとくんだな」
ハンギングにそう言われて、俺は目を細めた。
「なるほど。四対一で負けたとは言い切れなかったか」
俺がそう言うと、ハンギングは目を丸く見開いて俺の顔を見た。
「こりゃ驚いた。まさか、正面から四人を殴り倒したとでも言うつもりか? そんなに強いってんなら、そういう組み合わせで組ませてもらっても良いんだよな? あの四人とお前一人の対決だ。こりゃあ人が入るぜ!? 金になる見世物だ! ただし、闘技場から立って帰れない奴が一人でるけどよ」
ハンギングのその台詞に、スプレクスが舌打ちをして前に出る。
「おい、待てよ。素手ならともかく、剣を持って四対一なんぞさせられるかよ。それに、剣闘士だろうが見習いだろうが剣闘士団の団員同士の私闘だ。公表したらお互い損しかしねぇのは分かってるんだろ?」
スプレクスがそう言うと、ハンギングは不機嫌そうにスプレクスを睨み、俺に背を向けた。
「屁理屈ばかり並べやがって……無かったことになるにしても、俺は忘れねぇぞ。後悔させてやる」
そう言い残し、ハンギングは広間から出て行った。
その背を見送り、スプレクスは俺を振り返る。
「くそ! 面倒なことになりやがった……! ああなったら終わりだ。ハンギングは後のことなんか考えずに全ての組み合わせで殺しにくるだろうな。マット! エメラは無事なんだろうな!?」
「ああ、身体中殴られたり蹴られたりして骨は折れたが、それでも後々に残るような怪我は無さそうだ」
俺がそう答えると、スプレクスは周りにいる剣闘士団の面々に目を向けた。
「こうなりゃ戦争しかねぇぞ。殺されない方法は一つ、勝つしか無い。負けたら事故を装ってとどめを刺されると思え! 興行を途中で辞めればもう近隣の街じゃ取り合ってくれなくなるかもしれん。だから、意地でも一カ月を乗り切り、残りの日数をスプレクス剣闘士団の全勝で終える!」
スプレクスがそう言うと、クレイドルが眉根を寄せて顎を引いた。
「俺やマットは勝てるが、他は勝ったり負けたりだ。一度でも負けたら殺されるかもしれないっていうなら、勝てる奴だけで組み合わせを考えないとな」
クレイドルの台詞に、剣闘士達の多くが項垂れた。ハンギング剣闘士団は決して弱いわけでは無く、確実に勝てるなんて自信は大半が持っていないのだろう。
俺は腰を下ろしてエメラに視線を戻し、汚れてしまったエメラの頬を指で撫でた。
その時、若い剣闘士の一人が声を上げる。
「そうだ! マット! 俺にあの変な技を教えてくれよ!」
そう言われて顔を上げると、俺に視線が集まっていた。
「マットのあの見たことも無い動きなら、相手が馴れるまでに時間がかかるだろ!?」
若い剣闘士のその台詞に、他の剣闘士達も少しずつその気になっていく。
一日二日で何を覚え、どうやってそれを活用するというのか。
だが、これまで通りの剣闘士としての技を磨くよりは、即効性は高いだろうか。
俺は頷いて口を開いた。
「勝てるとは限らないが、俺の技で良ければ教えよう」
俺がそう言うと、若い剣闘士達を中心に返事が返ってくる。威勢の良い、活気のある返事だ。
「エメラの敵討ちだ! 逆にハンギング剣闘士団をズタボロにして廃業させてやろうぜ!」
「おお!」
盛り上がる剣闘士達を見て、スプレクスは面倒臭そうに両手を挙げた。
「その意気は良いが、殺すんじゃねぇぞ!?」
スプレクスのそんな叫びが聞こえているのかどうか。剣闘士達は大声を出し合いながら拳を打ち合わせる。
技を一つ教えてどうにかなるとは思えないが、俺が出来る限りのことをしよう。
この若者達をハンギング剣闘士団の奴らに殺されるてなるものか。
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