第25話


 剣闘祭は三十日に渡って行われる。


 十の選ばれた剣闘士団が戦うということもあり、最初の二十三日は総当たりでぶつかる。


 各剣闘士団は五人の剣闘士を選抜し、午前中に二つの剣闘士団が戦い、午後にも戦う。


 これで二十三日目の午後、総当たりでの結果が出る計算だ。


 最も成績が良かった二つの剣闘士団は最終日の三十日に戦い、最も優れた剣闘士団と最も優れた剣闘士が決まる。


 それ以外の剣闘士団は二十五日から二十九日までの五日間もう一度戦い、存分に王都でアピールをすることが出来る。


 この一大イベントは王都の行事の中でも最大のイベントであり、民にとっても一年で最も賑わいを見せる大事なお祭りでもある。


 その為、剣闘祭が始まった日はそれまでの賑わいを遥かに超える盛大なものとなった。


 王都中が人々で溢れ、俺はエメラと行こうと思っていた買い物に行くのを諦めた。


 スプレクス剣闘士団の初戦は二日目の午後の為、試合前日はゆっくり王都の観光をしようかと思ったのだが、精神がやられてしまったのだ。


「すまん、エメラ……」


「い、いえいえ! 王都の中を見れただけで……!」


 そんな会話をして、俺達の王都観光は終わりを告げた。


 初戦の二日目、待機場に行くと尋常では無い貧乏揺すりをしているスプレクスの姿があった。そして、他に参加する四人の剣闘士は二人ずつ組んで模擬試合みたいなことをしている。


「お前は何でそんなに落ち着いてるんだよ!? 昨日は一日中姿を見なかったぞ!?」


「ちょっと観光に……」


「あぁん!? こっちは他の剣闘士の動きをチェックしてたってのに、良い身分だな、オイ!」


「絡むな、スプレクス。気を張りすぎても身体が硬くなる。普段しっかり練習してるなら、本気の試合の前は一日試合のことを忘れて過ごすのが俺のやり方だ」


「今年剣闘士になったお前にもう持論があるってのか!?」


 怒ったり驚愕したり呆れたり、中々スプレクスの精神は擦り減っているようだ。それだけ剣闘祭への想いがあるということだろう。


 スプレクスが平常心でいられないなら、メインイベンターの俺がしっかりしなければ。


 俺はそう決意を固め、スプレクスの肩を軽く叩いた。


「安心しろ、俺がいる。必ず勝てる」


「……何処からその自信が出てくるんだ、お前は」


 スプレクスは疲れたように肩を落とした。


 何を言う。最初から負けると思って挑むなど、愚の骨頂だろう。




【初戦ガット剣闘士団】


 初戦は奇しくもスプレクス剣闘士団と同じく、剣闘祭初参加の剣闘士団であるガット剣闘士団。


 とはいえ、ガット剣闘士団は古参であり、いつ剣闘祭に出てもおかしくなかった古豪らしい。


 だが、今やスプレクス剣闘士団も中々のものとなった。俺が技術を叩き込んだ、才能豊かな剣闘士達。


 こいつらならば、必ず勝てる。


「いいか、ハッチ。お前は小柄だが、関節技は中々の腕だし、剣を受けずに避けることが出来るだけの身体能力がある。焦らずに避けろ。無理に攻めるな。確実に機会は回ってくる」


「わ、分かったよ、マット!」


 俺はハッチが力強い返事をするのを見て、口の端を上げた。


「よし、行ってこい! お前が勝者だ!」


 俺がそう言ってハッチの背中を叩くと、ハッチは痛そうに眉を顰めて、笑いながら返事をした。


「俺の出番じゃねぇのか、今のは!?」


 まだまだ精神が安定していないスプレクスが横で騒いでいるが、俺は気にせずにハッチを舞台へ送り出した。


 古く、彫刻などが並ぶ薄暗い通路を進み、奥には頑丈そうな木製の扉がある。


 舞台へ近付く毎に分かってくる。他の闘技場とは空気からして違うのだ。薄暗い通路は徐々に明るくなっていくが、舞台へ続く最後の扉は重々しく、揺るぎない雰囲気を醸し出している。


 此処は、お前のような弱者が入って良い場所ではない。


 そう言われているかのような、威圧感だ。


 ハッチも萎縮し、拳を思い切り握り締めてしまっている。俺はハッチの背中を手のひらで叩き、大きな音を鳴らした。


「呑まれるな。相手は同じ人間で、ただの剣闘士だ。勝つのはお前だ。そうだろ、ハッチ」


「う、うん! 言ってくるよ!」


 そう言って、ハッチは重厚な扉を自分で押し開け、舞台へと出て行った。





 正直、自信はあった。


 直線的な動きと剣を使った斬撃、盾と足を使った打撃、そして、揉み合いの延長程度の組み技。


 それらに対して、剣闘士の動きを熟知し、洗練された関節技と投げ技などを使えるスプレクス剣闘士団の剣闘士。


 技や動きの引き出しが違うのだ。舞台や相手に呑まれて動けなくなったなんてことが無ければ、まず惨敗といった結果にはならないだろう。


 そう思っていたのだが、まさかの四連敗で俺の出番となった。


 肩を落として凹む四人の男達と、それを気の毒そうに見ているエメラ。そして、顔を真っ赤にして怒るスプレクス。


 俺はその様子を眺めて、口を開いた。


「俺がやり方を見せよう」


 そう言って、俺は舞台へと向かう。


 薄暗い通路を進み、重苦しい木の扉を開いた。


「ヤマトさん!」


 後ろから、エメラの声がして、俺は振り返らずに片手を上げるだけで応える。


 既に、俺の視線は闘いの場を見ていた。


 広さは変わらない筈なのに、舞台が大きく感じる。


 同じような砂地の地面が、やけに硬く感じる。


 風は生温く、人々の熱気を伝えてくる。


 今日最後の試合だからか、これまでに聞いたことのないような大歓声が鼓膜を打つ。


 ドン、ドン、ドンと、腹に響くような音が闘技場内に響いている。太鼓では無いのだろうが、似たような打楽器だろう。


 さぁ、俺の舞台だ。


 俺はまっすぐに舞台の中央に向かい、真ん中に立って闘技場を舞台から見回した。


 人の身長より少し低いくらいの壁で囲まれた舞台。そして、そこから階段のように上がっていくすり鉢状の観客席。


 上には屋根のような部分が迫り出し、その上に更に観客席が続く。


 東京ドームも真っ青といった、大人数を収容出来る会場だ。


 その観客席が満席である。一番下の観客席には立ち見の客も大勢いるようだ。


 俺が闘技場の作りと熱気に感銘を受けていると、一際大きな歓声が上がった。


 そして、一部の観客席から相手の名を叫ぶコールが響き出す。


「メイヤー! メイヤー! メイヤー!」


 そんなコールと共に、向こう側から大柄な男が現れた。


 山羊のようなツノがある兜を被った、肌の黒い男だ。長い黒髪が兜から溢れ、その髪の隙間から白い眼が覗いている。


 抜群の迫力。圧倒的な存在感だ。


 盾は持っておらず、手に握られた厚みのあるバスタードソードのみが鈍い光を放っている。


 ガット剣闘士団の看板であるメイヤーは、そんな男だった。


 俺はわざと笑みを浮かべてメイヤーを見ると、剣と盾を構えてメイヤーが来るのを待つ。


 胸を張り、焦らずに歩を進めるメイヤーは、真っ直ぐに俺の下へと歩いてきた。


「……いくぞ」


 俺の前に立ったメイヤーが低い声でそう口にし、俺は浅く頷く。


「ああ、掛かってこい」


 俺がそう言った瞬間、重い重量級の剣とは思えない速度でバスタードソードが振られた。


 俺の左肩から腰の下まで切り裂くような軌道で振り下ろされる剣を、俺は自分の剣を上げて防ぐ。


 火花が散り、耳をつんざくような破壊音が響き渡った。


 堂々と正面から斬りかかるだけのことはある。今まで戦った剣闘士の中で一番の速さと重さを併せ持つ剣だった。


「ふっ!」


 俺が受け止めた剣を払い除けて攻撃に移ると、メイヤーは僅かに目を見開いて後ろに一歩分下がった。


 俺の剣が躱され、腕が伸び切った俺の身体目掛けてメイヤーはまたも同じように剣を振った。


 剣で防ぐのは無理と判断した俺は盾を剣に斜めに当てて受け流す。


 金属と金属がぶつかる激しい衝突音が響く。


 お互い、剣での攻撃に移るのに一瞬の間が必要な瞬間がきた。


 蹴りだ。メイヤーの足が、俺の腹に目掛けて伸びている。


 俺が蹴ろうと思って腰を回した時には、既にメイヤーが動いていたのだ。


 衝撃が鎧を通して身体に伝わる。


 その反動をそのままに、俺は後ろに二、三歩下がった。


「強いな」


 俺は思わずそんな言葉が漏れていた。


 すると、メイヤーは不服そうに眉根を寄せる。


「……俺は前回王者のレインにも勝つ気できた。お前には負けられない」


 メイヤーはそう言うと、剣を構え直して俺を見据える。剣を使っての経験は比べるまでも無く相手が上だ。だから、防戦一方になってしまう。


 ならば、得意なフィールドに持ち込まなくてはならない。


「今度はこちらから行くぞ」


「む……!」


 俺が攻勢に出ると宣言して剣を振り被ると、メイヤーは俺の剣を叩きおらんと斜めに剣を振った。


 だが、俺は剣での全力攻撃など元よりする気は無い。


 メイヤーにあっさりと剣を弾き飛ばされると、自分の剣の行方など全く見らずにメイヤーに突進する。


 あまりの手応えの無さに怪訝な顔をしていたメイヤーは、いつの間にか自分の腰に俺がしがみ付くようにいることを知り、目を見開いた。


「な、何を……!?」


 困惑しながら暴れるメイヤーの身体を掴み、腕を捻り上げる。


「ぬぁっ」


 メイヤーは苦悶の声を上げて思わず剣を取り落とし、俺は更に懐に入って背中を預けるようにくっ付け、膝を曲げた。


 メイヤーの腕を持ったまま、メイヤーの体の下に自分の身体を置き、一気に持ち上げる。


 腰が浮いていたメイヤーは、それだけで見事に空を舞い、俺に掴まれた腕を支点にして地面へ吸い込まれる。


 地が揺れたような衝撃が起こり、メイヤーは地面に倒れた。


 俺は立ち上がってメイヤーの落としたバスタードソードを拾い、メイヤーに視線を向ける。


「む……かはっ」


 受け身も何も無く砂地の地面に落ちたというのに、メイヤーは咳き込みながらも立ち上がった。


 あり得ないほどの頑強さだ。


 俺は感心しながらメイヤーを眺める。


「……こんな強者がいたとはな」


 メイヤーは意外にも軽い声のトーンでそう言うと、両方の拳を顔の高さに持ち上げて腰を落とした。


 頼みの武器を奪われても尚、素手でやる気か。


 俺はメイヤーの覚悟に笑みを浮かべると、バスタードソードを後ろに放り投げた。


 それを見て目を丸くしたメイヤーは、山羊のツノのような兜を投げ捨てて拳を構え直す。


 拳の闘いはどちらともなく始まった。


 メイヤーが動くと同時に正面から動き、メイヤーの拳を額で受け、こちらはメイヤーの横腹を拳で殴る。


「ぬあ!」


「ふん!」


 反対の手で顔を殴られ、殴り返す。


 衝撃でメイヤーの身体がズレ、更に俺の拳がメイヤーの頬を捉える。

 

 闘技場に響く打楽器の音に負けないような鈍い音が響き、メイヤーの身体がふらついた。


「頑丈過ぎだ!」


 俺はそう叫ぶと、背中を丸めて前傾姿勢になっていたメイヤーの顎を下から拳で叩き上げた。


 メイヤーの身体が真っ直ぐに伸びて空中に浮き上がり、地面へと仰向けに倒れ込んだ。


 凄い奴だった。


 俺がそう思いながら勝者として片手を天に突き出すと、闘技場が揺れるような歓声が上がった。


 皆の歓声に応えながら闘技場を後にしようとすると、背後でメイヤーが動く気配を感じる。


 俺が信じられないものを見るような気持ちで振り返ると、メイヤーは倒れたまま片手を上げて俺を見ていた。


「……最終日で、倒してやる」


 メイヤーはそう呟いて、気を失った。


 これだけのタフネスは、プロレスラーでも中々いないな。


 俺はそんなことを思いながら、エメラの姿が見える方へ向かって歩いた。

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