第20話
奴隷を縛る契約に、隷属魔術なる魔法があるらしい。
首の後ろや背中などに施されるその魔術は、対象者にある制限を与えるというものだ。
一つ目は、対象者の主人に対して、はっきりとした反抗は出来ない。
二つ目は、対象者は主人から丸一日以上離れることは出来ない。
三つ目は、対象者は主人に危害を加えることは出来ない。
と、いった内容である。他人に危害を加えることまで制限すると剣闘士や護衛などをすることが出来ないので、主人に限定されている。
本来は、これだけで奴隷の逃亡や反抗は防止されるだろう。
ただ、ここで問題が発生する。実は、主人に逆らうことは言葉の上でも難しいが、文字くらいなら書けるのだ。
そして、文字を書ける者は五人に一人ほど。
つまり、剣闘士団という荒くれ者の奴隷の集まりでも、誰かに主人を殺害するよう依頼することが可能となる。
奴隷は剣闘士のように一定の給料が支払われることが殆どで、いずれ自分を買い戻す為の資金を自分で貯めることもできる。
王国の法律で奴隷に最低限の生活を保証しなければならないというのもあるが、奴隷が反抗しないように、反感を持たれないようにという意味も込めて、主人は奴隷に金銭を与えている。
その金銭を使って主人を殺す奴隷がいるというのも、中々に因果な世界である。
奴隷について説明を受けた時、俺はただぼんやりとそう思ったのだった。
翌日、ハンギング剣闘士団の者が一人、まだ闘技場入りしていないスプレクスの下を訪れた。
その者から何かを聞き、スプレクスの顔は見る見る間に驚きの色へと染まっていく。
「な、なんだと……ハンギングの野郎が……」
スプレクスがそう呟くと、男はスプレクスに頭を下げた。だが、スプレクスは軽く手を振り、男を見て口を開く。
「ダメだ。剣闘士団自体が解散したわけじゃねぇからな。うちでは引き取れねぇんだよ」
どうやら、あの男はスプレクス剣闘士団に移りたいと言ったようだ。スプレクスが断ると、怒りの篭った目でスプレクスを睨み、去っていった。
「剣闘士だったんだから、奴隷商人に売られてもまた剣闘士になれるんじゃないか?」
俺がクレイドルにそう聞くと、クレイドルは難しい顔で首を左右に振る。
「年齢と実績による。若ければ剣闘士、多少歳がいっていても実績があれば剣闘士だ。逆にそこそこ程度の腕前じゃ、歳がいけば使われない。先が無いからな。それなら炭鉱の方が長く働けるって話だよ」
「なるほどな」
確かに、プロのスポーツ選手と思えば分かりやすい話だ。歳のいったスポーツ選手をわざわざ契約するチームは少ないだろう。
だが、強い弱い関係無く人気の出る選手という者も存在する。その場合はファンが試合を見に来てくれるし、グッズなどの売り上げも見込めるので、雇ってくれるチームもあるだろう。
剣闘士団として、その辺りの意識改革も行った方が良い気がするな。
俺がそんなことを考えていると、スプレクスがこちらへ歩いて来た。
「マット、ちょっと来い」
そう言って、スプレクスはテントの裏に行く。スプレクスの後を追ってエメラと付いていくと、神妙な面持ちのスプレクスが口を開いた。
「お前には先に伝えておくが、ハンギング剣闘士団が解散した。お前がやった四人組がもう剣闘士を続けられなくなったってのもあるが、ハンギングが剣闘士達に反抗されたようだな。ハンギングは何者かに手足を切断され、首を吊られて死んでたらしい」
「反抗?」
「あいつのとこは全員奴隷だからな。直接ハンギングに逆らうことは出来ない。だから、暗殺ギルドに依頼したんだと思うが……あんまりにも仕事が早いからな。もしかしたら傭兵か冒険者みたいな、昔の知り合いに依頼したのかもしれねぇな。奴隷商人やら剣闘士団関係やらってのは誰か死んでも王国は大して取り合ってくれねぇんだよ」
そう言って、スプレクスは深い溜め息を吐いた。どうやら、ハンギングと自分を重ねて感傷に浸っているようだ。俺にだけ先に話したのも、奴隷が主人に反抗した話を自分の奴隷に聞かせたく無かったのかもしれない。
とはいえ、ハンギング剣闘士団とスプレクス剣闘士団の団員の持つ雰囲気は全く違う。杞憂だとは思うが。
スプレクスは自らの顔を両手で挟むように叩くと、気合の声をあげる。
「よし! まぁ、どちらにせよこれでこの街で出来ることも無くなった。一足早いが、次の街へ行くか!」
そう言って皆の所へ向かおうとするスプレクスの背中に、俺は声をかけて呼び止めた。
「スプレクス。せっかく興行を楽しみにしてくれている人がいるんだ。もう少しいよう」
俺がそう言うと、スプレクスは嫌そうな顔でこちらを見た。
「おいおい。同じ剣闘士団の剣闘士同士での斬り合いは得より損が大きいんだぞ? なぁなぁになっても盛り下がるし、怪我人を出してもどっちも同じ剣闘士団だ。ついでに剣闘祭への評価には一切関係ねぇし」
スプレクスはそんな顔で文句を言った。俺はそれに大して笑みを浮かべ、答える。
「任せろ。俺に良い考えがある」
俺がそう口にすると、何故かスプレクスは嫌そうな顔を更に顰めた。
闘技場内で歓声と笑い声が響く。
横に跳んで掴まらないように逃げる剣闘士と、両手を広げて追い掛ける剣闘士の姿に、また笑いと野次が飛んだ。
そして、逃げていた剣闘士が遂に掴まり、肩に担がれたから投げ飛ばされた。
歓声と共に、皮の札が舞い飛ぶ。
「アイクの勝ちだ!」
スプレクスが勝利者が誰か分かるように名を叫ぶと、また皮の札が舞った。
剣闘士二人と一緒に上機嫌な様子で帰って来たスプレクスは、俺とエメラを見て笑顔で歩み寄って来る。
「おお! 名参謀! いやぁ、凄いな、お前! 大好評だぞ! 客入りも中々だ!」
スプレクスはそう言って俺の肩を音が鳴るほど叩き、エメラの頭を撫でて去って行った。
俺が提案したのは、プロレスをよりソフトにした投げ合い、転がし合いである。最低限の投げ方と受け身の取り方を教え、合格水準に達した者は試合が出来る。
これなら怪我はしないし、本業の剣闘士としての戦いでは無いので妙な軋轢を生むような事も無い。剣闘士達は勝ち負けに関わりなく満足感をもって帰って来る。
そして、賭けを仕切る領主と商人ギルドには、賭けの料金を引き揚げる代わりに数字の刻まれた皮の札を配らせた。
皮の札を貰った客は、賭けた剣闘士が負けた時はその札を舞台に向かって投げ込むことが出来る。茶色の小さな札とはいえ、何百何千と舞えば中々壮観であるし、これで少しでも負けた者は腹癒せが出来たらという思いもあった。
だが、この娯楽の極端に少ない世界ではそんな程度の演出もウケが良かったらしい。
最初は客からの戸惑いと罵声が上がったが、二日目、三日目となる内に浸透した。流石に通常の興行より客入りは少ないが、それでもそれなりに興行は成功したようだ。
そんな中、盛り上げる為に毎回俺が朝一か昼、ラストのどれかに出場し、多対一で参加していたのだが、最終日にはマットという名前以外の名で呼ばれるようになった。
ある程度の人気がある剣闘士には二つ名がつくことがあるらしい。
そして、俺の二つ名を聞いたクレイドルが大爆笑しながら喜んだ。
「ほら、『暴君』! 客がもう呼んでるぞ! 最後の組み合わせだ。派手にやってこいよ! うははは!」
クレイドルに送り出され、俺は半眼でクレイドルを睨み、最後にエメラに笑みを向けてから舞台へと足を向けた。
闘技場全体が声を発しているような、マットと暴君のコールが響き渡っている。
「が、頑張ってください! ヤマトさん!」
エメラの声に俺は片手を上げて応え、舞台への木の扉を押し開ける。
さぁ、暴君らしく暴れてやろうか。
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