12.She is the virtual personality
第26話
寄り合いの滝。山の中腹、森がやや開けた所に位置する主達が集う神聖な山域。真樹士は熊の主と共に再び存在するようになった。
「熊の主様、付き合ってくれてありがと。おかげでわかったよ」
真樹士は黄金色した丸い熊の耳の後ろをくすぐるように撫で、深い濃藍色した夜空を見上げた。薄い雲間に金星がきらりと一際目立っていた。そんな深い夜の空なのに大きな鳶が一羽、くるりとゆったりとした輪を描いて飛んでいる。鳥の主が真樹士を待っていてくれた。
「うん。ここから先はヒトとサルが起こした問題だ。自分達で解決する。今まで通り中立でいてくれてかまいませんよ」
真樹士が熊を撫でていた右手を夜空へ向けて手招きする。すると鳶ははるか上空にいるのにも関わらずそれに気付いて降下してきた。
「あの若いクマくんはもう少し貸してくれます? うん、全部片付いたらちゃんとお礼するから」
脇に抱えていた山臥のヘッドセットを被る。舞い降りた巨大な鳶、鳥の主が真樹士の肩を文字通り鷲掴みして捕らえる。
「わかってますって。今夜中に決着つけます。本気になった新世代のヒトのヌシの力を見せ付けて、二度と下克上起こそうなんて考えないよう徹底的にへこましてやるさ」
ぶわり、宙へ舞い上がる真樹士。
『ジュン、状況はあとで全部説明する。とにかく今はゲンさんとタクヤの坊やのとこに急いでくれ』
純のスマホが鳴り、待ちわびた真樹士の声が響いて来た。現治朗と卓也が携帯に出なくなり、向日葵もパニックを起こしかけていて現状がまるで把握できていなかった。そこへやっと真樹士が帰って来てくれたのだ。
「遅いですよ。早くヒマワリさんのとこに行ってやってください。こっちは僕と猫又様で十分です」
『猫又まで出て来てんのか。どんな恰好で現れた?』
純を乗せて森を突っ走る真っ白い獣が首をくるりとこちらに向ける。
「猫耳メイドモードよ」
『そいつはキュートだ』
「そんな事はどうでもいいんです。マキシさんは早くヒマワリさんの元へ!」
猫又はすぐ前を向いてものすごい速度で向かって来る樹の幹を躱しながら、クソ真面目なんだからー、と小さく呟いた。
「奴の狙いはリンドウじゃなかったんです。ヒマワリさんと、そのお腹の子です。サルのヌシ達は完全にヒトに成り代わろうとしています」
『ああ、だいたいわかっている。俺も本気で相手してやる。ジュン、猫又、敵がサルのヌシだからって遠慮はいらねえ。全力でぶちかましてやれ』
「了解です」
「ぶちかまして差し上げますわ」
純と猫又は同時に答えた。
向日葵は自分が何をすべきなのか、まるで解らなくなっていた。少し前に卓也ポインタが大きく横に弾かれてそのまま動かなくなったかと思うと、次の瞬間には現治朗ポインタが消滅した。
どんなに彼らの名前を叫んでも応答がない。考えられない速度で高速移動中の純。銀行強盗の携帯ポインタと左太郎ポインタはくっついたまま動かない。もうすぐそこへ鉄兵ポインタがぶつかる。修司ポインタもじわりじわりと山小屋を離れて森に入る。
今の自分はディスプレイの中で行われているゲームをただ見ているだけだ。何の役にも立てていない。それどころか自分がいる事によって山臥達の行動を制限しているようにさえ感じられる。自分は無力だと言う事が肌を焼かれるように実感した。
ヒグマが向日葵の焦りを嗅ぎ取ったのか、ベッドから降りて子犬のように鼻を鳴らして彼女に頬をすり寄せた。
「ねえ、クマくん。私どうしたらいい?」
ついにヘッドマウントディスプレイを外してしまう。まだ視界が揺れている。仮想酔いだ。
「マキシくん、早く戻って来てよ」
頭を抱える。真樹士のデスクに突っ伏して、思わず泣いてしまいそうになる。
山に入って何日経った? いくら人の主の不在期間があって山が異常だったからと言って、たった数日でいろいろな事があり過ぎた。普通に街で生活していれば決して体験する事のないあらゆる事が起きている。
「キミがいてくれてよかったよ」
若いヒグマの剛毛をくしゃくしゃと撫でてやる。ヒグマと一緒にいると言う異常事態にはもう慣れた。しかし、この異常な環境にたった一人で待っていると言う孤独感には慣れる事はできそうになかった。
と、クマが向日葵から離れ、寝室の扉を真正面から睨み付けた。
「な、何?」
それと、何か、かすかな声が聞こえる。誰かが自分を呼ぶ声だ。どこから? 扉の向こう? 違う。HMDの中だ。
「クマくん、ちょっと静かにしててね」
扉に向かって唸り声を上げるヒグマの背中をぽんぽんと叩いて、巨大な鹿の角のようなアンテナを生やした重いHMDを再び被る。その中はもはや懐かしさすら感じる声がこだましていた。
『ヒマワリー、HMD脱ぐなよー。心配したぞ』
真樹士の声だ。待ち侘びた人の主の帰還だ。
「じゃあもっと心配してくれる? 何がどうなってるの? 私じゃ何にもできないよ!」
まるで真樹士が側にいるように思えた。柔らかな声が頭の中を転がり回り、暖かな手が頬を撫でてくれているように感じる。
『もう大丈夫だ。あと三分でそっちに行く』
真樹士が彼のヘッドセット端末で操作したのか、向日葵の視界に三分間の時間表時が現れてそれが時を刻み始めた。
『現状がかなり厳しいのはわかった。いいか、ヒマワリ。そこに引きこもっていろ』
「うん」
五秒経過。
『終わったらお茶でも飲みながら説明するよ』
「うん」
『とにかく待っててくれ。他のみんなと作戦練り直すから、あとはHMD脱いでてもいいからベッドでクマと丸くなってな』
「うん」
そして真樹士との交信は終わった。
あと二分三十秒我慢すればいいだけだ。向日葵は通信の切れたHMDを脱いでパソコン脇に置いた。ペットボトルの水を口に含み、ようやく一心地つく。
「クマくん、さっきからどうしたの?」
ヒグマを見やると、まだ扉の向こうへ静かな唸り声を上げていた。
真樹士はヘッドセットの中の仮想視界を改めて確認した。動いているポインタは純と修司、それと鉄兵のヘッドセットのものだけ。卓也と左太郎のヘッドセットは動きを見せていない。そして現治朗の信号は消えている。
純の言葉通りなら猿の主は三体。主級の敵を三体に対して完全装備の山臥は四人だけ。しかもその四人の山臥は分断されてそれぞれ単独で行動している。それでは真樹士が設計した山臥システムは、未だその真価を発揮していない事になる。
「さあ、どうする?」
思わず声に出てしまう。
相手はもはやただの猿ではない。何人もの人を喰らって人の力を得た化け物だ。
今は主となりきるべきだ。仲間を失うかもしれないと言う恐怖、失ってしまった事に対する責任感は真樹士自身が人だから感じるのだ。主であればそれらは超越できる。主とはそういうものだ。犠牲を厭わないよう冷徹にならなければ現状は打破できない。
そう。いま山の神は不在なのだ。無秩序と混沌が山に渦巻いている。山の神が裁定を下せない以上、上位の主である人の主が力を示さなければならない。
「テツヘイさん、シュウジさん、悪いけど、今すぐ山小屋に戻ってくれるかな。敵は三体。一体はジュンに任せる。あと二体はおそらくヒマワリを狙ってくるから山小屋で迎え討つ」
ヘッドセットのディスプレイの鉄兵ポインタと修司の携帯ポインタが山小屋へと動くのを確認する。
「夜明けまでに決着をつけるよ」
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