山臥我他彼此通信儀礼
鳥辺野九
1.Open and shut
第1話
『オーライ、繋ぐぞ』
暗黒。
夜には夜の光がある。濃い紫色に沈んだ世界にもかすかな光がある。しかしここは暗闇の奥底。夜の光すら一粒も入り込めない深淵。深い夜の山は静かに暗黒をたたえ、彼らを丸ごと深淵へと飲み込もうとしていた。
『こんな形で実戦投入するとは思っていなかったが、緊急事態だ。仕方がない。うまく順応してくれ』
『山とオンライン状態だ。情報量がすごいぞ。慣れるまでは仮想酔いに気を付けてな。……気を付けようがないけど』
漆黒の森林に七つの姿がぼんやりと浮かび上がる。鍛えられた身体を覆う化学繊維のヨロイ。それは強靭な表皮を持ち、しなやかな筋肉を収縮させ、そしてそれぞれ七人のヨロイが一つの星座であるかのようにお互いの空間座標を連絡し合う。その座標情報はヘッドセットに繋げられた何本もの光ケーブルを流れ、データは文字情報として眼前の球面スクリーンに転写される。
山臥達は頭を覆う金属と樹脂でできたヘッドセットから周囲の環境情報を受け取る。そのデータは山よりはるか離れた町にいる人の主の端末で統合され、最適化と圧縮を繰り返して数ミリ秒ごとに更新される。
山臥達は肉眼ではなく、データから電子世界を通してスクリーンに投影して世界を視ていた。
暗黒が開ける。鮮やかな光が溢れ出る。緑を基調としたグラデーションが世界を彩る。スクリーンに転写される情報は、深い森林に最新の装備で武装した山臥達を描き出していた。
まるで能の面のようなヘッドセット。それぞれ顔面の位置に壱番から七番まで識別番号が記されている。周囲の環境を読み取るアンテナが鬼の角とように伸び、鹿の耳のように生え、強靭な化学繊維のヨロイ、まるで最先端の宇宙服のような外骨格スーツは自動的に周囲の環境に溶け込む光学カモフラージュを行う。その腕に構えたライフルはヘッドセットと連動し、視界の焦点をずらすだけで照準を合わせる事ができる。近代装備で固めた七人の山臥達は音も立てずに山を進んでいた。
「ジュン、先行してくれ」
壱番の識別番号をつけた山臥が言葉を使う。大きく声にする必要はない。口の中で小さく囁くだけでヘッドセットが音を拾い、増幅し、全員に伝える。
六番の識別番号をつけた山臥がライフルを構えたまま前方へ進み出る。全員のヘッドセットからその位置情報が画像としてスクリーンに投影される。誰がどこにいるか、どれだけ離れてるか、どれだけの速度で移動しているか、周囲を見渡さなくても一目瞭然だ。
『えーと、七番。後方に離れ過ぎだ。それと心拍数も高い。落ち着いて深呼吸してゲンさんのすぐ側にいろ』
人の主から指示が飛ぶ。先行する六番山臥は視界の焦点をコントロールして全員の位置情報を確認した。新入りの七番山臥が、確かに指示の声の通り後方に一人だけ離れている。七番山臥の鍛え抜かれた肉体は実戦向きかもしれないが、未だ経験値はゼロの新人だ。
「悪いっすけど、俺にはタクヤって名前があるんで、名前で呼んでもらえるっすかね? ヌシ様」
『いくらいきがったところでな、心拍数、呼吸数、体温、掌の発汗量、眼球の運動量、おまえがびびってるデータはいくらでもある。死にたくなかったら言う通りにしろ。おまえだけだぞ、山の異常に気付いていないのは』
人の主である
瞬き操作で視界をズーム。
暗闇の中、きょろきょろと落ち着きなく揺れる七番の識別番号が刻まれたヘッドセット。視点をずらすだけでスクリーンの視界を動かせるのに、ヘッドセットを動かしているのは未だこの仮想視界に慣れていない証拠だ。そのうち仮想酔いにやられて真っ直ぐ歩く事すらできなくなるだろう。
「マキシさん、このまま先行します。フォローお願いします」
純は七番山臥から真正面へと視界を切り替えた。瞬きでズームを繰り返して暗闇を遠く先まで見通す。山は恐ろしく静かだった。風すらない。木々の木の葉一枚揺れていない。動くものが何もない山の光景は、まるで完全な死の世界のようだ。
山の異常に最初に気が付いたのは、遠く離れたふもとの町に住むネットワークエンジニアの真樹士だった。
彼が先代の人の主の紹介で山に入ったのは三年前の事。山全体を神的ネットワーク化し、山をサーバーとして山臥達や山の生き物が情報の送受信をできるよう山域の人の主へ提案した。それが神事や修験山臥と縁もゆかりもない一般のネットワークエンジニアの真樹士だった。
山に好かれると言う真樹士の特異な性質を見抜いた人の主は、彼を山臥に就くようヘッドハントした。その案件は保留で、と真樹士は茶化したが、まるでそうなるのがはるか昔から決まっていたかのように事は運び、真樹士が作ったシステムは山をオンライン化し、エンジニアとして真樹士もまた山にちょくちょく足を運んだ。自然と真樹士は山臥の一員と扱われるようになっていた。
そして、人の主が山で消息を断った今夜まで、システムは完璧に調和されていた。
主達の寄り合いに出席する。
そう言い残して人の主は連絡を断った。人の主は齢八十を越える老人であったが、山での人の主としての生活が長かったおかげでその足腰はまだまだ健在で、よく馴染んだ山で普通に遭難したとは考えにくい。山の異常に気付いた真樹士は山臥全員に出動を要請し、ふもとの町の自宅から指示を出す事にした。
『目標座標はその辺りだ。ジュン、何か見えるか?』
山の圧力が見える。磁場の歪み、生命の密度と空気の流れ、それらを真樹士がデータ化して山臥のヘッドセットへ送信する。視覚を刺激するその情報は、スクリーンへ投影される画像データの歪みとして表示され、圧倒されるほどの深い森を純に見せつけていた。
「この先には、マップでは滝があるはずです」
『ああ、ヌシ達の寄り合いの場だ』
主。
「……いました。ヌシ、だと思います。それと……」
純からの通信の声はとても静かだった。
『何、だって? よく聞こえない』
純は自分が視ているものが信じられなかった。しかし、カメラアイを通して得られた映像データは決して嘘をつかない。そして山は絶対に正しい。たとえどんなに有り得ない状況であろうと、自分が視ているものを正確に表現するしかない。
「女の子が一人います」
一本の樹が根元からへし折られて少しだけ開けた場所を作り、幾つもの肉片が浮かぶ血溜まりが一つの人影を映す。そこに立つのは少女だった。闇に包まれた深い森にはあまりにも不似合いな明るい色のパジャマ姿の少女が、凍り付いたように表情を失った顔で純を見つめ返していた。
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